artscapeレビュー
2016年08月01日号のレビュー/プレビュー
Matthew Fasone「Excavation」
会期:2016/06/21~2016/07/03
Art Spot Korin[京都府]
大阪在住のアメリカ人作家マシュー・ファソーン。彼は路上で拾った段ボールや印刷物などを素材にして、アッサンブラージュ作品を制作している。アッサンブラージュという近頃あまり聞かない用語を使ったのは、個展会場のテキストにそう書いてあったからだ。実際彼の作品はアッサンブラージュそのもので、そこにアレンジを加えるとか、現代的な要素を折衷するということはない。つまり、モダンアートの系譜に忠実な作風なのである。では作品が古臭いかというと、全然そんなことはない。静かな詩情をたたえた作品には時流を超越した美が宿っており、むしろ普遍的というべきであろう。ギャラリー巡りをしていると、十年一日のごとく同タイプの作品を発表し続けているベテランと出会うことがある。その作風に説得力を見出せる場合は良いが、見出せなければ、「スタイルが古い」とか「マンネリ」の一言で片づけられてしまうだろう。でも本展を見て、それは違うと思った。スタイルの如何に依らず、フレッシュな感性が息づいているか否か。すべてはそこに帰結するのだろう。
2016/06/28(火)(小吹隆文)
ダリ展
会期:2016/07/01~2016/09/04
京都市美術館[京都府]
20世紀のシュルレアリスムを代表する芸術家サルバドール・ダリ。本展は、日本では2006年以来の大規模展であり、ガラ=サルバドール・ダリ財団(フィゲラス)、ダリ美術館(フロリダ)、国立ソフィア王妃芸術センター(マドリッド)の全面協力を得て、初期から晩年に至る約200点が集結している。いわば決定版というべき機会だ。なのに、展覧会を心から楽しめない自分がいる。どうしてだろう。ダリがいつの時代も器用に話題作をつくり続けてきたからか、タレントばりのセルフ・プロモーションが気に食わないのか、すでに何度も作品を見てきたので既視感があるのか。いずれにせよ、問題の本質はダリではなく、自分の思い込みにある。ピカソや岡本太郎などもそうだけど、メディアの露出が多い芸術家を、その影響抜きに評価するのは難しい。そんな筆者が本展で気に入ったのは、初期作品が並んだ第1章。そこには印象派や未来派の影響を受けた作品が並んでおり、若きダリが時代の流行を一生懸命学んだ形跡がうかがえる。「この人、本当はとても生真面目な人なのかな」。そんな気がしてダリを身近に感じたのだ。
2016/06/30(木)(小吹隆文)
Repetition アトリエ染花 設立35周年記念作品展
会期:2016/07/01~2016/07/10
スパイラルガーデン[東京都]
「ファッション史の愉しみ」展(世田谷美術館、2016/2/13~4/10)で印象的だったマネキンの、髪飾り・コサージュ・装花を手がけた「アトリエ染花」。オリジナル商品の他にさまざまなファッションブランドのコスチュームアクセサリーを手がけている同社の設立35周年を記念する展覧会がスパイラルガーデンで開かれた。5年ごとに開催しているという作品展には、同社のデザイナーたちによる展覧会のためのオリジナル作品が並ぶ。今回のテーマは4つ。〈esprit〉はベルエポック時代のパリをテーマとした花飾り。〈design〉には多彩な技法と表現が並ぶ。〈mode〉は、チーフデザイナー川村智子によるコスチュームアクセサリー。布にとどまらず、プラスチックなどの多様な素材を自在に駆使した独創的なアクセサリーだ。縦長の鏡に飾られた作品の前に立つと、自分がそれを身につけているように見える。スパイラルガーデンの吹き抜けを使った展示は本展の主題でもある〈repetition〉。多種多様な素材と色彩による巨大な花飾りのオブジェは、設立当初からの想いを繰り返し、深化させ、極めていくことをイメージしたものだそうだ。[新川徳彦]
関連レビュー
ファッション史の愉しみ──石山彰ブック・コレクションより:artscapeレビュー|美術館・アート情報
2016/07/01(金)(SYNK)
From Life─写真に生命を吹き込んだ女性 ジュリア・マーガレット・キャメロン展
会期:2016/07/02~2016/09/19
三菱一号館美術館[東京都]
19世紀イギリスの女性写真家ジュリア・マーガレット・キャメロン(1815-1879)。本展は2015年に迎えた彼女の生誕200年を記念して、ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館が所蔵する作品を同館のマルタ・ワイス学芸員の企画で構成する国際巡回展の日本展。キャメロンの作品、書簡類などのほか、同時代の他の写真家の作品も合わせて展示することで、彼女の作品の特徴──革新性を明らかにし、後世への影響をも見る。
