2023年12月01日号
次回12月15日更新予定

artscapeレビュー

写真に関するレビュー/プレビュー

新山清:Vintage Photographs 1948-1969

会期:2023/07/05~2023/07/29

スタジオ35分[東京都]

先月、Alt_Mediumで展覧会を開催したばかりの新山清の作品を、今度は東京・新井薬師前のスタジオ35分で見ることができた。今回の展示でも、新たな切り口が提示されている。新山が残した1948年から1969年まで制作のヴィンテージ・プリントから、写真家の畠山直哉が20点をセレクトして展示したのだ。

畠山は、以前から新山の写真に関心があったようだが、スタジオ35分の酒航太の依頼によるセレクションは、多分に偶発的なものだった。だが結果的には、いかにも畠山らしい、厳密な造形意識と遊び心が融合した作品が選ばれており、新山清の作品世界の解釈に新たな観点を打ち出していた。畠山は展覧会に寄せたテキストで「歴史的及び文献学的なパースペクティブに基づく客観的価値判断は、ほとんどおこなわれておりません」と書いているが、おのずと畠山が追い求めていた被写体のフォルムを強調する、モダニズム的な写真創作の原理を体現した作品が中心になった。だがそれだけではなく、写真を撮ること、プリントすることの歓びが溢れ出ているような作品が多く、畠山自身も驚き、愉しみつつセレクトしている感触が伝わってきた。特に、新山が不慮の死を遂げる直前の、1969年に台湾で撮影したという岩や山羊の群れの写真に、心惹かれるものを感じた。

先にも書いたように、新山清の作品世界を多面的、かつ総括的に検証すべき時期が来ているのではないだろうか。より大きな会場での回顧展をぜひ見てみたい。


公式サイト:https://35fn.com/exhibition/kiyoshi-niiiyama-exhibition/

関連レビュー

新山清「松山にて」|飯沢耕太郎:artscapeレビュー(2023年07月15日号)

2023/07/12(水)(飯沢耕太郎)

金川晋吾『長い間』

発行所:ナナルイ

発行日:2023/04/27

金川晋吾の2016年の写真集『father』(青幻舎)には、奇妙な揺らぎを含み込みこんで、ずっと長く目に残り続ける写真がおさめられていた。金川が撮影した「失踪を繰り返す父」の写真と、父が毎朝、自分にカメラを向けて撮影したセルフ・ポートレイト群を見ていると、人間という存在にまつわりつく不可解さ、とりとめのなさが、じわじわと滲み出してくるように感じたのだ。

その金川の新しい写真集『長い間』にも、同じような感慨を覚える。今回、彼が撮影したのは、家を出たまま20数年のあいだ行方不明になっていたという伯母(父の姉)の「静江さん」である。病院に収容された彼女を、2010年から繰り返し訪れて撮影したポートレイト(外出時の写真も含む)と、書き留めていた日記の文章が、ハードカバーの写真集におさめられている。撮影の仕方に特定のルールはなく、少しずつ老い衰えて、2020年には死に至る約10年間の「静江さん」の姿が、淡々と写しとられていた。本書と同時期に出版された写真・エッセイ集『いなくなっていない父』(晶文社)に、金川は「写真という場においては、父という人間のその都度の個別具体性が前景化してくる」と書いているが、まさに今回もそんなふうに撮影された写真群といえるだろう。

逆にいえば、その「個別具体性」はほかに置き換え難い、絶対的としか言いようのないものであり、写真になんらかの意味づけを求めようとする読者の期待は、何度となく裏切られてしまうことになる。金川は性急に答えを求めることなく、まさに撮りながら考え、その思考を被写体となった「父」や「静江さん」に投影しながら、あえて迂回するようにして撮影を続けていった。このようなポートレイトの連作は、ありそうであまりないのではないかと思う。

関連レビュー

金川晋吾『いなくなっていない父』|星野太:artscapeレビュー(2023年08月01日号)
金川晋吾『いなくなっていない父』|山﨑健太:artscapeレビュー(2023年07月01日号)
金川晋吾「長い間」|飯沢耕太郎:artscapeレビュー(2018年03月15日号)
金川晋吾『father』|飯沢耕太郎:artscapeレビュー(2016年03月15日号)

2023/07/12(水)(飯沢耕太郎)

M+と香港故宮文化博物館

[香港]

