2019年05月15日号
次回6月3日更新予定

artscapeレビュー

写真に関するレビュー/プレビュー

魚返一真「檸檬のしずく」

会期:2019/04/05~2019/04/14

神保町画廊[東京都]

魚返(おがえり)一真は、1955年大分県生まれのベテラン写真家だが、一貫して「一般女性をモデルにして独自の妄想写真」を撮影・発表し続けてきた。「妄想写真」というのは魚返の造語で、エロチックな夢想を具現化した写真というような意味だ。モデルたちは、彼のカメラの前で着衣、あるいはヌードできわどいポーズをとる。むろん、そのような男性の性的な欲望に写真撮影を通じて応えようとする行為は、これまでずっとおこなわれてきたし、いまでも多くの写真家たちによって続けられている。だが、写真集に合わせて私家版で刊行された小ぶりな写真集『檸檬のしずく』に寄せたコメントで、詩人の阿部嘉昭が「魚返一真の写真を『チラリズム』を利用した好色写真とするだけでは足りないと、だれもがかんじているはずだ」書いているのは、その通りだと思う。魚返の作品には、たしかに「好色写真」の形式と作法に寄りかかりながらも、そこから逸脱していくような奇妙な魅力がある。

その理由のひとつは、魚返とモデルたちとの関係のつくり方にありそうだ。彼のモデルは「街でスカウトした女性やネットを通じて応募してくれた女性」だそうだが、魚返は自分の「妄想」を一方的に押し付けるのではなく、むしろ彼女たちのなかに潜んでいた「自分をこのように見せたい、見て欲しい」という密かな欲望を引き出してくる。撮影の仕方は懇切丁寧で、ある状況、ポーズに彼女たちを導いていくプロセスに一切の手抜きはない。「妄想」を追い求めていくのは、傍目で見るよりも根気が必要な作業のはずだが、その無償の情熱を長年にわたって保ち続けているのはそれだけでも凄いことだ。結果的に、彼の写真は生真面目さと品のよさを感じさせるものになった。このような「好色写真」は、ありそうであまりなかったものかもしれない。

2019/04/10(水)(飯沢耕太郎)

松本欣二「媽媽(まま)」

会期:2019/03/28~2019/04/10

大阪ニコンサロン[大阪府]

昨年、KUNST ARZTで開催されたグループ展「家族と写真」で見て注目していた写真家、松本欣二の初個展。「媽媽(まま)」は、10歳の時に何者かに殺害された台湾人の母親との関係を、虚実を曖昧にする写真の力によって再構築する試みである。同展での展示をベースに構成を練り上げ、プリントも大きくなり、見応えが増した。とりわけ、展示を左周りに一巡すると、導入部がラストとループするように重なり合いつつも、新たな意味の再獲得をもって体験される展示構成が秀逸だ。

偶然にも、隣接するニコン運営のスペース、THE GALLERY大阪で同時期開催の「平間至写真館大博覧会」も「家族」をテーマにしていたが、松本の作品との対照性が際立っていた。平野が営む写真館で撮影されたポートレートの多くは「家族写真」だが、「記念写真」の形式性や真面目さといった常識を覆すポップな軽快さに満ちており、寝そべる、ハグし合う、変顔でおどける彼らは、明るく幸福感に溢れた「幸せな家族」の広告の公募モデルを嬉々として務めてみせる。それは、広告写真の演出としても、「家族=幸福」という図式の分かりやすさにおいても、より多くの「いいね」をもらえる写真である。


会場風景

一方、松本の写真の出発点には、「欠落」と「疎外」が根差している。作品は、1)自身の幼少期のスナップや新聞記事といったドキュメント、2)母親の足跡や記憶の「再現」、3)台湾への墓参り、4)現在の自身の家族のスナップから構成される。1)では、幼少期に撮られた3点の写真、母親と一緒に作りに行ったというパスポート、殺害事件を報じる新聞記事といった過去の出来事の証左が複写される。幼少期の写真は「花火」「樹をバックに」「卒園式」という家族スナップの定番で、幼少期の松本が一人だけで写っていることから、撮影者は母親かと推測される。だが、幼い顔には笑顔はない。短い解説文によると、松本は「日本生まれだが、父親は知らず、母親はほとんど家にいず、台湾人ということもあってあまり会話もなく、思い出も少ない」と言う。2)では、そのわずかな記憶を辿り直すように、「母がよく行っていたホテルや喫茶店」「よく頼んだホットミルク」「母が作ってくれた料理で好きだったもの」「住んでいたアパートの扉」「最後に吸ったタバコ」といった断片が「再演」され、証拠写真のように差し出される。現場検証、記憶の再現と反復。だが、いくら辿り直してもそれらは「断片」「欠片」にすぎず、記憶の全体像が回復されることはない。


