2020年10月15日号
次回11月2日更新予定

artscapeレビュー

写真に関するレビュー/プレビュー

小西拓良「笹舟」

会期:2020/09/11~2020/09/24

富士フイルムフォトサロン東京 スペース3[東京都]

現代日本写真におけるスナップ写真の可能性を探るという意図のもとに、有元伸也、ERIC、大西正、大西みつぐ、オカダキサラ、尾仲浩二、中野正貴、中藤毅彦、ハービー・山口、原美樹子、元田敬三の11名が参加した企画展「平成・東京・スナップLOVE」(FUJI FILM SQUARE、2019年6月~7月)は、なかなか面白い展覧会だった。その関連企画として、各写真家によるポートフォリオレビューも開催され、ファイナリストに選出された写真家たちの個展が、1年後に富士フイルムフォトサロン東京 スペース3で開催されることになった。小西拓良の「笹舟」(中藤毅彦選)も、その「ポートフォリオレビュー/ファイナル・セレクション展」の枠で開催されている。

小西の前には、山端拓哉のちょっと脱力感があるロシア紀行「ロシア語日記」(尾仲浩二選、8月28日~9月10日)が展示されていた。山端の作品もなかなか味わい深かったが、小西も独自の写真観を持ついい写真家である。奥さんとの日常を、モノクローム写真で淡々と綴った作品だが、33点の写真の選択、配置が実に的確で、観客を安らぎと不安とが交錯する世界へと引き込んでいく。何といっても、痩身だが強い存在感を放つ奥さんに被写体としての魅力がある。だがそれだけでなく、セミの遺骸、フライパンの目玉焼き、カーテンの隙間から覗く外の風景など、些細だが印象深い光景をしっかりと拾っている。さらに続けていけば、よりふくらみと深さを持つシリーズに成長していくのではないだろうか。

この「ポートフォリオレビュー/ファイナル・セレクション展」の企画では、東京で展示された山端と小西のほかに、富士フイルムフォトサロン大阪で、阪東美音「メロウ」(元田敬三選、10月2日~15日)、前川朋子「涯ての灯火」(大西みつぐ選、同)が開催される。だが残念なことに、東京での展示は大阪で、大阪の展示は東京では見ることができない。この企画が今後も続くなら、ぜひ東京と大阪の両方での展示を実現してほしい。

関連レビュー

FUJIFILM SQUARE 企画写真展 11人の写真家の物語。新たな時代、令和へ 「平成・東京・スナップLOVE」 Heisei - Tokyo - Snap Shot Love|飯沢耕太郎:artscapeレビュー(2019年07月01日号)

2020/09/16(水)(飯沢耕太郎)

人が消えた町

会期:2020/09/11~2020/10/09

チェコセンター[東京都]

6月11日~28日に東京・目黒のコミュニケーションギャラリーふげん社で開催された「東京2020 コロナの春」展は、新型コロナ感染症による緊急事態宣言下の日本の状況を、いち早く捉えた写真を展示した企画展だった。コロナ禍がどのような影響を写真の世界に及ぼしていくのかはまだ不透明だが、写真家たちのヴィヴィッドな反応を見ることができたのはとてもよかったと思う。

今回、東京・広尾のチェコセンターで開催された「人が消えた町」は、その余波というべき展覧会である。外出自粛、営業制限といった規制はチェコでも同じように施行され、プラハの街からも人影が消えた。チェコの写真家、カレル・ツドリーンは、「この状況もいつかは終わり、記憶の片隅に追いやられてしまうかもしれない。だからこそ今、作品に残したい」と考えて撮影を開始した。マスクをつけた人々が、空虚感が漂う路上を彷徨っているような写真の眺めは、われわれ日本人にとっても身に覚えのあるものといえるだろう。

