artscapeレビュー

2017年04月01日号のレビュー/プレビュー

泉茂 ハンサムな絵のつくりかた

会期:2017/01/27~2017/03/26

和歌山県立近代美術館[和歌山県]

戦後の関西美術界を代表する作家の一人、泉茂(1922~1995)の画業を、約170点の作品と関連資料で回顧した。泉は、瑛久らとデモクラート美術家協会を結成した1950年代は抒情的な版画作品を制作していたが、1959年から68年の滞米・滞仏時代に線をテーマにした作風へと移行、帰国後の1970年代にはより抽象度を高めた「点と線のシリーズ」、70年代末から80年代にかけてはひしゃげた金属板のようなモチーフを描いた絵画へと移行し、晩年は雲形定規を用いたカラフルな作風に至った。彼は意識的に自らの制作法を転換した。初期と晩年の作品を見比べるとまったく別人のようだが、本展を見るとそれらが一本の線として繋がり、人生を見据えて一貫性のあるキャリアを形成してきたことがよく分かる。そういう意味で本展のサブタイトル「ハンサムな絵のつくりかた」は、じつに的を射た文言だと思う。なお、本展に合わせて、大阪のYoshimi Artsとthe three konohanaでも泉の個展が同時開催された。美術館とは異なる空間で、より密接に作品と接することができ、こちらもまた有意義な機会であった。

2017/03/08(水)(小吹隆文)

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鈴木ユキオ『イン・ビジブル in・v sible』

会期:2017/03/09~2017/03/10

世田谷美術館エントランス・ホール[東京都]

「影」をめぐる上演だった。世田谷美術館のエントランス・ホール。大理石でできた天井高の世界。巨大な果物や植物をかたどったような黒いオブジェ(いしわためぐみ)が置かれたステージ空間に、黒い服を着た鈴木ユキオが登場すると、オブジェを一つひとつ確認するように置き直した。次には、映像(みかなぎともこ)が映写され、ゴルフのピンみたいなものを吊ったモビールが壁を彩るなか、鈴木は踊った。黒いオブジェも、映像も、影だ。そのなかで鈴木の身体は紛れもなく重さを持つ実体なのだ、と思いたいのだが、彼もまた、動いているようで動かされているような、曖昧な存在に見える。鈴木のダンスは完成度が高まっているように見えた。形を作るベクトルと形を壊すベクトルが拮抗し合いつつズレる。そのズレがおのずと運動になっているような、その出来事以外の何も挟まないというような、動きの純度が非常に高い。切断はない。ただ、つねに運動に小さな切り込みが施され、連続が分断される(身体運動におけるキュビスム?)。そうはいっても、派手な切断があってもいいものだ。と思いだした途端、びっくりするようなことが起きた。ぬすーっと、鈴木の背後の暗がりから、黒いオブジェに似て黒いタイツに身をまとった「ひと」(赤木はるか)が現れたのだ。まさに「影」そのものとなった人間。鈴木がそれでもなお人間の「表」らしさを失わずに踊っていたのに対して、黒タイツは人間の「裏」が表出した不気味な「不在」に見えた。そのあたりでだったろうか、さりげなく、ホールの端にある彫刻たちに照明が当てられた。そうだ、これら美術館の展示物もまた「影」であり「不在」の在だ。そうやって、ぐるぐると不安定な「影」の運動に観客は翻弄された。

2017/03/09(木)(木村覚)

山岡敏明展「GUTIC i was born」

会期:2017/03/10~2017/03/26

Gallery PARC[京都府]

山岡敏明は自作を「GUTIC(グチック)」と名付け、制作の過程で生じた無数の可能性を観客に意識させる活動を行なっている。具体的には、完成したタブロー、大量のドローイング、紙の上で描いては消す作業を記録した映像などを、等価なものとして提示しているのだ。また「GUTIC」という名称は、観客に先入観を抱かせないための仮称にすぎない。本展ではパネル張りのタブローが10点近く展示されたが、壁の裏側の狭い空間には大量のドローイングも並べられており、双方が等価あるいは表裏一体の関係であることが示された。多くの人は、完成作が「主」でドローイングは「従」と見なしているだろう。しかし山岡の活動を理解すれば、美術館で見た名作も無数にあった可能性のひとつにすぎないと気付くはずだ。そのとき、観客の目前には新たな美術の地平が開けているのではないか。

