artscapeレビュー

写真に関するレビュー/プレビュー

大橋愛写真展「お裁縫箱」

会期:2023/07/07~2023/07/23

Kanzan Gallery[東京都]

大橋愛の新作のテーマは「お裁縫箱」だった。DMにも使われた洋裁が好きな母親の裁縫箱を撮影したのがきっかけだったという。身近な友人からさらにその知り合いと、伝手を頼って100人の裁縫箱を撮影した。これだけ集まると、凝った木製のものから、当世風のプラスチックやジップロックまで、思った以上のヴァリエーションがある。しかもその一つひとつに、持ち主の個人史、特に家庭をホームグラウンドにした家族の歴史が絡み合い、結晶している。多様性と固有性とが絡み合った、とても面白い被写体を発見したということだろう。

写真の見せ方については、やや疑問がないわけではない。裁縫箱をスタジオに運び込んで、白バックで撮影したものが展示の中心なのだが、これだと、そのオブジェとしてのたたずまい、細部の造作はくっきりと見えてくるが、そこに纏わりついていたはずの「体臭」のようなものが抜け落ちてしまう。会場には、裁縫箱とそれを持つ人を、その場でクローズアップして撮影された写真を、帯のような布にプリントしてインスタレーションしていた。むしろこちらのほうが、それらがどこに、どのように存在していたのかという具体的な状況を、空気感を伴って伝えていた。難しい選択だが、こちらを主にすべきだったのではないだろうか。持ち主の情報をどこまで開示するか(写真集では名前のみ)も、一考の余地がありそうだ。

だが、このテーマは可能性を秘めている。裁縫箱は日本だけでなく、アジア諸国にも、あるいは冬の長い北欧などの国々などにもあるはずだ。それらを撮影していくと、各地域の暮らしのあり方(主に女性たちの)が、思わぬ角度から浮かび上がってくるのではないかと思う。展覧会に合わせて、HeHeから刊行された同名の写真集(デザイン:サイトヲヒデユキ)が素晴らしい出来栄えである。見返しを赤い糸でかがっているのだが、それは大橋の母親によるものだという。


公式サイト:http://www.kanzan-g.jp/eye_ohashi.html

2023/07/13(木)(飯沢耕太郎)

新山清:Vintage Photographs 1948-1969

会期:2023/07/05~2023/07/29

スタジオ35分[東京都]

先月、Alt_Mediumで展覧会を開催したばかりの新山清の作品を、今度は東京・新井薬師前のスタジオ35分で見ることができた。今回の展示でも、新たな切り口が提示されている。新山が残した1948年から1969年まで制作のヴィンテージ・プリントから、写真家の畠山直哉が20点をセレクトして展示したのだ。

畠山は、以前から新山の写真に関心があったようだが、スタジオ35分の酒航太の依頼によるセレクションは、多分に偶発的なものだった。だが結果的には、いかにも畠山らしい、厳密な造形意識と遊び心が融合した作品が選ばれており、新山清の作品世界の解釈に新たな観点を打ち出していた。畠山は展覧会に寄せたテキストで「歴史的及び文献学的なパースペクティブに基づく客観的価値判断は、ほとんどおこなわれておりません」と書いているが、おのずと畠山が追い求めていた被写体のフォルムを強調する、モダニズム的な写真創作の原理を体現した作品が中心になった。だがそれだけではなく、写真を撮ること、プリントすることの歓びが溢れ出ているような作品が多く、畠山自身も驚き、愉しみつつセレクトしている感触が伝わってきた。特に、新山が不慮の死を遂げる直前の、1969年に台湾で撮影したという岩や山羊の群れの写真に、心惹かれるものを感じた。

先にも書いたように、新山清の作品世界を多面的、かつ総括的に検証すべき時期が来ているのではないだろうか。より大きな会場での回顧展をぜひ見てみたい。


公式サイト:https://35fn.com/exhibition/kiyoshi-niiiyama-exhibition/

関連レビュー

新山清「松山にて」|飯沢耕太郎:artscapeレビュー(2023年07月15日号)