今回は、ツドリーンのモノクローム作品10点に加えて、「東京2020 コロナの春」展に出品していた11人の写真家たちの作品も出品されていた。土田ヒロミ、大西みつぐ、港千尋、Area Park、元田敬三、普後均、田口るり子、小林紀晴、藤岡亜弥、オカダキサラ、Ryu Ikaの作品は、ふげん社の展示でも見ているのだが、どこか印象が違う。チェコの写真家の重々しく、物質性の強い人や街の表現と比較して、日本在住の写真家たちの作品が細やかだが、やや希薄に見えてくるのが逆に興味深かった。チェコの写真家たちのグループ展は、以前何度か企画・開催されたことがあるのだが、これを機会に本格的な交流展が実現するといいと思う。

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東京2020 コロナの春 写真家が切り取る緊急事態宣言下の日本|飯沢耕太郎:artscapeレビュー(2020年07月01日号)

2020/09/11(金)(飯沢耕太郎)

笹岡啓子「SHORELINE」

会期:2020/09/05~2020/09/25

photographers' gallery[東京都]

笹岡啓子が2015年から継続的に発表している「SHORELINE」シリーズは、津波被災地の東北地方沿岸部をはじめ、日本各地の現在の/かつての海岸線を丹念に記録し、海岸線、河川、火山、土地の隆起などの地殻変動を通して「地続きの海」を浮かび上がらせようとする試みである。原発のある海浜や、除染土のフレコンバッグが放置された光景も含まれ、「この国の輪郭線」を、外部から物理的に規定する「海岸線」とその流動性や(人為的)変容、時制の重なり合いの視点から、地政学的なスケールで探究する試みといえる。

本展では、徳島県の吉野川や宮城県の阿武隈川での「釣り人」と、福島県の吾妻小富士や長野県の木曽駒ケ岳の残雪の山肌を歩く「登山人」、長野県篭川の人工滝などが端正に写し取られている。地理的に離れた場所を、「雪山→落水→河川敷→河口」の水の移動として繋ぎつつ、その雄大な風景のなかを逆行するかのような人間の運動が、豆粒のようなスケールの対比として捉えられている。



会場風景


併せて本展では、被災沿岸各地で堤防建設、かさ上げ工事、区画整理後の更地に次々と整備されつつある「復興祈念公園」を捉えた「Park」が新たなシリーズとして発表された。展示冒頭に置かれた「高田松原津波復興祈念公園」は、水平に伸びるピロティ構造の追悼施設、その正面へと真っ直ぐに伸びる太い導線の道路、厳格な幾何学的配置が丹下健三設計の広島平和記念公園を強く想起させる(画面には写っていないが、人工的に保存された「奇跡の一本松」が園内にあり、「原爆ドーム」的なアイコン化との並置は、より「ヒロシマ」性を強く示唆する)。



笹岡啓子『Park 1』より《高田松原津波復興祈念公園》


笹岡はライフワークの「PARK CITY」で近年、長時間露光撮影によって、観光客と明るい光で溢れる「現在」の平和記念公園を、「亡霊」の幻視もしくは「原爆の炸裂の瞬間」が出現するイメージに変換し、不可視の「過去」を「現在」の内に召喚し、重ね合わせようとする恐るべきアナクロニックな写真的実践を試みている。この多重的な時制の撹乱という主題は、本展会場をめぐるうち、第二、第三の「PARK CITY」がまさに現在進行形で続々と形成されつつあるという感覚として立ち上がり、慄然とする。

だがこれらの「Park」は、広島のそれを起源として想起させつつ、唯一の単数形ではない。過去は現在のうちに反復され、同時に無数の差異・バリエーションを生み出す。巨大な堤防に囲まれた更地にクレーン車が屹立し、未だ建設途中のもの。犠牲者の氏名とともに、津波の高さを明示する碑。防災用の避難丘や遊具を備え、住民の生活目線に沿った緑地公園。SANAAを思わせる円形ガラス張りの建築が更地に突如そびえる異形の風景は、一際目を引く。痕跡を上書きすることで、忘却装置となる慰霊施設や祈念公園。一方、同じ公園内に遺構として残された、津波と火災の傷痕が痛々しい小学校も笹岡は捉えている。



