2023年05月15日号
次回6月1日更新予定

artscapeレビュー

写真に関するレビュー/プレビュー

潜在景色

会期:2022/11/19~2023/03/05

アーツ前橋[群馬県]

本展はコロナ禍もあって、開催が1年延期された。だが、そのことがむしろいい方向に働いたのではないだろうか。時間をかけて準備できたことが、個々の作家たちの出品作にも、展覧会全体のキュレーションにもプラスになったように思えるからだ。アーツ前橋の学芸員、北澤ひろみが企画・構成した本展に参加したのは、石塚元太良、片山真理、下道基行、鈴木のぞみ、西野壮平、村越としやの6名である。それぞれ実績のある作家たちだが、実は彼らのような「中堅作家」の作品をじっくり見ることができる機会は、特に公立の文化施設では意外に少ない。その意味でも、時宜を得た好企画といえるだろう。

石塚元太良はアラスカの石油パイプラインを撮影した旧作に加えて、廃業後に放置されたガソリンスタンドにカメラを向けた新作「GS_」を出品した。石油産業に支えられたモータリゼーションの社会構造が浮かび上がってくる。片山真理は2014、15年にアーツ前橋のレジデンス施設、堅町スタジオに滞在して制作した作品を中心に発表している。現在の彼女の仕事に直接つながる意欲作である。

下道基行は東日本大震災後に集中して撮影した、仮設の「橋」の作品群と、街を散策して得られた情報を参加者が書き記し、それらを重ね合わせて「見えない風景」を浮かび上がらせていく新シリーズを出品していた。鈴木のぞみの出品作は、前橋市内の廃業した理容店の扉、窓、鏡などからの眺めを感光乳剤で定着し、再構築したインスタレーションである。物質と映像の複合体というべきオブジェが、独特の魅力を発していた。

西野壮平は、都市や川をテーマにした旧作のコラージュ作品だけでなく、利根川を撮り下ろした新作を出品した。水面の様子を捉えた抽象的な作品など、新たな画面構成のスタイルを模索している。村越としやは、前橋市内の建物、倉庫、古墳などを撮影した新作「神鳴り、山を赤く染める」を発表した。モノクローム作品だが、潜在意識に浮かび上がる「赤」という色を引き出そうと試みている。

「潜在景色」すなわち「その場所に潜む見えない何か」をとらえるという写真の特性を踏まえた彼らの作品が、皆同じ方向を向いているわけではない。かなりバラバラな印象を与える展示だが、作品が相互に干渉し合うことによって、気持ちのよいハーモニーが生み出されていた。前橋を中心とした群馬県各地を巡る変奏曲という趣もあり、よく練り上げられた展示空間を楽しむことができた。なお、萩原朔太郎が撮影した前橋市内の写真に、それらに共鳴する萩原朔美、吉増剛造、木暮伸也の作品を加えた「萩原朔太郎大全2022 ─朔太郎と写真─」展も、同時期に併催されていた。


公式サイト:https://www.artsmaebashi.jp/?p=17949

2023/02/24(金)(飯沢耕太郎)

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初芝涼子「Consciousness」

会期:2023/02/20~2023/02/25

巷房[東京都]

初めて見る作家の展示だが、とても面白かった。1978年、千葉県生まれの初芝涼子は、桑沢デザイン研究所在学中から写真作品を制作し始め、東京を拠点に活動を続けている。今回は、巷房の3階、地下1階、階段下の3会場を全部使って、意欲的な展示を展開していた。

作品は5つのパートに分かれている。3階の巷房・1には、鯨やイルカなどのフィギュアを空中に浮かせて、「原初的な意識体験」を再現しようとした「Swim」と、抽象画やミニマルアートの作品を黒白印画に置き換える「境界線」が、地下1階の巷房・2には、マッコウクジラの寝ている姿を、フィギュアを使って撮影した「Whale」と、蓮の花を焼いて炭化させたオブジェをモチーフとする「黒の曼荼羅」が出品されていた。また階段下では、「Material」と題して、「黒の曼荼羅」で使った蓮のオブジェによるインスタレーションを試みていた。

作品はゆるやかに重なり合いながらも、それぞれ異なる領域を志向しており、全体としての統一感はそれほどない。だが、初芝自身がこれまで育て上げてきたさまざまな想念が、的確な技術とよく練り上げられた制作のプロセスを経て具現化しており、完成度はとても高い。「Swim」や「Whale」の、夢みがちな子どもに語りかけるようなスタイルは、たとえば写真絵本のようなものに発展していく可能性があるのではないだろうか。カジミール・マレヴィッチ、ドナルド・ジャッド、バーネット・ニューマンらの作品を踏まえた「境界線」も、より広がりのあるシリーズとして展開できそうだ。それらの作品世界が融合することで、さらに思いもよらない「何か」が出現してきそうな予感もする。


公式サイト:https://gallerykobo.web.fc2.com/194512/

2023/02/22(水)(飯沢耕太郎)

楢橋朝子「春は曙」

会期:2023/02/01~2023/03/18

PGI[東京都]

1989年は昭和から平成へと元号が変わった年である。楢橋朝子は早稲田大学第二文学部を卒業したものの、写真家としての道筋を掴みきれず、「手に職があるようなないような不安定な」状況にあった。それでもこの年、「春は曙」と題する連続個展を3回にわたって開催している。今回のPGIでの展示は、その個展出品作を中心としたもので、当時のネガからあらためてプリントしている。

