artscapeレビュー

写真に関するレビュー/プレビュー

トミモとあきな/森本眞生 作品展「The Facing Mirrors」

会期:2021/08/16~2021/08/22

Place M[東京都]

このところ、表現力を開花させつつある同世代の女性写真家の2人展である。トミモとは銀座ニコンサロンなどでの発表を重ね、2020年に最初の写真集『mamono』(Place M)を刊行した。森本は瀬戸正人が主宰するワークショップで学び、今年3月に初個展「わたしの森」(Place M)を開催した。2人とも日常に潜む「魔」のようなものを鋭敏に嗅ぎ当て、ヴィヴィッドな色彩を強調するカラー写真に焼き付けていく。それぞれ25点ずつの作品を、同一画面にカップリングして展示した本展では、互いの写真の世界が融合することで、さらにパワーが増すことを期待したのだが、予想通りにはいかなかったようだ。

ひとつには、横位置の写真を上下に重ねたレイアウトの作品が多かったので、やや平板で意外性に乏しい組み合わせになったということがあるだろう。縦位置同士の写真も数点あったのだが、そちらの方が緊張感のある構成になっていた。また、2人の写真の親和性が強すぎて、あまり区別がつかないということもあった。もし、今後もユニットとして活動していくならば、同じ被写体を撮り下ろしたり、写真の大きさにメリハリをつけたりするなどの工夫が必要になってくるのではないだろうか。

トミモとも森本も、写真家として一皮剥けていく大事な時期に差しかかっている。今回の2人展は、むしろソロとしての活動をスケールアップしていくための契機と捉えたい。きっかけさえつかめれば、2人とも次のステップに踏み出していくことができそうだ。

2021/08/16(月)(飯沢耕太郎)

なかしま さや展「Mirror, mirror」

会期:2021/08/04~2021/08/11

ギャラリー ヨクト[東京都]

なかしまさやは「深層心理学や集合的無意識に強い関心があり、スイスでユング派心理学を学んだ」という経歴の持ち主。現在は日本写真芸術専門学校に在学中だが、3月にKiyoyuki Kuwabara AGで個展を開催するなど、このところ積極的に作品を発表し始めている。今回のギャラリーヨクトの展示では、「自己愛性人格障害の母親との葛藤を娘の視点から」描くというテーマ設定で、10点の作品を出品していた。

経歴はユニークだし、発想、技術もしっかりしている。一点一点を丁寧に作っており、数は少ないが作品相互の関連づけた配置もきちんと考えられていた。ただ、全体的にこれを見せたいという切実感に乏しく、絵解きに終わってしまっている作品が多いように感じた。キー・イメージとして設定されているのは、タイトル通り「Mirror(鏡)」なのだが、花などと組み合わせたその描写が、広告写真のブツ撮りのようでリアリティに乏しい。鏡のもつ多義的な役割がうまく表現されている写真もあるので、作品の選択、配置にもう少し気を配って、点数をもっと多めにすれば、一皮剥けたいい作品になるのではないだろうか。

なかしまのような、個性的なバックグラウンドをもった作家は、きっかけひとつで大きく成長する可能性を秘めている。小出しにしないで、自分の内から発するテーマに精神を集中し、一回りも二回りもスケールの大きな作品を見せてほしいものだ。

2021/08/09(月)(飯沢耕太郎)

岸幸太「連荘 1」

会期:2021/07/26~2021/08/08

photographers’ gallery[東京都]

興味深いことに、岸幸太の個展「連荘 1」に出品されたのもカラー写真だった。岸も渡辺兼人と同様に、これまで多くの作品を黒白写真で発表してきた。15年あまり撮り続けた大阪・釜ヶ崎、東京・山谷、横浜・寿町などの「ドヤ街」の写真を集成して3月に刊行した写真集『傷、見た目』(写真公園林)も、全ページがモノクロームの図版である。

今回の個展からスタートする「連荘」シリーズも、撮影場所、被写体の選択、撮り方はそのまま踏襲されている。「ドヤ街」の街路や建物、路上にちらばり、積み上げられているゴミと現代美術のオブジェの中間形態のような事物、その間を浮遊するように行き来し、所在なげにたたずむ人物たち……。それらをストレートに切り出してくる眼差しのあり方は、黒白写真でもカラー写真でも変わりはない。だが、これまた渡辺兼人の写真と同じく、それらを包み込む空気感が、丸ごと写り込んでいることに大きな違いがある。そのことによって、写真家と被写体の間の距離感がより縮まり、観客(読者)は、岸とともに「ドヤ街」のなかに踏み込んでいくような臨場感を共有することができるようになった。このシリーズも、写真集『傷、見た目』のようにまとまるには時間がかかりそうだが、新たな視覚的体験が期待できそうだ。

