artscapeレビュー
その他のジャンルに関するレビュー/プレビュー
石子順造的世界 美術発・マンガ経由・キッチュ行き
会期:2011/12/10~2012/02/26
府中市美術館[東京都]
美術評論家の石子順造(1928-1977)の展覧会。石子の批評活動を「美術」と「マンガ」と「キッチュ」に分けたうえで、それぞれの空間に作品を展示した。静岡時代の石子が主導したとされる「グループ幻触」の作品を紹介したほか、中原佑介とともに石子が企画に携わった「トリックス・アンド・ヴィジョン」展(東京画廊・村松画廊、1968年)を部分的に再現するなど、展覧会としてはたいへんな労作である。図録も充実しているし、何よりつげ義春の代表作《ねじ式》の原画を一挙に展示したところに最大の見所がある。にもかかわらず展覧会を見終えたあと、えもいわれぬ違和感を拭えないのは、いったいどういうわけか。その要因は、おそらく最後の「キッチュ」にあると思われる。石子が蒐集していたという大漁旗やステッカー、造花、銭湯のペンキ絵など、通俗的で無名性に貫かれた造形物の数々は、たしかに「まがいもの」のようには見える。けれども、美術館の中に整然と展示されたそれらには、「キッチュ」ならではの卑俗な魅力がことごとく失われており、むしろ寒々しい印象すら覚えたほどだ。これが「墓場としての美術館」という空間の質に由来しているのか、あるいは石子が見ていた「キッチュ」を現代社会が軽く追い越してしまったという時間の質に起因しているのか、正確なところはわからない。とはいえ、少なくとも言えるのは、私たちが注いでいる「キッチュ」に対する偏愛の情がまったく感じられなかったということだ。美術館が「キッチュ」や「限界芸術」を取り上げるとき、おうおうにして、このような白々しさを感じることが多いが、それは企画者の趣向というより、もしかしたら石子順造に内蔵された限界だったのかもしれない。オタク前夜の時代を切り開いた美術評論家としては注目に値するが、オタクが黄昏を迎え、代わって「限界芸術」という地平が見え始めているいま、石子だけを手がかりとするのは、いかにも物足りない。大衆文化を盛んに論じた鶴見俊輔、林達夫、福田定良、あるいは今和次郎らによる思想を総合的に再検証する仕事が必要である。
2012/02/22(水)(福住廉)
ウメサオタダオ展 未来を探検する知の道具
会期:2011/12/21~2012/02/20
日本科学未来館[東京都]
民族学者の梅棹忠夫(1920-2010)の展覧会。京都に生まれ、アジアやアフリカ諸国へのフィールドワークを経由して、国立民族学博物館の創設に尽力し、やがて日本の文化行政のキーマンとなってゆく人生の軌跡を、数々の資料や書籍、道具、写真などで振り返った。梅棹の足取りを、簡素なベニヤの合板を円環状に組み立てることで表現した展示構成が、何よりすばらしい。そこに展示されていたのは、手書きのフィールドノートをはじめ、それらの情報を整理するための、いわゆる「京大式カード」など、いずれもコンピュータ時代以前の知的生産の現場を物語るアイテムばかり。その物体としての迫力のみならず、それらに滲み出ている肉体性の痕跡に瞠目させられる。京都を拠点にした長い活動を追っていくと、梅棹の活動領域が世界の周縁から政治の中枢へと転位していく過程が手に取るようにわかり、その変転に一抹の寂しさを禁じえないのは事実だとしても、その一方で梅棹の視線が(失明してもなお)つねに専門家の先の非専門家たち、つまりは私たちにまで及んでいたことも十分に理解できる。代表作『知的生産の技術』(岩波新書)は、インターネット時代になったいまとなっては、やや古色蒼然と見える印象は否めないにせよ、昨今の知的生産を貫く基本的な技術論としては依然として有効であるし、エッセイ「アマチュア思想家宣言」(『梅棹忠夫著作集』第12巻所収)は専門的な科学者の信用が失墜してしまった目下の転換期にこそ、広く読まれるべきテキストであると言える。これからの困難な時代を生きるには、梅棹忠夫が身につけていた身体的な知のありようが不可欠なのではないか。
2012/02/20(月)(福住廉)
プレビュー:ようこそ!サン・チャイルド
会期:2012/03/11
阪急南茨木駅前(南側)[大阪府]
