artscapeレビュー
2016年11月01日号のレビュー/プレビュー
プレビュー:ルーヴル美術館特別展 ルーヴルNo.9 漫画、9番目の芸術
会期:2016/12/01~2017/01/29
グランフロント大阪北館 ナレッジキャピタル イベントラボ[大阪府]
フランスにはバンド・デシネ(BD)という独自の漫画文化があり、漫画は第9番目の芸術とされている。また、パリの殿堂ルーヴル美術館では、フランス内外(日本を含む)の優れた漫画家を招待し、ルーヴルをテーマに自由に描いてもらう「ルーヴル美術館BDプロジェクト」を、2003年から実施してきた(2005年から出版も開始)。その全容を紹介するのが本展だ。内容は、16人の漫画家による原画やネームなどの資料約300点のほか、映像、インスタレーションなど。出展作家の中には、荒木飛呂彦、谷口ジロー、松本大洋、ヤマザキマリなどの日本人作家も含まれている。言わずと知れた漫画大国の日本で、フランス発の試みはどのように評価されるのだろう。興味深いところだ。
2016/10/20(木)(小吹隆文)
プレビュー:ミロコマチコ いきものたちの音がきこえる
会期:2016/12/01~2016/12/25
美術館「えき」KYOTO[京都府]
今最も人気のある絵本作家の一人であり、展覧会活動や壁画制作、ライブペインティングなども精力的に行なっているミロコマチコが、JR京都伊勢丹に隣接した美術館で大規模個展を行なう。彼女のモチーフの大半は動物で、ラフなタッチが持ち味。ざっくりした描写の中に生命の力強さや哀歓が込められており、絵本ファンに留まらない幅広い人気を獲得している。本展では、代表的な絵本原画のほか、絵画、立体の大型作品、最新作などを展覧。彼女のことだから、会期中の関連イベントもきっとユニークなものになるだろう。クリスマスプレゼントに絵本を考えている方にもおすすめだ。
2016/10/20(木)(小吹隆文)
冨士山アネット『Attack On Dance』
会期:2016/10/20~2016/10/23
KAAT神奈川芸術劇場[神奈川県]
どうして自分はダンスを志すようになったのかを、10人のダンサーが次々あらわれて語るところから舞台ははじまった。とはいえ、この舞台での見所は、彼らのダンスではない。彼らの存在を通して、ダンスとは何か、ダンサーとは誰か、こうしたダンサーを生み出す社会とはどんな社会かを浮き彫りにする。そう、ダンサーが登場する前に「What is Dance ?」といった言葉が、狂言回し役の長谷川寧から口にされるように、今作はダンスの分野では珍しくコンセプチュアルな作品である。近年の長谷川の興味関心は、コンセプチュアルにダンスを探求するところに向かっているようで、今年2月には横浜で『DANCE HOLE』という出演者は観客のみという異色の作品を上演してもいる(フライヤーには「本作は出演者の居ないダンス公演」と銘打たれていた。そこでは観客は闇から聞こえてくる長谷川の指示通り動くことで、自ら踊り、踊りながら観客役もこなすこととなった。)。冨士山アネットといえば「ダンス的演劇(テアタータンツ)」と称し、ダンスの観客のみならず演劇の観客の心もつかむポップなセンスが定評を得てきたカンパニーである。いわゆるダンス作品を精力的に制作してきた長谷川が「What is Dance ?」と立ち止まっている。その問いがそのまま舞台になっている。10人のダンサーに長谷川は禁欲を求める。彼らが自分のダンスを踊るのは最後の5分くらいだ。そこに至るまでの間、彼らは、稽古日数や師匠の数、どれだけお金を積まれたらダンスをやめるかなどの質問に答えてゆく。客席からは、高額な衣装代を惜しまぬダンサーにため息が漏れたり、ダンスへの偏愛に笑いが起きたりする。彼らが各自のダンスを踊り終えると、スクリーンに「ダンスは世界を変えるのか?」との問いが映り、次に「世界はダンスを変えるのか?」に変わる。