artscapeレビュー

写真に関するレビュー/プレビュー

藤岡亜弥「花のゆくえ」

会期:2021/05/06~2021/05/30

コミュニケーションギャラリーふげん社[東京都]

藤岡亜弥は、今回の個展のために自分の古い写真を見直しているうちに、花の写真がかなり多いことに気づいた。意図的に花にカメラを向けるのではなく、無意識的に写り込んだものが多いが、逆にそこから何かが見えてくるのではないかと考えた。写真展に寄せたテキストに「花はいのちのメタファーとしてわたしの存在をより確かなものにしてくれるだろうか。また、花は女のメタファーとしてわたしの傾斜や偏見を説明してくれるだろうか」と書いているが、メタフォリカルな志向はそれほど感じられず、そこにある花を即物的に撮影していることが多い。とはいえ、そこにはやはり「藤岡亜弥の花」としかいいようのない独特の雰囲気が漂っているように感じられる。

ひとつには、花を単独で捉えている写真は少なく、多くは周囲の事物や人物たちが写り込んでいるということだ。花々はさまざまな事象と関係づけられ、その間にあって強い存在感を発している。花がそこにあることで、その場面の持つ意味が微妙に揺らぐ。そのことが、藤岡にシャッターを切らせる動機になっているように見える。もうひとつは、藤岡が撮影する花たちが「いのちのメタファー」=生命力の象徴、というよりは、むしろ死の匂いを濃厚に発しているということだ。それは花の写真に限らず彼女の初期の写真からずっと一貫している傾向で、どんなに輝かしい場面を撮影していても、不吉な翳りが滲み出てくるように感じる。花はそこでは、じわじわと死に向けて進行していく時間そのものを封じ込める器となっているのではないだろうか。

ひとりの写真家の仕事を、何か特定のテーマで掬いあげていくのは、なかなか面白い試みといえる。その写真家の無意識の領域が滲み出てくる可能性があるからだ。「花のゆくえ」を見極めることで、次の一歩を踏み出すきっかけが見つかるかもしれない。

2021/05/08(土)(飯沢耕太郎)

Ryu Ika『The Second Seeing』

発行所:赤々舎

発行日:2021/04/01

パワフルの一言に尽きる。『The Second Seeing』は、中国・内モンゴル自治区の出身で、武蔵野美術大学、パリ国立高等美術学校などで学んだRyu Ikaの、私家版ではない最初の写真集である。収録されているのは、第21回写真「1_WALL」展のグランプリ受賞者個展としてガーディアン・ガーデンで開催された、同名の展覧会の出品作。展示では、出力したプリントを壁一面に貼りめぐらせたり、くしゃくしゃに丸めて床に積み上げたりして、目覚ましいインスタレーションを実現していたのだが、今回の写真集ヴァージョンでも、出力紙を折りたたんだ状態で印刷するなど、印刷やレイアウトに工夫を凝らして視覚的スペクタクルの強度をさらに上げている。内モンゴル自治区、エジプト、日本、フランスで撮影された写真群が入り混じり、衝突しあって、異様にテンションの高い映像の世界が出現してきているのだ。ギラつくような原色、神経を苛立たせるノイズ、物質感を強調することで、真似のできない独特の表現のあり方が、形をとりつつある。

状況を演出し、撮影した写真にも手を加えることが多いにもかかわらず、Ryu Ikaの写真は現実の世界から離脱しているのではなく、むしろ地に足をつけた重力を感じさせる。それは、写真のなかに「我」を埋め込みたいという強い思いが貫かれているからだろう。ガーディアン・ガーデンでの展示に寄せたテキスト(本書にも再録)に「ただ撮った/見た風景を紙に再現したと思われるのが気が済まないというか、その現実からデータ、データから現実のプロセスの中に『我』がいることを、我々作り手としては、それを無視したくない、無視されたくないと世の中に伝えたい」と書いている。若い世代の写真家たちの仕事を見ると、画像を改変することで、「我」=「私」の痕跡を消去してしまうことが多いように感じる。そんななかで、Ryu Ikaの「我」に固執する姿勢は際立っている。そのことが彼女の写真に、絵空事ではないリアリティを与えているのではないだろうか。

2021/05/04(火)(飯沢耕太郎)

石内都展 見える見えない、写真のゆくえ

会期:2021/04/03~2021/07/25

西宮市大谷記念美術館[兵庫県]

石内都が関西地域の美術館で展覧会を開催するのは初めてだそうだが、とても充実した内容の展示になった。石内は2017年に、長年住み慣れた横須賀から群馬県桐生に移転した。そのことで、あらためてこれまでの自分の作品を見直し、新たなスタートラインを引き直そうと考えたのではないだろうか。作品の選定や配置にも、そんな思いがよく表われていた。

展示室Iには「ひろしま」と「Frida by Ishiuchi」「Frida Love and Pain」が、展示室IIには「連夜の街」「絹の夢」が、展示室IIIには「INNOCENCE」「Scars」「sa・bo・ten」「Naked Rose」の連作が並ぶ。 これらは旧作だが、スライド上映を試みたり(「連夜の街」)、シリーズごとに壁の色を変えたりするなどインスタレーションに工夫を凝らしていた。また「Naked Rose」のパートでは、2006年に制作されたという、カメラをゆっくりと移動させながら、バラの花弁をクローズアップで撮影した映像作品も出品されていた。