大阪府茨木市の阪急南茨木駅前に、ヤノベケンジのモニュメント《サン・チャイルド》が設置され、その除幕式とセレモニーが開催される。《サン・チャイルド》の外見はヤノベの過去の代表作である《アトムスーツ》や《トらやん》と類似しており、顔はつぶらな瞳と長いまつげを持った子どもである。高さ6.2メートルと巨大で、ヘルメットを脱いだポーズを取っている。つまり《サン・チャイルド》は、防護服がなくても生きていける世界を希求し、敢然と前を向いて立ちあがる人々に向けた再生・復興のシンボルを意味しているのだ。当日は上記セレモニーのほか、ヤノベによるスピーチ、ワークショップ、サン・チャイルドそっくりさんコンテスト、ミニライブなどのイベントが催され、沿道には屋台も並ぶ。誰でも自由に参加できるので、1日限りのお祭り感覚で楽しみたい。
2012/02/20(月)(小吹隆文)
カタログ&ブックス│2012年2月
展覧会カタログ、アートにまつわる近刊書籍をアートスケープ編集部が紹介します。
深読み! 日本写真の超名作100
artscapeレビューの執筆者でもある、写真批評家・飯沢耕太郎の最新著作。1850年から2011年までの、究極の、絶対に見ておきたい写真101点を収録。彼の手で丁寧に選び取られた「日本写真」の超名作と、それぞれに付された「深読み」が、150年にわたる壮大な写真史の広がりを浮かび上がらせる。
MP1 artist's book Expanded Retina│拡張される網膜
写真を主とした制作活動を行う美術家エグチマサル・藤本涼・横田大輔・吉田和生と、批評家・星野太(表象文化論)によるプロジェクト「MP1」初のアーティストブック。2012年1月21日よりG/P gallery(恵比寿)にて開催された同名の展覧会に合わせての出版された。MP1メンバーと飯沢耕太郎(写真評論家)・後藤繁雄(編集者)・粟田大輔(美術批評)・天野太郎(横浜美術館主席学芸員)との対談、伊藤俊治トークショー等を収録。
地域社会圏主義
高齢者や一人世帯がさらに増えていくすぐそこの未来、私たちは自身の生活とそれを受け止める器である住宅をどのようにイメージし、また獲得していくことができるのか。2010年春に刊行され、話題をよんだ『地域社会圏モデル』から大きく一歩踏み込んで、2015年のリアルな居住像を提案する。上野千鶴子(社会学)、金子勝(経済学)、平山洋介(建築学)との対談も収録。[INAX出版サイトより]
富士幻景──近代日本と富士の病
古来から日本人の崇敬を集めた富士山が、幕末以降の近代化と対外戦争のプロセスの中で国家の山へと変容していく様子を写真や印刷物340点から辿る。IZU PHOTO MUSEUMで2011年に開催された「富士幻景──富士にみる日本人の肖像」展関連書籍。
あなたとわたし わたしとあなた──知的障害者からのメッセージ
みんな、生きているんだ。──東京・恵比寿で約30年間、知的障害者の生活支援を続けている特定非営利活動法人ぱれっと。そこで、働き、くらし、遊ぶ、知的障害者の人たち。それぞれが人として一生懸命生きている姿を、60点を超える写真から感じ取っていただけたら。そして、障害のあるなしではなく、全ての人があたり前に生きていける社会を考えるための写真絵本です。[小学館サイトより]
2012/02/15(水)(artscape編集部)
今和次郎 採集講義
会期:2012/01/14~2012/03/25
パナソニック汐留ミュージアム[東京都]
考現学の今和次郎の展覧会。全国各地の農村の暮らしや文化を詳細に書きとめたフィールドノートや写真、民家を再現した模型、都市の風俗の細部を記録したメモや地図、さらには住宅の設計図など、270点あまりを一挙に展示した。合板パネルを組み合わせてつくった会場をじっくり丁寧に見ていくと、画家であり、建築家であり、デザイナーであり、そして何より足を使ったフィールドワーカーだった今の全貌に迫ることができる。フリーハンドの線で緻密に描かれた絵や図や像は、いくら見ていても飽きることがないほど、じつに美しい。線だけではない。1枚の四角い紙面に必要なイメージとテキストを満遍なく盛り込むバランス感覚も抜群で、その的確な構成力には何度も唸らされた。こうした今の手わざを支えていたのが、「生活改善」という言葉に示されているように、前近代的で封建的な農村文化を克服する思想としての近代だったが、現代社会がむしろ近代の隘路に陥り、新たな方向性を見失っていることを思えば、私たちはいま、今が改善する必要を見出した前近代を、改めて検証するべきではないだろうか。考現学というパースペクティヴは、都市文化を仔細に見るためだけではなく、いままさに疲弊している農村文化を再興するためにこそ、有効に使えるはずだ。そこに、考現学のアクチュアリティーがある。
2012/01/29(日)(福住廉)