artscapeレビュー
写真に関するレビュー/プレビュー
浜昇「From Scratch」
会期:2023/09/05~2023/09/19
浜昇が、自ら主宰する写真公園林から1990年に刊行した『フロムスクラッチ』はとても好きな写真集だ。写っているのは、街を徘徊するなかで見出された小さなスクラッチ(傷)である。壁やガラス窓や道路などを含む日常の事物の表面に、微かなスクラッチを見出し、それらにカメラを向けてシャッターを切る、ただそれだけの行為の集積だが、そこにはじつに味わい深い眺めが出現していた。スクラッチそのものは、意図的というよりは偶発的にできあがったものだろう。だが、その事物の材質、光の状態、反射や映り込みなどが相まって、偶然とは思えない精妙なテクスチャーが浮かび上がってくるのだ。
今回の展示で、1970年代後半から80年代初頭にかけて撮影されたこのシリーズに、時代的な背景があったことがわかった。1960年代末から70年代初頭にかけての、イデオロギー主導の「政治の季節」の終焉とともに、これみよがしのテーマや方法論を前面に押し出すのではなく、むしろ個々に「穴」を穿つような姿勢があらわれてくる。そこに、浜の展覧会のためのコメントを引用すれば、「反権力でも反エスタブリッシュメントでもない、コンセプチュアルフォトでもない、1970年代のドキュメント」が成立していった。人やモノそのものではなく、むしろその痕跡に目を向けた本シリーズも、「この時代のリアル」をミニマムに追求する傾向のあらわれだったということだろう。
35ミリのフィルムで撮影され、黒枠をつけて8×10インチサイズに引き伸ばされた写真群(未発表作を含む)のたたずまいは、饒舌ではないが説得力がある。あらためて注目してよいシリーズといえるのではないだろうか。
浜昇「From Scratch」:https://pg-web.net/exhibition/from-scratch/
2023/09/06(水)(飯沢耕太郎)
吉田多麻希「Brave New World」
会期:2023/09/02~2023/10/29
東條會舘写真研究所[東京都]
2022年の京都国際写真祭で開催された「10/10 現代日本女性写真家たちの祝祭」展で、吉田多麻希の「Brave New World」シリーズを初めて見たとき、なかなか面白い仕事だと感じた。野生動物を被写体にしているにもかかわらず、いわゆる「動物写真」の範疇にはおさまることのない、ピクトリアルな画面構成が新鮮な驚きだった。その後、同年度の木村伊兵衛写真賞の最終候補にノミネートされるなど、注目を集めつつある彼女の同シリーズを、今回の個展でまとめて見ることができた。
会場となった東京・半蔵門の東條會舘は、創業111年という歴史を誇る名門の写真館である。その暗室や地下スペースのたたずまいを活かしつつ、吉田の作品世界の可能性をさらに大きく広げようとしている。その試みは、とてもうまくいっていたのではないだろうか。インスタレーションとして、見応えのある展示になっていた。今回が本格的な写真の個展としては最初だそうだが、今後もぜひ意欲的な展覧会を開催していってほしい。
ただ、ネガフィルムの現像に失敗して、染み(ムラ)ができてしまった画像を、「それはまさしく、わたしたちが自然に対して行なっている行為そのものだった」と捉え返し、作品制作行為の根幹に置くというコンセプトについてはやや疑問が残る。作品を見ると、エコロジー的な視点は言い訳に過ぎず、むしろ動物たちのイメージを「材料」として、視覚的な効果を追求しているようにしか見えないからだ。逆に、その反自然的な破壊行為をより徹底して追求することで(現時点ではまだ中途半端)、自然そのもののコントロール不可能な様相が、よりクリアに見えてくるのではないかとも思える。さらなる展開を期待したい。
東條會舘写真研究所:https://www.instagram.com/tojo_kaikan_photo_lab/
関連レビュー
KYOTOGRAPHIE 京都国際写真祭 2022|飯沢耕太郎:artscapeレビュー(2022年06月15日号)
2023/09/05(火)(飯沢耕太郎)
レスリー・キー「LIFE」
会期:2023/08/22~2023/10/03
キヤノンギャラリーS[東京都]
シンガポール生まれのレスリー・キーは、リチャード・アヴェドンに憧れて写真家になることを志し、1994年に来日して東京ビジュアルアーツで学んだ。同校卒業後は、日本に居を定めて作品発表を続けている。
2000年代以降、レスリーが主に活動の舞台にしてきた広告・ファッション写真のジャンルは、かなり厳しい状況に陥りつつある。新聞や雑誌などの印刷媒体に広告を出す企業の意欲が減退し、ネット広告にシフトしていくなかで、かつてのような「夢」を生み出し、共有していくような広告・ファッション写真家の仕事も、大きな影響を受けざるをえなくなった。そんななかで、レスリーのポジティブなエネルギーを感じさせる写真のあり方は、逆に際立って見えてくる。25年間にわたって撮り続けてきた写真から、180点あまりを選んで展示した今回のキヤノンギャラリーSの個展でも、むしろ彼の写真表現の真っ当さが力強く伝わってきた。
セレブのモデルたちと向き合い、彼らのパワーを受け止めて投げ返したモノクロームのポートレートも悪くないが、レスリーの写真の真骨頂といえるのは、カラーの群像写真のほうだと思う。こちらの写真群には「主役はない」。だが、グループとしてのまとまりをきちんと打ち出しながらも、一人ひとりの生の輝きもしっかりと捉えきっている。批評するのではなく、モデルの発するパワーを受けとめ、投げ返すという姿勢を、どの作品からも感じとることができた。レスリーはいま、LGBTのポートレートを撮影する企画「OUT IN JAPAN」など、いくつかのパブリックな企画にも関わっている。今後は、いち写真家としての役割を超えた、多面的な活動も期待できそうだ。