遅れてきたがゆえに、トップランナーに躍り出たのが、巨大な美術館の《M+》(2021)である。まさか香港で現代美術やデザインの先端的な展示を見る日を迎えるとは思わなかった。しかもいまや物価は日本よりも香港の方が高い。上階のレストランではなく、カフェでハンバーガーとビールを注文したら、なんと4500円である。ともあれ、ヘルツォーク&ド・ムーロンらが設計したM+は、海辺のロケーションを最大限に生かし、対岸のビル群を眺める視点場をあちこちに設けると同時に、上部のヴォリュームをスクリーンとすることで、香港サイドからの見え方も工夫されていた。M+へのアクセスは、四方に開かれており、入場料を払わなくても体験できる公共空間がとにかく広い(東京の某公立美術館では、ロビーで待ち合わせをしていたら「入場しないなら帰れ」と言われたことがある)。地下に展示されていた草間彌生のインスタレーションも、吹き抜けを介して、覗き込むと楽しめる。



M+



吹き抜けから地下の展示を見る




外の大階段


M+の2階は数多くの部屋を備え、コレクションをベースとする、中国近現代美術史とアジア圏の建築・デザイン史を扱う二つの展覧会を開催していた。前者は、社会主義リアリズム、そのポップアート的な流用、1985年のニューウェーブ、1989年の前衛的な中国現代芸術展、90年代の北京東村など、とりあえずの流れを学べる。さすがに現政権を批判するような作品はないが、過去の作品については、思っていた以上にバラエティに富む。後者は、倉俣史朗の寿司店を移築したことや、アーキグラムのアーカイブを購入したことでも有名だが、かなりの量の日本の作品を含む。1960年代のメタボリズムから80年代の広告、家具、インテリア、電気製品など、いかに日本のデザインが熱気を帯びていたか、またアジアに影響を与えたのかを理解できる。本来であれば、その発信地だった東京に、こうした作品が常設で並ぶミュージアムがあるべきだった。しかし、日本がその価値をちゃんと理解できないなら、海外への流出は仕方ないのかもしれない。



再現された1989年の中国現代芸術展



アーキグラムの展示



芦原義信による《ソニービル》(1966)のルーバーとウォークマン



外が見える展示室/菊竹清訓のエクスポタワーのパーツ


なお、入場者数だけでいえば、M+よりも向かいに誕生した《香港故宮文化博物館》(2022)の方が、伝統的な美術の展示によってより多くの人を集めていた。もっとも、金と赤を外観に使う中国風の建築の意匠と空間は、特筆すべきものではない。また展示空間の設計にお金を掛けられるのはうらやましいが、そのデザインはやや空まわり気味だった。



香港故宮文化博物館



M+:https://www.mplus.org.hk/en/
香港故宮文化博物館: https://www.westkowloon.hk/en/hkpm?venues=Hong+Kong+Palace+Museum&venue_tab=overview

2023/07/09(日)(五十嵐太郎)

ソール・ライターの原点 ニューヨークの色

会期:2023/07/08~2023/08/23

ヒカリエホール[東京都]

日本では2017年、2020年に続いて三度目になるソール・ライター展。これまでのBunkamuraザ・ミュージアムからヒカリエホールに移って、展示スペースも大きくなり、より「見せる」要素が強まってきた。それに伴って、ソール・ライターというやや特異なキャリアの写真家の広がりのある作品世界が、さらに細やかに、かつ華麗に展開されていた。

展示は以下の全5部から構成される。初期のモノクローム作品から成る「ストリート」、マース・カニングハム、ジョン・ケージ、アンディ・ウォーホルら1950年代から60年代に交友があったアーティストたちのポートレイトによる「アーティスト」、『ハーパーズ・バザー』誌などに掲載されたファッション写真の仕事を集成した「ソール・ライターとファッション写真」、画家としての仕事とカラーのスナップ写真とを対比する「カラーの源泉──画家ソール・ライター」、さらにエピローグとして、2013年の死去まで暮らしていたイースト・ヴィレッジの部屋を再現した「終の棲家」である。そして最後のパートには、「カラースライド・プロジェクション」のスペースが設けられ、彼の代表作が10台のプロジェクターで壁に大きく投影されていた。

オリジナルの『ハーパーズ・バザー』誌のページをそのまま開いて展示した「ソール・ライターとファッション写真」のパートも見応えがあったが、特に冒頭の「ストリート」のパートに並ぶ黒白のスナップ写真に、心揺さぶられるものを感じた。2017年のソール・ライター展のキュレーションを担当した、ポーリーヌ・ヴェルマールの言葉を借りれば、ソール・ライターの初期モノクローム作品は「実存的」である。路上の人物や事物は、黒々とした塊となり、個々の意味を剥ぎ取られたただの「存在」として、光と影の狭間に浮かび上がる。カメラを手に街を彷徨うソール・ライターの、孤独な魂が宿っているような何枚かの写真が、忘れ難く目に残って離れない。


公式サイト:https://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/23_saulleiter/

関連レビュー

ニューヨークが生んだ伝説の写真家 永遠のソール・ライター|飯沢耕太郎:artscapeレビュー(2020年02月01日号)
ニューヨークが生んだ伝説 写真家ソール・ライター展|飯沢耕太郎:artscapeレビュー(2017年05月15日号)

