artscapeレビュー

その他のジャンルに関するレビュー/プレビュー

あいちトリエンナーレ2013企画発表会

会期:2012/07/25

愛知芸術文化センター 12階アートスペースA[愛知県]

あいちトリエンナーレ2013の実行委員会有識者部会、愛知県公館にて知事との懇談、愛知芸文センターに戻り、実行委員会運営会議、そして企画発表会(記者会見)と、3回同じ話をする日だった。11組の作家を追加で発表、公式デザイナーに廣村正彰、教育普及のコミュニティ・デザイナーに菊地宏子が就任、パフォーミングアーツ部門ではサミュエル・ベケットを基軸にしたことを報告する。これで全体の1/3の作家が公表された。

2012/07/25(水)(五十嵐太郎)

朝鮮通信使歴史館

朝鮮通信使歴史館[韓国]

凡一洞(ポミルドン)近くに最近できたばっかりという新しい歴史館。ここは江戸時代に朝鮮から12回にわたって派遣された通信使について理解するための場所で、BankARTが「続・朝鮮通信使」プロジェクトを進めているので訪れてみた。従来の博物館のようにカビ臭い遺物を並べるのではなく、CGアニメや3D映像などのマルチメディアを駆使して子どもにもわかりやすく伝えようとの意志が感じられる。とはいえ、そもそも朝鮮通信使なるものに関心がないうちのガキどもには猫に小判か。本来の機能を無視して映像のボタンをピコピコ押して遊んでる。もう行くぞ。

2012/07/25(水)(村田真)

さようなら原発集会

会期:2012/07/16

代々木公園一帯[東京都]

代々木公園を中心に行なわれた脱原発デモ。うだるような暑さのなか集まったのは、主催者発表で17万人。知識人や文化人によるスピーチの後、3方向に分かれてデモが行なわれた。
3.11以後、放射能の恐怖と原発の再稼動への危機感から全国各地でデモが拡大しつつあるが、このうねりのなかで明らかになってきたのは、デモが政治的主張をアピールする文字どおりのデモンストレーションの機会であると同時に、民衆による限界芸術が開陳されるある種の「展覧会」でもあるということだ。プラカードや横断幕に描写されたヴィジュアル・イメージはもちろん、口々に叫ばれるシュプレヒコールや鳴り物の数々、そしてなにより17万人もの人びとが一堂に会し、都内の街中を練り歩くという身体表現は、非専門家という群集による限界芸術の現われにほかならないからだ。
むろん、有名性に依拠した表現がないわけではない。今回のデモでは、奈良美智が「NO NUKES」というメッセージを含めて描いた絵画表現をダウンロードしてプラカードに転用した参加者が数多くいたし、奈良自身も集会でわずかとはいえ登壇したほか、デモの一部のコースに重なったワタリウム美術館のウインドーに同じ絵画作品のポスターを掲げた。
しかし、デモとはなによりも無名性にもとづいた文化表現の形式である。あらゆる人びとは本来なにかしらの専門家であるはずだが、同時に、ある局面においては、非専門家とならざるをえない。そのある局面に人びとを直面させながら結集させるのがデモであり、だからこそそこではありとあらゆる知恵と知識が動員されるのである。限界芸術が見るものだけではなくみずから行なうものだとすれば、限界芸術としてのデモを歩道から眺めるだけではあまりにももったいない。プラカードに描いた絵を持ちながら車道を歩き、声を上げ、歌を唄い、ダンスを踊る。限界芸術の展覧会はみずから楽しめるものなのだ。

2012/07/16(月)(福住廉)

しりあがり寿★ワールド ゆるとぴあ

会期:2012/06/23~2012/07/08

横浜市民ギャラリーあざみ野[神奈川県]