レスリー・キー「LIFE」:https://canon.jp/personal/experience/gallery/archive/leslie-50th-sinagawa
2023/09/04(月)(飯沢耕太郎)
柴田敏雄「DAY FOR NIGHT」
会期:2023/09/02~2023/10/01
POETIC SCAPE[東京都]
柴田敏雄は、東京藝術大学大学院美術研究科を修了後の1975〜79年にベルギー・ゲントに留学した。この時期に写真作品を本格的に制作し始めた彼は、帰国後も4×5インチ判の大判カメラで日本の風景を撮影しようと試みる。ところが、ヨーロッパの風景とのスケール感の違いに戸惑いを覚え、なかなか思ったような作品に結びつかなかった。今回、POETIC SCAPEで展示されたのは、1980〜88年にかけての、その試行錯誤の時期の作品群である。
特徴的なのは、昼だけでなく、夜の眺めにカメラを向けた作品がかなり多く含まれているということだ。パーキングエリア、歩道橋、ショーウィンドウなどを被写体にした作品群は、闇に滲むイルミネーションが強調されていることもあり、どこか叙情的といってよい雰囲気を感じさせる。昼の写真にも、都市の片隅の光景を即物的、スナップ的に切りとったものがある。この時期の柴田が、自らの視線の幅を拡張することで、彼自身の写真家としてのスタイルを見出していこうともがいていたことが伝わってきた。
すでに、のちに1992年に第17回木村伊兵衛写真賞を受賞することになる「日本典型」シリーズを思わせる、客観的かつ厳密な画面構成をめざした作品も散見される。だが、ヴィンテージ・プリント3点を含む展示作品、特に夜の写真群からは、逆に柴田の写真のなかに潜んでいた別の可能性を感じとることができた。もしこの方向性を伸ばしていけば、その後の彼の写真家としてのあり方も、かなり変わっていったのではないだろうか。
公式サイト:https://www.poetic-scape.com/#exhibition
関連レビュー
柴田敏雄 展──ランドスケープ|飯沢耕太郎:artscapeレビュー(2009年01月15日号)
2023/09/03(日)(飯沢耕太郎)
挑発関係=中平卓馬×森山大道
会期:2023/07/15~2023/09/24
神奈川県立近代美術館 葉山館[神奈川県]
1970年前後の中平卓馬と森山大道の写真をなんの予備知識もなくパッと見せられたら、どう思うだろうか? アレ、ブレ、ボケの写真はカッコイイと感じるかもしれないが、それはいまだからいえること。当時は(いまでも事情を知らない人には)ヘタな写真、失敗写真としか映らなかったはず。それがカッコイイと感じるようになるには、作品が生まれてきた文脈、つまり言葉が必要だった。もちろん写真に限らずあらゆる表現を理解するには言葉が必要だが、とりわけ彼らの写真には言葉が欠かせない。そうでなければ、この展覧会はモノクロのブレボケ写真ばかりが続く悲惨な写真展となっていただろう。
中平と森山が初めて会ったのは1964年のこと。同い年(1938年生まれ)で、ふたりとも逗子に暮らしていたという。葉山館で同展が開かれるゆえんだ。当初は中平が雑誌編集者、森山が写真家という関係だったが、中平も写真を発表するようになり、森山との「挑発関係」が生まれる。ふたりは競うように既成の写真概念を突き崩し、アレ・ブレ・ボケによる挑発的な「反写真」を次々と世に問うていく。
その方向性を端的に表わしているのが、カタログに再録された彼らの言説だ。「写真はピンボケであったり、ブレていたりしてはいけないという定説があるが、ぼくには信じがたい。第一、人間の目ですら物の像をとらえるとき、個々の物、個々の像はブレたり、ピンボケだったりしているのだ」(中平)。「何が写真なのか一点の懐疑も持ってない写真、つまりリアリティ欠落の写真、そんな写真へのボクの嫌悪と訣別の念(略)」(森山)。これだけでも従来の写真を否定し、根源から写真を捉え直そうとする彼らの意志が伝わってくる。
こんな言葉もある。「ただものがものとしてあること、そしてそれ以外の一切の人間的、情緒的な彩色をとりはらって、ものがものであるという一事に直面しようというひそかな欲望が、ぼくの中に生まれてきた」。これを読んで、李禹煥が書いたのかと勘違いしてしまった(実際は中平)。それほど同時代・同世代のもの派の思想──もののホコリを払ってあるがままの世界と出会う──とも通底していたのだ。
いや、わざわざ言説を探り出さなくても、彼らが1970年前後に出した写真集や書籍のタイトルを並べてみるだけでもいい。中平らが始めた同人誌『PROVOKE』(「挑発する」という意味)をはじめ、『来たるべき言葉のために』『まずたしからしさの世界をすてろ』『写真よさようなら』『なぜ、植物図鑑か』など、まるでアジテーションではないか。当時の時代性が色濃く現われている。
展覧会では、森山が撮ったホルマリン漬けの胎児の写真に、編集者だった中平がタイトルと文章をつけた「無言劇」から、中平の死後、ふたりが多くの時間を過ごした逗子、鎌倉、葉山界隈をスナップショットした森山の『Nへの手紙』まで、雑誌、写真集、ヴィンテージ・プリントなどが展示されている。写真がスライドのように次々と映し出されるコーナーがいくつかあるが、そのうち1カ所は延々と言説だけが流れていて、彼らにふさわしい構成だと思った。余談だが、森山の写真には「森山神社」「葉山大道」という地名が写っていて、ちょっと嬉しくなった。
公式サイト:http://www.moma.pref.kanagawa.jp/exhibition/2023-provocative-relationship
2023/09/01(金)(村田真)