artscapeレビュー

その他のジャンルに関するレビュー/プレビュー

縄文人展 芸術と科学の融合

会期:2012/04/24~2012/07/01

国立科学博物館 日本館1階企画展示室[東京都]

縄文人の骨を見せた展覧会。さほど大きくない会場の中央には、男性と女性のほぼ全身の骨格がガラスケースの中にそれぞれ展示され、彼らの骨の細部をとらえた上田義彦による写真がその周囲に貼り巡らされた。おもしろいのは、解説文と写真、そして骨そのものをあわせて見ることによって、縄文人の暮らしや文化、時間、そして人生がまざまざと浮き彫りになるところ。それが、残された骨からさまざまな情報を読み取る研究者による解説文に由来していることはまちがいない。上田によって撮影された美しい写真も大きく寄与しているのだろう(丸い石かと思ったら頭蓋骨の頭頂部だった)。だが、それ以上に、印象に残ったのは、やはり骨という物質そのものである。この存在感と説得力はとてつもなく大きく、だからこそ私たちは、縄文人という人間が、かつて、確かに生きていたことに思いをめぐらせることができたのである。「芸術と科学の融合」というより、文字と写真、そして物質が有機的に統合されることによって、私たちの想像力を刺激した、きわめて良質の展覧会である。

2012/06/30(土)(福住廉)

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「JCDデザインアワード2012」公開審査

東京デザインセンターガレリアホール[東京都]

東京デザインセンターにて、JCDデザインアワード2011の審査を担当した。今年の特徴は、アジアから力強い造形をもつ作品がかたまりになって応募されたこと。個人的には一押しがなく、最後に残った金賞の6作品もあまり予想しなかった展開だった。ファイナルの審査で議論になったのは、主に以下の3作品である。藤井信介の「鎌倉萩原精肉店」は、店主の顔がいい。これも含めてインテリア・デザインがなされている。建築的には、新しい空間の形式を大胆に提案しているという点において、HAP+米澤隆の「公文式という建築」が評価できるだろう。一方、宇賀亮介の「まちの保育園」の応募パネルは、スナップ写真を多く貼り、建築のデザインよりも、人々のアクティビティを伝えようとしていた。即決で結果を出すなら、精肉店か公文式だろう。が、議論が長引くに連れて、だんだんと保育園のおもしろさがわかってくる。噛めば噛むほど味がでるのだ。まちとつなぐための建築の構成にも提案がある。写真一発のデザインではない。だが、デザインが社会に対してできることへの可能性を切り開く。このことが審査員のあいだで共有されたとき、僅差で「まちの保育園」が大賞に選ばれることになった。

2012/06/23(土)(五十嵐太郎)

日本橋 描かれたランドマークの400年

会期:2012/05/26~2012/07/16

江戸東京博物館[東京都]

ポストモダン美学論の古典として読まれている『反美学』で、編者のハル・フォスターはポストモダニズムを次の2つに区別している。すなわち、「反動のポストモダニズム」と「抵抗のポストモダニズム」。フォスターのねらいは、前者に傾きがちなポストモダニズムの重心を後者に引き戻すことにあり、そのために集められたロザリンド・クラウスやダグラス・クリンプ、ジャン・ボードリヤールやエドワード・サイードらによる論考は、80年代以後のアートシーンに決定的な影響を与えた。
だが、この書物が発行されておよそ30年が経ったいま、フォスターが設定した二項対立の図式は、はたしてどこまで有効なのだろうか。とりわけ、東日本大震災によって近代の価値観と社会システムの破綻を目の当たりにした私たちにとって、その図式じたいが、なにやら疑わしいものに見えてならない。なぜなら、フォスターの言う「抵抗」は、今となっては彼が批判的に退けた「反動」のなかにこそ内臓されているように思えるからだ。より具体的に言い換えれば、「反動のポストモダニズム」──ハーバーマスの言う新保守主義や前近代への回帰主義を、いま一度冷静に吟味することによって、「反動のポストモダニズム」と「抵抗のポストモダニズム」という図式そのものを脱構築する必要があるのではないか。
本展は、400年にわたる「日本橋」の歴史的変遷を、それを描いた浮世絵や版本、絵巻、写真、数々の資料から解き明かした好企画。歌川広重や葛飾北斎らによって描かれた日本橋からは江戸の賑やかな文化が感じられる。美しく湾曲した橋の上を鮮やかな装いの人びとが行き交い、橋のたもとにある魚河岸にはおびただしい舟が接岸し、遠景には江戸城と富士山のシルエットが望める。やや平凡な言い方になるが、街の喧騒が聴こえてくるかのようだ。
描かれた日本橋を見ていて心に焼きつけられるのは、日本橋に代表される江戸文化の華やかな祝祭性である。それがやけに輝いて見えるのは、前近代へのロマンチックな憧憬にすぎないのかもしれない。だが、翻って考えてみると、これだけ幸福感に満ちた視覚文化を、現在の私たちは描き出すことができるだろうか。私たちは、江戸の人びとがそうしたように、この時代を肯定的に表現すること(そして、結果としてそのことを後世に伝えること)が、もはやできなくなってしまった。むしろ、豊かなイメージやリアリティは、もしかしたら「反動」や「伝統」、あるいは「保守」として十把一絡げに打ち捨てられてきたもののなかに残されているのではないだろうか。いま、「江戸ルネッサンス」ともいうべき回帰の潮流が生まれつつある。