興味深かったのは、スポーツと比較しつつ、スポーツも無意味な運動だがダンスはもっと無意味ではないか、ダンスは社会的な意義がある運動なのだろうかと、長谷川が問いかけるところだ。ダンス中毒者たちが舞台に展示され、その生き様が露出される。彼ら(自分)は一体何者なのか?彼ら(自分)を生んだ社会とは?長谷川のやるせない思い、不安や戸惑いが伝わってくる。ダンスへの愛ゆえの疑いが舞台を推進させる。舞台上の人間の実存が取り上げられるということで言えば捩子ぴじんの『モチベーション代行』(2010-)と重ねたくなる。そう思うと、もっとダンサー一人ひとりのダンスへの愛憎を醜いまでに浮き彫りにしても良いような気もしてくる。社会科学的なエスノグラフィカルな方法を導入してもよいだろうし、あるいは、ダンス中毒者の物語としてもっとドラマ性を帯びた舞台にしても良いのかもしれない。ダンサーたちを社会的な現場に連れて行き、その場を彼らがどのようにダンスによって変えるのか、またその場によってダンサーがどう変貌するのかといったドキュメンタリーもあり得そうだ。本上演は、2015年2月の初演を経て、北京、サンパウロと上演を重ねた上でのものだという。確かに、このフォーマットは、いろいろな地域のいろいろなダンサーに登場してもらうことで異なる上演が生まれるという巧みなアイディアを含んでいる。そのフォーマットが、より研究的なものなり、あるいはダンサーという実存の物語としてよりドラマ的に深まっていくとしたら、と想像してしまった。こうした活動を続けて行った先で長谷川が見つけるものに期待してみたい。
関連レビュー
冨士山アネット『DANCE HOLE』:artscapeレビュー|木村覚
2016/10/20(木)(木村覚)
日本人と洋服の150年
会期:2016/10/06~2016/11/30
文化学園服飾博物館[東京都]
筆者の周囲では日常的に和服を着ている人を見ることは稀で、ほとんどの人たちは洋服で日々を過ごしている。しかしながら日本における洋装の歴史はせいぜい150年。明治維新以前(あるいはそれ以降も長く)着物を着てきた日本人が、どのように西洋の衣服を受け入れていったのか。この展覧会は150年にわたる日本人の洋装の歴史をたどる企画だ。とはいうものの、近年の歴史研究においては明治維新をそれ以前の文化からの断絶と見るのではなく、江戸期から明治期の連続性に着目するものが多い。本展も中心となっているのは明治・大正・昭和の洋服なのだが、序章においてポルトガル人漂着以降の唐物、南蛮物、紅毛物と呼ばれた文物が紹介されており、じつはその展示がとても興味深い。海外からもたらされた代表的な商品は更紗(木綿布)、羅紗(羊毛布)といった織物で、それらは服の一部に取り入れられたり、袋物に仕立てられたり、裂帖に貼り込まれて鑑賞されてきた。「縞」は「島」「島渡り」「島物」に由来する舶来の文様であった。日本の文化に溶けこんだ外来の衣服もある。「合羽」はポルトガル語のcapa(英語のcape)、「襦袢」は同じくgibão、袴に似た仕事着の「軽衫(カルサン)」はcalãoに漢字を当てたものだ。すなわち開国以前から日本人は西洋の衣装を模倣し、生活に取り入れてきたのである。また一方で、明治になってすべての人々の間で急速に洋装化が進んだわけではないことも示されている。官吏、軍人、鉄道員、郵便配達夫など、社会インフラに従事する人々の制服にはいち早く洋装が取り入れられ、大正期には都会で働く男性のほとんどが洋装であったが、そうした人々も自宅では着物で過ごすことが多かった。女性の洋装化はさらに遅かった。展示解説によれば、今和次郎の街頭調査では、昭和初めの東京の女性の洋装化率は2%、昭和12年には25%。戦後においても着物の女性は多く、地方においてそれはさらに顕著だったという。ただし変化がなかったわけではない。カフェの女給は和服に洋式のエプロンをつけ、街を行く女性はレースの日傘を差し、袴姿の女学生はタイツとブーツを履くなど、洋装はしばしば部分的に取り入れられ、ハイブリッドなファッションをつくっていったのだ。