2017/03/10(金)(小吹隆文)

美しければ美しいほど The more beautiful it becomes

会期:2017/02/07~2017/04/09

原爆の図丸木美術館[埼玉県]

新進気鋭のインディペンデント・キュレーター、居原田遙による沖縄の「声」をテーマとした企画展。展示の中心は居原田と同じく沖縄県出身の嘉手苅志朗と埼玉県出身の川田淳の映像作品で、あわせて丸木位里・俊による《沖縄戦の図》を所蔵する佐喜眞美術館の館長、佐喜眞道夫が同作について解説した音声と、居原田と協力者の木村奈緒が沖縄の基地問題をめぐるさまざまな報道を検証したパネルも展示された。
会場には、じつにさまざまな「声」が反響していた。佐喜眞館長による語りは、とりわけ沖縄戦の実態を知らない若い世代や本土の人間の耳を傾けさせるには十分な迫力を伴っており、各種の報道を検証したパネルにしても、大手のマスメディアが伝えていない、しかしネット上には確かに残されている現場の生々しい状況が克明に浮き彫りになっている。そのなかには知っていると思っていたが、知らなかった情報も少なくない。音であれ文字であれ、沖縄からの、あるいは沖縄についての「声」を真摯に聴くことが求められているのである。
とはいえ、この企画展の骨子は沖縄と本土の非対称的な関係性を告発することにあるわけではない。本土の人間が沖縄の問題から目を背けていることは否定できない事実だとしても、その不誠実極まりない鈍感さを弾劾する沖縄本質主義と本展は一定の距離を保っている。なぜなら、本展における「声」とは、沖縄から本土に向けられた声というより、むしろ沖縄と本土の双方に通底しているはずの人間の想像力に強く訴えかける「声」だからだ。佐喜眞館長による語りを耳にしながらも、私たちはここで《沖縄戦の図》を目にすることはない。それゆえ不在の絵画に思いを馳せることを余儀なくされるのである。
嘉手苅の作品《interlude》は、沖縄在住のジャズシンガー、与世山澄子の顔だけをクローズアップで映したもの。自衛隊の基地の周囲を走行する車の中で、ジューン・クリスティによる同名曲を口ずさんでいるが、口元はフレームから外されているので、私たちの視線は彼女の鋭い眼光に注がれることになる。その顔を時折染めるオレンジ色は、基地に設置された外灯だろう。そこはかつて米軍基地だったというから、もしかしたら彼女が脳裏に浮かべているのは、戦後はアメリカに占領され、返還後は本土に支配されている沖縄の二重苦の歴史なのかもしれない。
嘉手苅の《interlude》が私たちの想像力を過去の歴史に誘っているとすれば、川田の新作《生き残る》は、より直接的に、私たちをそれに対峙させている。あわせて上映された川田の前作《終わらない過去》と同じく、《生き残る》もまた、ある種の語りを聴かせる映像だ。話しているのは、あの戦争で中国大陸に従軍し、後に沖縄でアメリカ兵と闘った元日本軍の兵士。絞り出すような声で語られる虐殺の経験や集団レイプの目撃談、同じ日本軍への呪詛などが、私たちの耳を切り裂きながら心底に暗い影を落とす。
だが、ここで私たちが覚える恐怖は、決して彼の証言の内容だけに由来しているだけではない。隣室に展示されている丸木夫妻の《南京虐殺の図》をおのずと連想してしまうことも小さくないだろう。けれども、それ以上に大きな要因は、《生き残る》が《終わらない過去》と同様に音声と映像を基本的には照応させていない点にある。《生き残る》が映し出しているのは、ほとんどが赤ん坊。寝返りを打ったり泣きわめいたり、赤ん坊の無邪気な身ぶりは、恐るべき戦争の記憶を物語る語り口と著しく対照的である。だが、赤ん坊であれ戦争の証言であれ、映像と音声が完全に照応していたら、私たちの想像力はそれほど刺激されることはなかったにちがいない。むしろ双方に大きな乖離があるからこそ、私たちの想像力はその間隙を縫うように躍動しながら映像と言葉の彼岸に向かうのである。
感覚の分断と再構成。あるいは視覚と聴覚の切断と想像力による再統合。嘉手苅と川田に共通する手法があるとすれば、それはおそらくこのように要約することができる。だが、それはアーティストの個人的で内在的な方法論というより、むしろ沖縄と本土の非対称性という外在的な条件から必然的に導き出された技術知ではなかったか。というのも、統合された感覚を自明視する思考のありようこそ、沖縄と本土の非対称的な関係性を疑うことなく再生産する身ぶりと通底しているように考えられるからだ。
通常、私たちが美術や映像を鑑賞するとき、視覚的な情報と聴覚的な情報を分解しながら受容することはほとんどない。例えばキュビスムにしても、どちらかと言えば分解というより再構成のほうに力点が置かれていたし、日本におけるキュビスムは、先ごろ埼玉県立近代美術館で催された同名の企画展が明示していたように、おおむね「様式」として消費することに終始したと言ってよい。
だが嘉手苅と川田は、その切断をおそらくは戦略的に試みることによって、私たちの感覚や認識に大きな裂け目を切り開くことをねらっている。いや、より直截に言い換えるならば、私たちの認識の前提や存在の条件をあえて攪乱することで、私たちの想像力を強引に起動させようとしているのではなかったか。なぜなら沖縄と本土の非対称的な関係性に想像力を誘導するには、そのようなある種の暴力性が必要不可欠であることを彼らは熟知しているからである。世界に解き放たれた想像力は、新たな統合を求めてさまよい続け、何かしらの結節点に意味を見出そうと、もがくほかない。
そのことをもっとも端的に示しているのが、《生き残る》のラストシーンである。沖縄で無残に犬死にしていった仲間たちを悔恨の涙とともに振り返る痛切な「声」は、私たちの耳では受け止めることができないほど、重い。だが、そのとき画面に映し出されているのは、床に転がった赤ん坊の顔。透明度の高い黒い眼球でこちらを見つめている。それが私たちの視線と交わったとき、その悲痛な「声」は、まるで受肉したかのような生々しさを伴って、私たちの心の底を勢いよく突き抜けていくのだ。それは過去と未来が同時に顕現した奇跡的な一瞬である。