2023/07/09(日)(飯沢耕太郎)

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開館20周年記念展 ワールド・クラスルーム:現代アートの国語・算数・理科・社会

会期:2023/04/19~2023/09/24

森美術館[東京都]

会場に入って最初に遭遇したのは「国語」と半立体で示された大きな文字と、ジョセフ・コスースの《1つと3つのシャベル》(1965)だった。シャベルの実物と、シャベルの写真と、英語の辞書に掲載された「シャベル」の定義が並んでいる。いずれも作家が作成したものではない。シャベルの絵だったら「美術だ」とわかりやすいだろうか。いや、美術とは、ものそのものではなく、何かを表現したものでしかなかったのだろうか。芸術はイメージのみでなく、概念そのものをこそ扱うという作品だ。なぜこれが国語と位置付けられたのか。

コンセプチュアル・アートの金字塔から入って、本展は150点以上の作品が所狭しとひしめいている。映像作品も多く、すべてを余すことなく視聴しようとしたら休憩を挟みながら1日必要なほどだ。しかしながら、その多くが収蔵作品ということもあるからか、キャプションでの作品説明が行き届いているため、例えば、スーザン・ヒラ―による映像作品《ロスト・アンド・ファウンド》(2016)を30分見続けなくてはならない、と思う人はいないはずだ。

この作品は、さまざまな消失した、あるいは失われつつある言語を話す人々の話を収録し、その声とその波形を映像にしたものである。鑑賞体験の99%以上は結果的に英語を基点とした翻訳(日本語での字幕はきっと、英語からの翻訳だろう)で把握可能になるが、キャプションにあったとおり、それは帝国主義や植民地主義が押しつぶしてきた言語の歴史と表裏一体である。こうなってくると、背後にある、いまさっき見たコスースの英語の使用が透明な媒体に思えなくなってくる。だからこの二つは「国語」になくてはならなかったのだろう。

スーザン・ヒラ―の暗室を出てすぐにあるのは、米田知子の「見えるものと見えないもののあいだ」シリーズだ。例えば、フロイトの眼鏡のレンズを通してユングのテキストを見るという構図の写真であるのだが、活字にしても、それが誰にとってどう見えるのかという個人のありようが、無味乾燥な活字に意味を与える。

続くのはミヤギフトシの《オーシャン・ビュー・リゾート》(2013)。沖縄出身のある男はなぜアメリカに渡ったのか、だれをどう恋しく思っているのかを英語のモノローグで綴る。隣のイー・イランはボルネオ島のさまざまな織手と協働制作を行なっており、本展の《ダンシング・クイーン》(2019)は竹でできた巨大なタペストリーだ。そこにはABBAなど世界的な流行曲の歌詞が英語で織り込まれ、キャプションではABBAやレディ・ガガの音楽が「織手の生活へ寄り添ってきた」ものであることが示されていた(2021年のABBAのニューアルバムはマレーシアを含む世界40カ国と地域でiTunes1位を獲得した)。イランの作品とミヤギの作品、それぞれにとって一定の意味をもつ英語という言語で受容してきた文化のあり方に、四方八方へと心が揺さぶられる。

「国語」というより、コスースならイデア論を引いて「哲学」、ミヤギなら歴史を踏まえて「社会」なのではないかという疑問も確かにありつつ、「国語」とカテゴライズされることで作品が相互に反響し合っている。このように、作品が並ぶことで意味を引き出し合うキュレーションが本展の膨大な作品の並びにおいて、幾度となく現われていた。

すべてに触れることはできないが、収蔵品が多いこともあり、本展の作品の一端は森美術館のウェブサイト「コレクション」で詳細なキャプションと一緒に伺うことができる。アイ・ウェイウェイの《漢時代の壷を落とす》(1995)、ヴァンディー・ラッタナの写真作品「爆弾の池」シリーズなどなど、本展を見る機会が得られなかったという人にも、ぜひ見てほしい。

ただし、本展のなかで取り扱い上、ひとつ浮いていたと思われるのが、笹本晃の《パフォーマンス記録映像 ストレンジアトラクターズ》(2010)ではないだろうか。本作についてはいつか別稿で取り上げたいと思う。

本展は2000円で観覧可能でした。なお、土日祝は2200円だったそうです。



★──ユニバーサル ミュージック合同会社「ABBA、40年ぶりのニュー・アルバム『ヴォヤージ』が日本で42年5か月ぶりのTOP5入り!」(『PR TIMES』2021.11.10)2023.9.25閲覧(https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000001482.000000664.html



公式サイト:https://www.mori.art.museum/jp/exhibitions/classroom/02/index.html

2023/07/01(土)(きりとりめでる)

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