これまで黒白写真を中心に発表していた写真家が、カラー写真に移行することが多くなってきた理由のひとつとして、カラープリント、特にデジタル処理によるカラープリントの精度が、以前と比較して飛躍的に上がってきたということも大きいのではないだろうか。モノクロームプリント並みの画像コントロールが可能になることで、その表現の可能性はより高まりつつある。なお、展覧会に合わせて、KULAから同名の写真集も刊行されている。

2021/07/29(木)(飯沢耕太郎)

渡辺兼人 写真展「墨は色」

会期:2021/07/19~2021/07/31

巷房・2[東京都]

記憶している限り、これまで渡辺兼人がカラー作品を発表したことはないはずだ。街歩きのあいだに見出した被写体を、画面上に厳密に配置し、ぎりぎりまでシャープに、しかも濃密かつ豊かなグラデーションで描き切った、ハードエッジな黒白写真こそが渡辺の真骨頂であり、それらを見るたびにいつでも「写真表現の極北」という言葉を思い浮かべていた。その渡辺がカラー作品を発表するということで、期待と不安が交錯するような気持ちで会場に足を運んだ。

そこに出品されていた20点の8×10インチ判のプリントは、「渡辺兼人のカラー写真」そのものだった。被写体も、それらを矩形の画面におさめる手つきも、黒白写真の作品とほぼ変わりはない。いうまでもなく、大きな違いは色がついているかいないかだが、それもあまり気にならない。網膜を刺激するような、原色に近い色味の被写体を注意深く避けているためだろう。

それだけでなく、渡辺は今回のシリーズで、明らかにある意図をもって写真を選んでいる。20点のうち、かなり多くの作品に「雨に濡れたアスファルトの地面」が写っているのだ。その墨のように黒々とした色面に目が引き寄せられる。水に濡れた箇所や水たまりは光を反射し、そのぬめりのある触感が強調されている。むろん、モノクロームでも「雨に濡れたアスファルトの地面」を描写することはできるが、カラー写真のように、風景から生起してくる、官能的とさえいえるような空気感を捉えるのは無理だろう。渡辺はそのことに気がつき、まさに「墨は色」であることの写真的な表明をもくろんで、このシリーズに取り組んだのではないだろうか。

2021/07/29(木)(飯沢耕太郎)

徐勇展「THIS FACE」

会期:2021/07/16~2021/08/16

BankART KAIKO[神奈川県]

壁に一列に女性のクローズアップした顔写真が並ぶ。その数513枚。すました顔、化粧した顔、疲れた顔、汗かシャワーに濡れた顔など表情はさまざまだが、同じ女性であることがわかる。彼女は「性工作者」(セックスワーカー)で、これらは朝9時から翌日の午前2時までの17時間に、北京のホテルの一室で何人もの男を相手にした合間の記録写真だという。ただし写っているのは彼女の顔だけで、相手もベッドもティッシュも写っていない。だからこれだけ見てもどういうシチュエーションかわからないけれど、なんとなく妖しげな空気だけは伝わってきて、なんだか見てはいけないものを見てしまったような気分になる。

作者の徐勇は1980年代に広告写真で名をなし、90年代には北京の古い路地を撮った写真集『胡同』が日本でも発売されるなど、中国の写真家では知られた存在。いや、写真家というよりアーティストというべきだろう。というのも、彼は広告写真や記録写真といった特定の分野にとどまらず、写真というメディア自体を問い直すような作品もつくっているからだ。たとえば、本展にも何点か出ている「十八度灰」シリーズなどは、カメラ本体とレンズを10センチほど離して撮影した完璧なピンボケ写真。いわばコンセプチュアル・フォトだ。日本人にたとえれば、篠山紀信から宮本隆司、石内都、杉本博司までを合わせたような存在、というと大げさか。加えて彼は、北京の現代美術の拠点「798時態空間」の創始者の一人でもあるそうだ。そうした彼のトータルな活動を知ったうえでこれらの顔を見直してみると、単にスケベ心を刺激する「のぞき見」写真ではないことが了解されるだろう。

関連レビュー

徐勇展「THIS FACE」|飯沢耕太郎:artscapeレビュー(2021年08月01日号)

2021/07/23(金)(村田真)