2023/07/12(水)(飯沢耕太郎)

金川晋吾『長い間』

発行所:ナナルイ

発行日:2023/04/27

金川晋吾の2016年の写真集『father』(青幻舎)には、奇妙な揺らぎを含み込みこんで、ずっと長く目に残り続ける写真がおさめられていた。金川が撮影した「失踪を繰り返す父」の写真と、父が毎朝、自分にカメラを向けて撮影したセルフ・ポートレイト群を見ていると、人間という存在にまつわりつく不可解さ、とりとめのなさが、じわじわと滲み出してくるように感じたのだ。

その金川の新しい写真集『長い間』にも、同じような感慨を覚える。今回、彼が撮影したのは、家を出たまま20数年のあいだ行方不明になっていたという伯母(父の姉)の「静江さん」である。病院に収容された彼女を、2010年から繰り返し訪れて撮影したポートレイト(外出時の写真も含む)と、書き留めていた日記の文章が、ハードカバーの写真集におさめられている。撮影の仕方に特定のルールはなく、少しずつ老い衰えて、2020年には死に至る約10年間の「静江さん」の姿が、淡々と写しとられていた。本書と同時期に出版された写真・エッセイ集『いなくなっていない父』(晶文社)に、金川は「写真という場においては、父という人間のその都度の個別具体性が前景化してくる」と書いているが、まさに今回もそんなふうに撮影された写真群といえるだろう。

逆にいえば、その「個別具体性」はほかに置き換え難い、絶対的としか言いようのないものであり、写真になんらかの意味づけを求めようとする読者の期待は、何度となく裏切られてしまうことになる。金川は性急に答えを求めることなく、まさに撮りながら考え、その思考を被写体となった「父」や「静江さん」に投影しながら、あえて迂回するようにして撮影を続けていった。このようなポートレイトの連作は、ありそうであまりないのではないかと思う。

関連レビュー

金川晋吾『いなくなっていない父』|星野太:artscapeレビュー(2023年08月01日号)
金川晋吾『いなくなっていない父』|山﨑健太:artscapeレビュー(2023年07月01日号)
金川晋吾「長い間」|飯沢耕太郎:artscapeレビュー(2018年03月15日号)
金川晋吾『father』|飯沢耕太郎:artscapeレビュー(2016年03月15日号)

2023/07/12(水)(飯沢耕太郎)

M+と香港故宮文化博物館

[香港]

遅れてきたがゆえに、トップランナーに躍り出たのが、巨大な美術館の《M+》(2021)である。まさか香港で現代美術やデザインの先端的な展示を見る日を迎えるとは思わなかった。しかもいまや物価は日本よりも香港の方が高い。上階のレストランではなく、カフェでハンバーガーとビールを注文したら、なんと4500円である。ともあれ、ヘルツォーク&ド・ムーロンらが設計したM+は、海辺のロケーションを最大限に生かし、対岸のビル群を眺める視点場をあちこちに設けると同時に、上部のヴォリュームをスクリーンとすることで、香港サイドからの見え方も工夫されていた。M+へのアクセスは、四方に開かれており、入場料を払わなくても体験できる公共空間がとにかく広い(東京の某公立美術館では、ロビーで待ち合わせをしていたら「入場しないなら帰れ」と言われたことがある)。地下に展示されていた草間彌生のインスタレーションも、吹き抜けを介して、覗き込むと楽しめる。