6×6判と35ミリ判が混在する写真群は、基本的には旅の産物といえるだろう。青森県竜飛岬から沖縄・石垣島に至るまで、その足跡は日本各地に及んでいる。三宅島、御蔵島など、離島の写真も多い。観光名所のような場所はあまり写っていない。風景、看板、モノなどに向けられた視線は、呼吸するように伸び縮みし、視覚よりもむしろ触覚にこだわっている様子が見える。のちに最初の写真集『NU・E』(蒼穹舎、1997)にまとまってくる、楢橋特有の、不定形な生きもののような世界像が、少しずつ形をとり始めている。一人の写真家が、もがきつつその「文体」を作りあげていくプロセスが、個々の写真に刻みつけられているように感じた。

こういう展示を見ていると、揺るぎない作品世界を確立していく前の、むしろどう動いていくかわからないカオス状態の時期の仕事をふり返ることが、重要な意味を持っていることがわかる。もしかすると、この展示をきっかけにして、楢橋自身の写真家としてのあり方もまた、変わっていくのかもしれない。なお、展示にあわせてオシリスから同名の写真集が刊行された。


公式サイト:https://www.pgi.ac/exhibitions/8481

2023/02/20(月)(飯沢耕太郎)

佐喜眞美術館収蔵品展 ─戦争と戦争の狭間で─

会期:2022/11/16~2023/02/27

佐喜眞美術館[沖縄県]

沖縄県那覇市内から高速バスに乗って宜野湾市に向かう。2月というのに半袖で十分。バスを降りてアスファルトが割れ切った坂道を進んだ。陽の光をたっぷり浴びて力強く育った草木の間をマングースのようなネズミのようなものがガザガザガザガザ走り回る。しばらくして爽やかな住宅地と宜野湾中古車街道を抜け、佐喜眞道夫による佐喜眞美術館に到着した。

館内に入るとすぐに沖縄を代表する報道カメラマンの國吉和夫の作品が目に飛び込んでくる。米軍強制土地接収に反対する反基地運動を主導した阿波根昌鴻が自ら開設した私設反戦資料館である「ヌチドゥタカラの家」の前で撮影された肖像写真。大きくへこみのある沖縄戦当時の水筒。窓からの光を受けて写真が反射する。それぞれの写真には短いが端的な被写体についての説明書きがあって、読んだり見たりしながら、美術館の回廊を進む。窓のないホワイトキューブに入っていくと、兵士として送り出した息子、孫もまた戦死したドイツの版画家で彫刻家であるケーテ・コルヴィッツによる《女と死んだこども》をはじめとした喪失の様と、日本の版画家で彫刻家の浜田知明による自身の戦争の体験を描いた「初年兵哀歌」シリーズが向かい合うように並ぶ。奥には丸木位里に丸木俊……といずれも佐喜眞美術館の収蔵作品だ。

佐喜眞美術館のコレクションは、館長である佐喜眞の先祖の土地が米軍基地となり、そこで毎年国から支払われることになった地代で形成されている。企画文にあるとおり、本展における「戦争と戦争の狭間で」というのは、第二次世界大戦とロシア・ウクライナ戦争といった現状のみならず、作者たち、企画者たちが向き合ってきた戦争の狭間にある「いのち」のかけがえのなさにまっすぐに静かに向かい合うことを助けてくれる、この場そのものであった。屋上からみえる空は広く、直下にある米軍基地との境界を示すフェンスはところによって錆び、それを越えた路傍をマングースのようなものが駆け抜け、風が吹きつけた。

入館料は800円でした。


会場写真


会場写真



公式サイト:https://sakima.jp/exhibition/e2230571.html

2023/02/11(土)(きりとりめでる)

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それぞれのふたり 萩原朔美と榎本了壱

会期:2022/12/03~2023/04/09

世田谷美術館[東京都]

萩原朔美と榎本了壱は1969年に寺山修司が主宰する天井桟敷館(東京都渋谷区)で出会った。自主映画制作や共同事務所の運営を通じて関係が深まり、1974年の伝説的なカルチャー誌『ビックリハウス』の創刊に至る。その後も、付かず離れずの関係を続けて、萩原は多摩美術大学で、榎本は京都造形芸術大学(現・京都芸術大学)で教鞭を執るとともに、アート/カルチャー・シーンともかかわり続けてきた。また「自分に向かい合う」ことで、それぞれ精力的に作品制作にも取り組むようになっていった。

今回の展示は、世田谷美術館に収蔵された作品による「ミュージアム・コレクション展」だが、二人合わせて300点近くが出品されており、質量ともに驚くべき内容といえる。その旺盛な創作意欲に圧倒させられた。澁澤龍彥作『高丘親王航海記』(文藝春秋、1987)を、ドローイングを付して「書写」した榎本の大作(全84点)にも度肝を抜かれたが、萩原がこのところ集中して制作している道路の自転車マーク、塀の染み、ドアスコープの画像などを大量に撮影してモザイク状に並べた「差異と反復」シリーズが異様に面白い。萩原はまた、セルフポートレートにも執着しており、「電信柱に映っている私」など、自分の影、手の一部、鏡像などを繰り返し撮影した作品も作り続けている。これらの仕事は、ものを創る歓びそのものの表明といえるだろう。

なお会場では、萩原が2018年に制作した《山崎博の海》も上映されていた。高校時代からの親しい友人でもあった写真家、山崎博にオマージュを捧げた、感動的な映像作品である。


公式サイト:https://www.setagayaartmuseum.or.jp/exhibition/collection/detail.php?id=col00116

2023/02/09(木)(飯沢耕太郎)

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