時代の中で変わるものと変わらないもの、あるいは変化の速度という点で、実物資料と同様、あるいはそれ以上に興味深く感じるのは「洋服」という言葉それ自体だ。和服が日常着であった時代にそれと区別する意味で用いられた言葉が、洋装が日常着になり、かつての日常着が「和服」と呼ばれて日常着と区別されるようになったにも関わらず、いまだに「洋服」と呼ばれているのはなぜなのか。「洋服」という言葉には西洋式の服という以上の意味が含まれているのか。「洋服」の歴史には、衣服に対する日本人のアイデンティティと舶来の文化への眼差しを見ることができるのかもしれない。[新川徳彦]
2016/10/20(木)(SYNK)
ムサビのデザインVI:みんなのへや
会期:2016/09/05~2016/11/12
武蔵野美術大学美術館 展示室3[東京都]
武蔵野美術大学 美術館・図書館がリニューアルオープンした2011年に始まった「ムサビのデザイン」シリーズ。第6回目は生活空間をテーマに会場は4つの「へや」で構成されている。1つめは、20世紀転換期にウイーンで活躍した建築家アドルフ・ロースがデザインした家具、照明、ガラス器が並ぶ「アドルフ・ロースのへや」。2つめは、北欧のモダン・デザイン、家具、照明、食器類が配された「北欧のへや」。3つめはチャールズ&レイ・イームズやジョージ・ネルソンらがハーマンミラー社から提案したミッド・センチュリーのモダン・リビングによる「アメリカのへや」。4つめは柳宗理や森正洋、剣持勇らが手がけた家具や食器、そして海外に戦後日本のモダン・デザインをアピールすることになったモントリオール万国博覧会日本館(1967年)の資料で構成された「日本のへや」である。それでは「へや」とはなんなのか。「みんな」とはだれなのか。これら4つの「へや」は相互にどのように関わり合っているのか。
本展を監修する柏木博(武蔵野美術大学教授)のテキストは、部屋について、自己の痕跡や記憶を集積させるもの、情報の空間(あるいは世界の圧縮)といった人の側から働きかけて構築される側面と、人の生活のありかた、人間関係に影響を与え、それらを規定する側面の2つを指摘している。また、20世紀半ばにおける「みんな」とは「民主主義」「インターナショナル」のことであり、それが「ミッド・センチュリーのデザインにとって『モダニズムであった』」という。とはいえ、戦後のモダニズムは「1920年代におけるそれとは、やや異なったもの」であり、その違いとは「それぞれの地域の特性を反映したモダニズム」なのである。(「『みんなのへや』を提案した時代」本展図録、8-17p)。戦後日本のデザインはアメリカの影響を強く受ける一方で、北欧のデザインもたびたび紹介されてきた。日本のデザイナーたちが日本的でありながらモダンな印象を持つデザインを模索する中でモデルとしたのが、インターナショナルなフォルムを持ちながらも地域性を残した北欧のデザインだった。アメリカも例外ではない。ミッド・センチュリーのデザイナーたちは、1950年代にアメリカとカナダを巡回した北欧デザイン展から影響を受け、それに対抗しうるデザインの提案を要請された。アドルフ・ロースは装飾のための装飾を批判し、その後のモダン・デザインの展開に大きな影響を与えた。しかし、北欧デザインの衝撃は、戦後のモダン・デザインに地域性、固有性という考えをもたらした。4つの「へや」は「モダン・デザイン」あるいは「ミッド・センチュリー」という言葉で括られがちな戦後モダン・デザインのローカリティを見せると同時に、「へや」を構成するもの、あるいは「へや」によって規定されるものによって、インターナショナルでありつつも地域の固有性を訴えてきた戦後デザインの姿を示している。[新川徳彦]
2016/10/24(月)(SYNK)