M+



吹き抜けから地下の展示を見る




外の大階段


M+の2階は数多くの部屋を備え、コレクションをベースとする、中国近現代美術史とアジア圏の建築・デザイン史を扱う二つの展覧会を開催していた。前者は、社会主義リアリズム、そのポップアート的な流用、1985年のニューウェーブ、1989年の前衛的な中国現代芸術展、90年代の北京東村など、とりあえずの流れを学べる。さすがに現政権を批判するような作品はないが、過去の作品については、思っていた以上にバラエティに富む。後者は、倉俣史朗の寿司店を移築したことや、アーキグラムのアーカイブを購入したことでも有名だが、かなりの量の日本の作品を含む。1960年代のメタボリズムから80年代の広告、家具、インテリア、電気製品など、いかに日本のデザインが熱気を帯びていたか、またアジアに影響を与えたのかを理解できる。本来であれば、その発信地だった東京に、こうした作品が常設で並ぶミュージアムがあるべきだった。しかし、日本がその価値をちゃんと理解できないなら、海外への流出は仕方ないのかもしれない。



再現された1989年の中国現代芸術展



アーキグラムの展示



芦原義信による《ソニービル》(1966)のルーバーとウォークマン



外が見える展示室/菊竹清訓のエクスポタワーのパーツ


なお、入場者数だけでいえば、M+よりも向かいに誕生した《香港故宮文化博物館》(2022)の方が、伝統的な美術の展示によってより多くの人を集めていた。もっとも、金と赤を外観に使う中国風の建築の意匠と空間は、特筆すべきものではない。また展示空間の設計にお金を掛けられるのはうらやましいが、そのデザインはやや空まわり気味だった。



香港故宮文化博物館



M+:https://www.mplus.org.hk/en/
香港故宮文化博物館: https://www.westkowloon.hk/en/hkpm?venues=Hong+Kong+Palace+Museum&venue_tab=overview

2023/07/09(日)(五十嵐太郎)

ソール・ライターの原点 ニューヨークの色

会期:2023/07/08~2023/08/23

ヒカリエホール[東京都]

日本では2017年、2020年に続いて三度目になるソール・ライター展。これまでのBunkamuraザ・ミュージアムからヒカリエホールに移って、展示スペースも大きくなり、より「見せる」要素が強まってきた。それに伴って、ソール・ライターというやや特異なキャリアの写真家の広がりのある作品世界が、さらに細やかに、かつ華麗に展開されていた。

展示は以下の全5部から構成される。初期のモノクローム作品から成る「ストリート」、マース・カニングハム、ジョン・ケージ、アンディ・ウォーホルら1950年代から60年代に交友があったアーティストたちのポートレイトによる「アーティスト」、『ハーパーズ・バザー』誌などに掲載されたファッション写真の仕事を集成した「ソール・ライターとファッション写真」、画家としての仕事とカラーのスナップ写真とを対比する「カラーの源泉──画家ソール・ライター」、さらにエピローグとして、2013年の死去まで暮らしていたイースト・ヴィレッジの部屋を再現した「終の棲家」である。そして最後のパートには、「カラースライド・プロジェクション」のスペースが設けられ、彼の代表作が10台のプロジェクターで壁に大きく投影されていた。

オリジナルの『ハーパーズ・バザー』誌のページをそのまま開いて展示した「ソール・ライターとファッション写真」のパートも見応えがあったが、特に冒頭の「ストリート」のパートに並ぶ黒白のスナップ写真に、心揺さぶられるものを感じた。2017年のソール・ライター展のキュレーションを担当した、ポーリーヌ・ヴェルマールの言葉を借りれば、ソール・ライターの初期モノクローム作品は「実存的」である。路上の人物や事物は、黒々とした塊となり、個々の意味を剥ぎ取られたただの「存在」として、光と影の狭間に浮かび上がる。カメラを手に街を彷徨うソール・ライターの、孤独な魂が宿っているような何枚かの写真が、忘れ難く目に残って離れない。


公式サイト:https://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/23_saulleiter/

関連レビュー

ニューヨークが生んだ伝説の写真家 永遠のソール・ライター|飯沢耕太郎:artscapeレビュー(2020年02月01日号)
ニューヨークが生んだ伝説 写真家ソール・ライター展|飯沢耕太郎:artscapeレビュー(2017年05月15日号)

2023/07/09(日)(飯沢耕太郎)

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