笹岡啓子『Park 1』より《釣師防災緑地公園》


何を「継承すべき記憶」として保存し、固定化し、上書きし、抹消し、その過程において「私たち」の(ナショナルな)共同体を視覚的・身体的に形成/排除するのか。そうした記憶空間の政治学への問いが、「PARK CITY」から「SHORELINE」を経由して「Park」へと至る笹岡の根源的な探究の軸線として浮かび上がってくる充実した個展だった。

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2020/09/06(日)(高嶋慈)

川内倫子『as it is』

発行所:torch press

発行日:2020/09/20

川内倫子が写真集『うたたね』、『花火』、『花子』(いずれもリトルモア、2001)を刊行し、第27回木村伊兵衛写真賞を受賞してから、もう20年近くになる。それ以後の充実した仕事ぶりはいうまでもないことで、国内外で最も注目される写真家の一人になった。このところ、2017年の写真集『Halo』(HeHe)のように、神話的、宇宙的といえそうなスケールの大きな作品世界を展開していたのだが、本作は彼女の原点というべき『うたたね』の写真に戻って、日常の事物に目を向けている。テーマが2017年に生まれた自分の娘なので、身近な場面が多くなるのも当然というべきだろう。

「半分自分で、半分なにか」だった何ものかが、次第にヒトの形をとり、立ち上がり、歩き出し、世界を受け入れ、受け入れられていく。そのプロセスを写真で辿ることは、世間一般でごく当たり前におこなわれていることだ。だが、川内倫子の写真には、何か特別な魔法がかかっているように見えてくる。いうまでもなく、これまでの写真家としての経験がそこに注ぎ込まれていることは間違いないが、それだけではなく、子どもとその周囲の世界に向ける眼差しそのものに、どこか違った角度と深さがあるように思えるのだ。それは川内が、常に生命の輝きとともに、死へのベクトルを感知しているからではないだろうか。身近なものたちに、ふっと消え失せてしまうようなはかなさが備わっているということだ。『as it is』も例外ではなく、死の側から見ているような眺めが、そこかしこに入り込んできている。撮影中に「天草のおじいちゃん」が亡くなったのも、偶然とは思えない。

なお、写真集刊行に合わせて、東京・恵比寿のPOSTで同名の展覧会が開催された(9月4日~10月11日)。写真作品とともに、同時期に制作した映像作品も上映していたのだが、その画面の右端に黄色い光が映るようにセットされているのに気づいた。それはあたかも、彼岸から射し込む光のようだ。

2020/09/06(日)(飯沢耕太郎)

竹之内祐幸「距離と深さ」

会期:2020/08/26~2020/10/10

PGI[東京都]

竹之内祐幸が展覧会のリーフレットに、本作「距離と深さ」の撮影の動機についてこんなコメントを寄せていた。彼は「友人に、離れ離れになってしまう恋人の写真」を撮ってアルバムにしてほしいと頼まれた。「一緒にいた時間を忘れないように」という依頼を受けて、「自分だったらどんなアルバムを作るだろう」と考える。その答えは「いろんな場所で撮った小石や動物や風景が、まるでひとつの世界に感じられるようなアルバムを作れたら」ということだった。

本展に出品された写真を見ていると、竹之内がまさにそんな「アルバム」を丁寧に編み上げようとしているのがわかる。展示されている写真は、風景、人物、ヤモリや昆虫や小鳥、身近なモノたちなどさまざまだが、そこにある親密な空気感は共通している。被写体と写真家の間にはいうまでもなく「距離」があるのだが、それには物理的な「距離」と心理的な「距離」の2種類があり、いうまでもなく竹之内は後者を基準にしてシャッターを切っている。その「距離」を測る物差しの精度はとても高く、彼の柔らかだが精密な観察力がうまく活かされていると感じた。

ただ、「鴉」(2015)、「The Fourth Wall/第四の壁」(2017)と、PGIで開催された彼の個展を観てきて、いい写真作家なのだが、どこか決め手に欠けるような気がしている。主題、スタイル、どちらでもいいので、もう少し「何か」に集中した作品を見てみたい。彼の作品から、「なぜ撮るのか」という動機がうまく伝わってこないもどかしさがあるのだ。

2020/08/29(土)(飯沢耕太郎)

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