artscapeレビュー
ウィル・タケット『兵士の物語』
2015年08月01日号
会期:2015/07/24~2015/08/02
東京芸術劇場 プレイハウス[東京都]
ストラヴィンスキーの音楽をともなって、このバレエ音楽劇が最初につくられたのは1918年。第一次世界大戦が終結した年であり、ダダイスムが世を賑わしはじめた時代である。その時代の独特な厭世観やアイロニーが、1時間強の舞台に充満していた。演出・振り付けは『鶴』(2012年)で首藤康之に振り付けたウィル・タケットであるとしても、バレエ・リュスや当時の表現ダンスを連想させる、いわゆるバレエ的な審美性から逸脱した動きがちりばめられていた。「ミュージカル」というよりはそうした芸術性のほうが濃密な舞台。ひょっとしたら、そこに受け容れ難さを感じてしまうミュージカル・ファンもいたかもしれない。そうしたファンにとってアダム・クーパーの存在は一服の清涼剤だったろう。女性的な表情を湛えたラウラ・モレーラのダンスには上記したようなアイロニーが的確に盛り込まれているのだが、主人公のアダム・クーパーにはこの要素はほとんど見られない。クーパーのダンスはまるでクジラのよう。ゆったりと踊り、マイペース。クーパーによってこの劇がもたらす「ひずみ」は軽減される。彼が踊ると、舞台は「芸術」へと傾く代わりに娯楽性が勝利する。それにしても、お話が奇妙だ。主人公の兵士は、悪魔にバイオリンを渡す代わりに本を手渡される。本には財テクの指南が記されており、兵士はそそのかされる。金は手にできたが幸福から遠ざかってしまった兵士は、本を手放し、「王女」と恋に落ちて、幸せを手にしそうになる。幸福の象徴である故郷を目指す最中、悪魔に襲われてしまう。それがラストシーン。牧神にも似た毛むくじゃらの悪魔との死闘は、アクション映画を見すぎた目には滑稽にしか映らない。この滑稽さが本作の寓話的でアイロニカルな傾向に相応しいものなのかどうか? と思いめぐらしているうちに、暗転してしまった。先に述べたような、モレーラとクーパーのちくはぐさは、本作の豊かさでもあるのだろうし、戸惑わされる要素の象徴でもあった。ともあれ、ストラヴィンスキーの音楽がすべてを凌駕して、圧倒的な力を放っていた。
2015/07/29(水)(木村覚)