会場風景

そして、3)台湾への墓参り、骨壺やお供えの花のショットを挟んで、4)現在の自身の家族のスナップが展開されていく。死と不在から(再)生へ向かう展開だが、その眼差しは疎外感や距離感を含み、手の届かなさ、掴めなさをむしろ強調する。カメラに向かって笑顔で歩み寄るのではなく、画面奥の親戚の方へハイハイする、表情の見えない息子。母(妻)と息子のスキンシップは、手前の物越しに捉えられ、母子の幸福な触れあいは、確かにそこに存在するものとして写されつつも、自らはその領域に立ち入ることが拒まれている。あるいは、母(妻)と手をつないだ息子は、電車のドアという遮蔽物を挟んで撮影され、息子の顔はステッカーに隠されて見えない。そして、このまま走り去って視界から消えそうな、遠く小さな息子の後ろ姿。


会場風景

そして最後に、「入園式」「花(樹)をバックに」「花火」という、自身の幼少期の写真と似たシチュエーションの息子のスナップが、時間を巻き戻すように、あるいは記憶のフラッシュバックのように繰り返される。自分の幼少期と同様、子どもの成長を記録する「定番の撮影ポイント」を反復し、成長していく息子。写真という装置によって、自身の幼年期と息子への眼差しが重ね合わせられていく。その時、残された写真は、「’91」という過去の具体的な年月を烙印のように刻印されつつ、不可解な遺物(自身が写されながらも容易に接近しえない異物としての過去)であることをやめ、「自分もまたこのように愛情を受けて育ったのだ」という肯定感へと歩み出す。二つの写真群は、写されたシチュエーションにおいて重なり合いつつ、円環が閉じるのではなく、新たな意味の獲得の下に眼差され、変容し、異なる軌道を進み始める。息子の写真もまた、松本自身の自己投影という呪縛から逸れて、自身の生の刻印としての第一歩を歩み始めるだろう。ひとつの映画を見終えたような感覚を与える「媽媽(まま)」は、そこへ至るまでの長い道程の記録である。同時にそれはまた、「被写体である自身に他者性を見出し、あるいは写された他者に自己投影する」という、自他の境界や時制を飛び越えて憑依的に融解させる、写真自体の狂気にそっと触れている。


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2019/04/08(月)(高嶋慈)

大西みつぐ「まちのひかり」

会期:2019/03/26~2019/04/15

ニコンプラザ新宿 THE GALLERY[東京都]

平成の終わりということで、その前の時代、昭和が話題になることも何かと多くなった。ただ、どちらかといえばその風潮は、古き良き時代を懐かしむ「ノスタルジー」の方向に傾きがちだ。大西みつぐの個展「まちのひかり」にも、そんなふうに受け取られても仕方のない要素がたっぷり詰まっている。大西は、これまでメイン・グラウンドとしてきた東京の下町だけでなく、沖縄から青森までいろいろな街を巡り歩き、昭和の匂いのする風物を採集してきた。壁には写真とともに、温度計、ブロマイド写真、雑誌記事などが展示され、棚の上に置かれた古いラジオからは昔懐かしい番組が聞こえてくる。

だが、写真を見ているうちに、そんないかにもノスタルジックなつくりは、確信犯的に仕組まれたものであることが見えてくる。大西は写真展に寄せた文章で、「ノスタルジー」は「決して後ろ向きの情感ではない」という映画評論家の川本三郎の言葉を引き、「近過去はいとも簡単に忘却の彼方に押し込められてよいというものではないはずだ。むしろ『今』を様々な角度から照らす材料にあふれている」と述べる。たしかに、ここに集められた「まちのひかり」の眺めには、彼自身の、むしろこのような光景こそ正しく、あるべき姿をしているという確信が、しっかりと刻みつけられているのではないだろうか。