2012/06/21(木)(福住廉)

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今和次郎「採集講義──考現学の今」

会期:2012/04/26~2012/06/19

国立民族学博物館[大阪府]

画家、建築家、デザイナーでもあり「考現学」の創始者である今和次郎。民家研究をはじめ、関東大震災後は街と人々の生活の変化を観察、記録、分析し、戦後は「生活学」や「服装研究」といったことも行なっていた。今展はそのさまざまな活動と生き方を軸に、「みんぱく」の調査研究のあゆみとの関係やその成果を紹介するもの。会場には、今の数々のスケッチやドローイングとともに、モンゴルのゲルの家財に関する梅棹忠夫の研究成果と最新の調査との比較、考現学創始当時の洋装、みんぱく開館当時に行なわれた民家模型製作のための民家調査資料など、みんぱくで進められてきたさまざまな資料や研究が展示されていた。なにしろ展示のボリュームがすごい。特に、詳細な今のスケッチを一つひとつじっくり見ていくと何時間もかかるほどなのだが、建築物や人々の生活、衣服の観察、そこでの問題意識などがうかがえるそれらはどれも興味深く、またドローイングそのものが魅力的。関東大震災後、人々が瓦礫のなかからありあわせの材料でこさえたバラックのスケッチをはじめ、建築家やデザイナーとしての活動にも、今の人となりと眼差しがうかがえる。じつに見応えのある内容だった。

2012/06/17(日)(酒井千穂)

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第7回ベルリン・ビエンナーレ

会期:2012/04/27~2012/06/01

KW Institute for Contemporary Art[ドイツ・ベルリン]

政治色を強く打ち出した過激な内容で話題になったのが、ベルリン・ビエンナーレである。メイン会場のエントランスには、ここはミュージアムではなく、活動の場なのだと書かれており、あちこちにアジテーションのチラシが貼られ、絶えず討議が行なわれていた。学生運動が盛んだった頃の大学のキャンパスのような雰囲気であり、個人的には駒場寮の空間が思い出される。次のビエンナーレのディレクターは動物にやらせろ、といった落書きで埋め尽された元教会の会場も強烈だった。巨大画面に投影された妊娠から出産までのジョアンナ・ラジコフスカによる映像作品《born in berlin》は、ただのプライベートな出産ビデオのようでもあり、これもアートか? という古典的な問いを発する。もっとも印象的だったのが、道路を黒い壁で遮断した作品だ。本当によく実現させたと感心したのだが、車の交通を止め、しかも街の階層の差も可視化している。その結果、この壁はまわりの憎悪を引き受け、落書きだらけになっていた。実際、この作品は広く物議をかもし、近くの商店の売上げも落ちたことから、会期の終了を待たずに撤去される。だが、与えられたハコの中で60年代の熱気を再現したような他の作品や活動に比べて、社会と直接的に向きあい、破壊されたという点において黒い壁の試みを評価したい。ベルリン・ビエンナーレのキュレーターであり、美術家のアルチュール・ジミエフスキーと面会する機会を得たが、アートはツールだと言い切っていた。

写真:上=落書きだらけの教会、下=道路を遮断した黒い壁

2012/06/02(土)(五十嵐太郎)