2017/03/10(金)(福住廉)

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西尾佳織ソロ企画『2020』

会期:2017/03/09~2017/03/12

「劇」小劇場[東京都]

初演では、作・演出・主演を西尾佳織がすべて行なったという本作、今回は3公演を3人の役者がひとりずつ演じた。幼少期の自分を西尾が振り返っているという戯曲の形式からすると、西尾ではない役者の身体が西尾の内面を語るかのような設えになっていた。いくつかのエピソードは「生きづらさ」に関連していた。例えば、小学生の頃、パン工場見学でもらった食べ物をバスの中で投げ合っている男子に乗せられて、ついお手玉をしたという逸話。その「罪」に後で苦しめられた、と振り返る。あるいは、マレーシアで過ごした子供時代によごれや雑さに耐性がついた分、本来の自分の清潔への意識に気付けなくなっていたなんて話。主体性が揺さぶられるような不安定さを丁寧に個人史のなかから掘り返す、そんな言葉で場が満たされた。ところで、ぼくが惹きつけられたのは、当日パンフのテキストだった。「稽古をしながら、人はそれぞれなんと違っているんだろう!」と3人の役者に演出する際の気づきを西尾は紹介してくれていた。そこで「どうにも動かしがたい「その人のその人性」を見」た、と。西尾が「西尾」性を発揮した戯曲にチャレンジすることで、役者がその人性を発出する、ということが面白い。このことを観客の側でちゃんと実感するには、役者3人のバージョンすべてを見なければならないだろうけど、ぼくはこの体験こそしてみたいと思った。もちろん、時間があればできることだが、ぼくにはその時間がなかった。もし、このことに焦点が絞られたら、三者が順々にひとつのセリフを演じていくような、そんな舞台もあり得たことだろう。あるいは、こういう発見がある稽古場というのは、じつにすぐれた劇場だと思わされる。いわゆる劇場は稽古場でのような発見をどちらかというと、二の次にするものだ。とすれば、稽古場から排除されている観客というのは、豊かな発見の上澄みを舐める役を与えられた人間ということになるのかもしれない。

2017/03/10(金)(木村覚)

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