3.11以後、「アートは無力か?」と自問自答するアーティストは多いが、「アート」であろうとなかろうと、すぐれた文化表現は少なからず生まれている。いままさに全国各地で大きなうねりを形成しつつある脱原発デモはその最たるものであるし、Chim↑Pomの一連の表現活動や、いとうせいこうのポエトリー・リーディング、そしてしりあがり寿の『あの日からのマンガ』もある。とりわけ、しりあがりの作品は放射性物質を擬人化したり、50年後の未来社会を想像的に予見したり、マンガという自由闊達な表現形式を存分に使いきることで、同時代の精神史に大きな足跡を残した傑作である。
本展で展示されたのは、しりあがり寿による映像インスタレーション。「ゆるめ~しょん」と言われるゆるいアニメーション作品を、広い会場に縦横無尽に設置されたモニターの数々で見せた。そのモニターのサイズは大きなものから小さなものまでバラエティがあり、それらを巧みに構成することによって、会場にダイナミックな動きを生んでいたし、モニターを縦方向に組み上げることで4コママンガのように見せるなど、工夫も効いていた。色彩を封じ込め、線描だけに特化しているので、画面の大半を占める白い背景がやけにまぶしい。テレビやパソコン、スマートフォンなど、私たちが情報を受け入れる窓口の無機的な光が強調されているようだ。そこで動く定番のキャラクターは確かにコミカルだが、その反面、金属音のような音響がひどく衝撃的で、そのギャップが私たちの心情を表現していたように思えた。とてつもない不安や恐怖を内側に抱えつつも、明るく健気に振舞う二重性。それが病理としてではなく、常態化してしまったことの狂気を、しりあがりは見せようとしていたのではなかったか。
今回の展覧会は、しりあがり寿という稀代の漫画家が、同時にすぐれたアーティストであることをはっきりと告げた。展示に関する文法を適切に踏まえているからではない。線によって描き出す世界が、今日の社会的状況や私たちの精神性と確かに結びつき、そのことによって強いリアリティを生み出しているからだ。

2012/07/08(日)(福住廉)

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福島原発の闇

会期:2012/05/26~2012/07/07

原爆の図丸木美術館[埼玉県]

いま、見たいのによく見えないもどかしさを感じてならないのは、福島第一原発における労働の実態である。なぜなら、それが今後の私たちの明暗を左右しかねない重大な事案であるばかりか、現代の文明的なテクノロジーによって私たちは日常的に視覚的な全能感を味わっているからだ。そのもどかしさといったらない。
だが、ブラックボックスとして原発労働は、いまに始まったことではない。本展で展示されたのは、雑誌『アサヒグラフ』(1979年10月19日号、10月26日号)に掲載された「パイプの森の放浪者──現場からの報告・原発下請労働者の知られざる実態」という記事。身分を隠して福島第一原発の労働に携わったルポライターの堀江邦夫が文章を綴り、その言葉をもとに漫画家の水木しげるがイラストを描いた。
興味深いのは、30年近く前とはいえ、原発労働の細部を知ることができる点である。汚染水を処理する過酷な肉体労働をはじめ、その労働を始める前に思想調査が行なわれること、労災隠しが常態化していたこと、にもかかわらず福島第一原発の構内には「無災害150万時間達成記念」なる記念碑が建てられていたこと。堀江の文体には、経験者ならではの現場の臨場感がある。
だが、それ以上に来場者の視線を集めたのは、水木しげるのイラストレーションだろう。無数のパイプが行き交う構内の様子を点描で緻密に描いた絵には、並々ならぬ迫力がある。しかも、証言や資料をもとにリアルに描いているだけではなく、パイプの隙間に怪物的な目玉を描きこむなど、随所でイマジネーションを発揮しているのだ。見えない放射性物質を描くには、想像力に頼るほかないことを、水木しげるの絵は如実に物語っているのである。

関連書籍:堀江邦夫、水木しげる『福島原発の闇──原発下請け労働者の現実』(朝日新聞出版、2011)

2012/07/07(土)(福住廉)