出品作品のなかに一枚だけ、1994年に東京・人形町で撮影されたポジ・プリントが展示してあった。今回の写真展の「原点」であるという、いかにも職人らしいたたずまいの老人と、その作業場の眺めには、「日々の小さなドラマの集積」が宿っていると、彼はキャプションに記している。それはむろんこの写真だけでなく、今回展示されたすべての作品に通じることで、膨大な視覚、あるいは触覚的な情報を含む事物のディテールを目で追う愉しみを、心ゆくまで味わい尽くすことができた。

2019/04/08(月)(飯沢耕太郎)

兼子裕代「ガーデン・プロジェクト」

会期:2019/04/02~2019/04/20

Gallery Mestalla[東京都]

タイトルの「ガーデン・プロジェクト」とは、1992年に弁護士のキャスリン・スニードが、アメリカ・サンフランシスコ郡刑務所の第5庁舎に隣接する敷地で立ち上げた農場経営のNPOである。キャスリンは低所得者やマイノリティ・コミュニティの人々に職を与え、地域に貢献する目的で有機野菜や草花を育て、ホームレス・シェルターや高齢者施設に寄付する活動を始めた。カリフォルニア州オークランド在住の兼子裕代は、縁があって2016年から「ガーデン・プロジェクト」のスタッフとなる。同施設は「おそらく政治的な背景で」、2018年に閉鎖に追い込まれたという。

兼子が展覧会に寄せたコメントで認めているように、スタッフとして仕事をしながら撮影された写真群は、ドキュメンタリーの仕事としてはやや厚みを欠いているように見える。だが、6×6判のカメラで撮影され、柔らかい調子でプリントされたカラー写真には、そこで働く人々の姿だけでなく、「光や風、木々や花、そして土地から受ける自然のエネルギー」がしっかりと写り込んでいる。白人とアフリカン・アメリカン、中南米やアジア系の人々が混じり合って、自然を相手にして働くことで醸し出されてくる、不思議な安らぎに満ちた空気感の描写がこの作品の魅力といえるだろう。2017年に銀座ニコンサロンで開催された「APPEARANCE──歌う人」展でも感じたのだが、兼子のカメラワークは、被写体となる人たちの身振りの定着の仕方に特徴がある。瞬間ではなく、その前後の時間をも含み込んだ「途中」の動作を写しとめていることが、彼女の写真に余韻と深みを与えているのではないだろうか。

2019/04/04(木)(飯沢耕太郎)

大石芳野「戦禍の記憶」

会期:2019/03/23~2019/05/12

東京都写真美術館[東京都]

戦争をテーマとするドキュメンタリー写真家たちは、まさにその渦中にある人々や、彼らを取り巻く社会状況を撮影し続けてきた。だが、大石芳野のアプローチはそれとは違っている。彼女は「事後」に戦場となった場所を訪れ、その記憶を心と体に刻みつけた人々をカメラにおさめていく。ゆえに、彼女の写真には派手な戦闘場面もスクープもない。モノクロームの静謐な画面に写り込んでいるのは、沈黙の風景とこちらを静かに見つめる人々の姿だけだ。

今回、東京都写真美術館で開催された「戦禍の記憶」展には、1980年代以降にそうやって撮影され続けてきた写真約160点が、「メコンの嘆き」、「民族・宗派・宗教の対立」、「アジア・太平洋戦争の残像」の3部構成で展示されていた。例えば、南ベトナムで使用された枯葉剤の影響によって二重体児で生まれてきたベトとドクを、1982年から2009年まで何度も撮影した息の長いシリーズのように、大石の撮影のスタイルは、シャッターを押す前後の時間を写真に組み込んでいるところに特徴がある。写真だけでなく、その一枚一枚に付されたキャプションもじっくりと丁寧に練り上げて書かれており、地道な作業の積み重ねによって、「声なき人びとの、終わりなき戦争」の実態がしっかりと伝わってきた。ベトナムやカンボジアなどメコン川流域の住人たち、コソボやスーダンの難民キャンプに収容されていた人たち、ユダヤ人強制収容所からの生還者、旧日本軍「731部隊」の関係者、韓国人慰安婦、広島と長崎の原爆被災者、沖縄戦を生き延びた人々などの顔と証言は、そのまま20世紀の深い闇につながっているように感じる。

2019/04/03(水)(飯沢耕太郎)

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