キャメロンの作品の特徴は、技術的には人物のクローズアップ、意図的なボケ、現像液の斑や染み、ひっかき傷などネガに手の痕跡をあえて残しているところ。表現の主題としては、親しい人物たちを中心とした「肖像」、家族や友人、使用人たちをモデルとして演出、撮影した「聖母群」や「幻想主題」。とくにその技術面は、同時代の写真家、評論家たちからたびたび批判されたが、現在ではその絵画的表現は後のピクトリアリズム、モダニズムの写真を先取りしたものとして評価されている。「From Life」とは「実物をモデルにした」という意味で、ふつうは美術作品に用いられるが、彼女はしばしば自身の写真作品にこの言葉を銘記しているという。
写真史における評価もさることながら、キャメロンの人物、交友関係もまた興味深い。キャメロンの父親はイギリス東インド会社の上級職員、母親はフランス貴族の子孫。フランスで教育を受けたのち、1838年にインド・カルカッタでチャールズ・ヘイ・キャメロンと結婚。10年後にイギリスに戻ったあとは、妹サラ・プリンセプのサロンで著名人・芸術家たちと親交を結んでいる。キャメロンの家族はセイロン(現・スリランカ)でコーヒー農園を経営しており、1875年以降、同地に移り住み、そこで亡くなっている。彼女が写真を始めたのは48歳のとき。イギリス・ワイト島に住んでいた1863年のクリスマスに、娘夫婦からカメラをプレゼントされたことがきっかけだという。その出自、キャリア、年齢からすれば、彼女にとって写真は趣味に留まっていてもおかしくないように思うが、彼女はそうしなかった。カメラを手にした翌年には自身の写真の著作権登録を始め、ロンドン写真協会の年次展覧会に出品。写真専門誌からは手厳しい批判を受けてもひるむことなく、画廊と作品販売の契約を結び、1865年にはヘンリー・コウルを通じてサウス・ケンジントン博物館(後のヴィクトリア・アンド・アルバート博物館)に作品を購入させ、同館で展覧会の開催にこぎつける。1868年には博物館の2室を撮影スタジオとして使用する許可を得る。コウルに宛てた手紙には自身の写真が「あなたを歓喜に痺れさせ、世界を驚嘆させる」と記しているという。なんと意欲的、なんと野心的な人物だろうか。
彼女は作品によって名声を得ることを切望したばかりでなく、その販売によって富を得ることも望んでいた。ただし、街の肖像写真師のように誰でも撮るのではない。肖像写真は付き合いのあったグループ、親しい友人たちが中心。有名人にモデルになってもらおうと務め、作品の価値を高めるために彼らにサインをしてもらってもいる。自身のブランディングにも余念がなかったようだ。そうした行動の背景にはコーヒー農園の経営不振があったようだが、はたして写真の販売によってその損失を補うことができたのだろうか。その経営の才がどのようなものであったか、気に掛かる。
本展に合わせて会場出口のショップの壁面がいつもとは異なるギャラリー風のしつらえになっている。こちらのデザインにも注目だ。[新川徳彦]
2016/07/01(金)(SYNK)
川村悦子展──ありふれた季節
会期:2016/06/11~2016/07/31
西宮市大谷記念美術館[兵庫県]
京都を拠点に活躍する洋画家・川村悦子の個展。1980年に京都市立芸術大学西洋画専攻科を修了後、イタリア古典絵画への憧憬を通して西洋と東洋美術の位相について問いかけながら、絵画における現実と虚実性や、自然をテーマに制作活動を展開してきた。本展の展示では、最新の連作《ありふれた季節》を含め40点余りの全作品に、作家のそれらの思いを感じ取ることができる。最新作では、一見どこにでもありそうな公園なのに、作家の記憶にまつわる視覚的フィルターを通したかのように、靄がかかったかのような独特な油彩画の表面で仕上げられる。写実的な木々の描写と周辺には、特別の空気を纏った心象風景が浮かびあがる。《道》と題された作品には、鬱蒼とした木々の茂みに挟まれた橋が描写される。画面奥に収れんする、ありふれた橋の向こう側には何があるのか。私たちの眼と頭は、実体験の記憶にある風景と、画面に表現される仮想の現実の風景のあいだをさまよう。代表作の「蓮」を描いた作品群は、遠くから見れば写真のような写実性をもつのに、近くに寄って見ればうっすら白く優しい絵肌となる。蓮の葉の強い生命感に、水の気配や空気までも感じられるようだ。《白椿》は、陶器タイルの硬質な表面に描かれたかのような味わい。自然へのあたたかなまなざしと絵肌の透明性に魅了された。[竹内有子]
2016/07/03(日)(SYNK)