展示室IVには近作、新作が並ぶ。「One Day」「Yokohama Days」は、日常の情景をカラー写真でスナップ撮影したシリーズ、「Moving Away」は引越しをきっかけに、横須賀の自宅とその近辺、さらに自分の手足を「セルフ・ポートレート 」として撮影した写真群である。衝撃を受けたのは「The Drowned」で、2019年の台風19号で大きな被害を受け、収蔵庫が水没した川崎市市民ミュージアムで、自分の作品にカメラを向けている。急遽、展示が決まったそうだが、泥にまみれ、損傷し、異臭を発するプリントに向ける視線のあり方が、「ひろしま」や「Scars」とまったく変わらず、その触感を丁寧に画像に移し替えようとしていることに、逆に胸を突かれた。

展示室IVの作品には、石内が新たな表現の世界へとさらに踏み出していこうとしている強い意欲を感じる。むしろ新作だけで構成された展覧会を見てみたい。

関連レビュー

石内都「肌理(きめ)と写真」|飯沢耕太郎:artscapeレビュー(2018年01月15日号)

石内都展 Frida is|飯沢耕太郎:artscapeレビュー(2016年08月15日号)

2021/04/16(金)(飯沢耕太郎)

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岸幸太『傷、見た目』

発行所:写真公園林

発行日:2021/03/01

2004年にphotographers’ galleryのメンバーに加わった岸幸太は、2006-2009年に大阪・釜ヶ崎、東京・山谷、横浜・寿町などの路上で日雇い労働者たちをスナップ撮影した「傷、見た目」と題する写真シリーズを、同ギャラリーと、隣接するKULA PHOTO GALLERYで連続的に発表した。それらは、1950-1960年代に井上青龍が釜ヶ崎を撮影して以来の伝統的なテーマを受け継ぐものといえる。だが、岸はあえて労働者たちとコミュニケーションをとることなく、ノーファインダーでシャッターを切り続け、客観的、即物的なドキュメントに徹している。とはいえ、岸の写真には彼らの所有物を暴力的に奪いとるような視線のあり方はあまり感じられない。路上に打ち棄てられたモノたちをクローズアップで撮影した写真群も含めて、「傷、見た目」は、下積みの人たちにのしかかる社会的なプレッシャーがじわじわと滲み出てくる、希有な味わいのドキュメントとなった。

岸はその後、新聞紙に写真を印刷した「The Book with Smells」(KULA PHOTO GALLERY、2011)、廃材、床材、プラスチック製品などに直接プリントを貼り付けた「Barracks」(photographers’ gallery/KULA PHOTO GALLERY、2012)など、写真を素材としたインスタレーション的な展示も模索していった。物質性の強い被写体をさらに強烈な物質性を備えた支持体と強引に接続するというそれらの興味深い試みを経て、2020年12月と2021年2月〜3月、会期を2回に分けて、ひさしぶりにphotographers’ galleryで個展「傷、見た目」を開催した。ふたたびストレートなスナップ/ドキュメンタリー写真に回帰した同展に合わせて刊行されたのが、15年余りの成果をまとめた本書である。大判ハードカバーの写真集に収録された204点の黒白写真には、ここにある眺めを、このような形で残しておきたいという強い意志が刻みつけられている。

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居心地、居場所、排除と公共空間──尾花賢一《上野山コスモロジー》と岸幸太写真展「傷、見た目」から|町村悠香(町田市立国際版画美術館):artscapeキュレーターズノート(2021年04月01日号)

2021/04/11(日)(飯沢耕太郎)

菱田雄介『2011年123月 3・11 瓦礫の中の闘い』

発行所:彩流社

発行日:2021/03/15

「3・11」から10年ということで、その関連出版物が何冊も出ている。本書は、そのなかでも特に、コンセプト、内容ともにしっかりと組み上げられている。

菱田雄介はテレビ局の報道番組のディレクターを務めながら、東日本大震災の直後から被災地の取材・撮影を続けてきた。本業の報道番組を制作するためだけでなく、個人的にも休暇を取って撮影していた。特に宮城県石巻市門脇地区で、行方不明になった近親者を捜す「瓦礫の中の闘い」を続けていた何組かの家族は、その後も何度も現地を訪ねて取材を重ねていった。一回限りで終わらせるのではなく、むしろ事後の状況を粘り強くフォローしていくことは、現代のフォト・ジャーナリズムにおいて最も大事なことのひとつだが、その地道な作業の積み重ねが、本書に厚みと奥行きをもたらしている。

もうひとつ重要なのは、写真図版のページとテキストのページが、ほぼ半々という構成になっていることだ。写真はたしかに強いインパクトを与えるが、そのバックグラウンドを知らないと、表層的な視覚情報を消化しただけで終わってしまう。かといって文章だけでは、その場所で何が起こっていたのかというリアルな臨場感が伝わりにくい。写真とテキストとのバランスをどう取り、どの位置に、どれだけの量の写真と言葉を配置するのかというのは大きな問題だが、本書ではそれがとてもうまくいっていた。読者はまず、日付と場所のみを記した写真と対面し、そのあとでその背景を詳しく記した文章を読むことで、あらためてそれぞれの場面の意味を理解することができるようになる。

タイトルにも使われた、2011年12月が過ぎた後も、そのまま月を加算していく(2021年3月は「2011年123月」)という発想も、震災の記憶の風化をなんとか食い止めようという菱田の思いの表われといえるだろう。細部までよく練り上げられた一冊である。

2021/04/10(土)(飯沢耕太郎)