artscapeレビュー
2017年04月01日号のレビュー/プレビュー
Chim↑Pom展“The other side”
会期:2017/02/18~2017/04/09
無人島プロダクション[東京都]
Chim↑Pomの真髄は、現代美術の息苦しい理論や硬直した作法に束縛されることなく、柔軟な感性としなやかな瞬発力によって同時代性を獲得する点にある。東日本大震災に反応したアーティストのなかでも、その発想と行動力は群を抜いていると言ってよい。
今回、彼らが注目したのは「国境」。アメリカ合衆国のトランプ大統領がメキシコからの不法移民の侵入を防ぐため国境沿いに「壁」を建設すると公言しているなか、その国境に隣接するメキシコで制作した映像作品などを発表した。これまでと同様、同時代の現代社会に介入することを試みた作品である。
舞台はスラム街の一角にある手づくりの邸宅で、家の壁がそのまま国境になっている。「こちら側」と「あちら側」を隔てる境界が生々しい。島国に住む私たちは国境を意識する機会に乏しいが、彼らはそれが暮らしのなかに剥き出しにされた現場に通いながら作品を制作した。「あちら側」のアメリカの監視塔に相対するかのように「こちら側」の樹木の上にツリーハウスをつくったり、「あちら側」の象徴である自由の墓を「あちら側」に建てたり、いずれも国境が露呈した現場ならではの痛快な作品である。
とりわけ優れていたのが《The Grounds》。「壁」の手前で深い穴を掘り、そこにメンバーのエリイが身を沈めながら境界部分の土に足跡を残した映像作品だ。むろん人の移動を一方的に許可ないしは禁止する国境の権力性を足蹴にするという批評的な意味がないわけではない。だが、それ以上に重要なのは、彼らが国境の人工性を浮き彫りにした点である。この現場では国境が物質として可視化され、なかば「自然」と化しているが、彼らは地中に潜り、地中からの視点を提供することで、その「自然」が決して文字どおりの自然ではないことを表わした。暗闇の中でアメリカへの呪詛の言葉を吐くエリイは愉快だが、私たちがその暗闇の「向こう側」に見出すのは、国境があるかないかにかかわらず、地中はあくまでも地中であり、大地はどこまでいっても大地であるというイメージである。彼女が暗い穴から地上に這い上がったとき、抜けるように明るい青空の下に敷設された国境の禍々しさが逆照されるのである。
社会的現実を芸術によって変革するのではなく、その社会的現実そのものが芸術と同じように人工的につくられたものであることを鮮やかに照らし出すこと。Chim↑Pomが柔軟な感性としなやかな瞬発力によって私たちの眼前に示しているのは、このようなイメージである。それは、いわゆる「まちおこし」や「地域の活性化」を目的としたアートプロジェクトや社会的問題の現実的な解決を図るアーティストによる作品とは明らかに異なっているが、社会と芸術の媒介を試みている点で言えば、それらと同じように社会介入型の現代美術であると言えよう。ただChim↑Pomに独自性があるのは、その媒介をあくまでも私たちの想像力によって成し遂げようとしているからであり、その点で正確に言い換えれば、芸術が社会に介入するのではなく、社会を芸術に介入させているのである。Chim↑Pomは現代美術の周縁から生まれ、現にそのように位置づけられがちだが、実は現代美術の王道を追究する、きわめてまっとうなアーティストなのだ。
しかし、現代社会は現代美術に決して小さくない難問を突きつけている。社会的現実が人工的な造形物であることは事実だとしても、昨今の政治の喜劇的混乱が端的に示しているように、その虚構性はますます増強しつつあるからだ。かつてChim↑Pomは広島の空に飛行機雲で「ピカッ」と描き大顰蹙を買ったが、いまもっとも「やばい」のはもしかしたらあの政治家なのかもしれない。自己表現のために公共空間を使用するアーティスト以上に、権力を傘に公共性をなりふり構わず私物化しているからだ。虚言を憚ることなく現実の政治が遂行される時代にあって、現代美術のアーティストはいかなる想像力によって立ち向かうのか。Chim↑Pomは「私性の公共化」という実践によって、その問いにいち早く回答した。
2017/03/02(木)(福住廉)
石の街うつのみや 大谷石をめぐる近代建築と地域文化
会期:2017/01/08~2017/03/05
宇都宮美術館[栃木県]
近年は「餃子の街」として知られる宇都宮(最近はジャズの街としても売り出しているらしい)は、古くは建物や外構の建材として用いられる大谷石の産地。ちなみに駅前に立つ「餃子像」は大谷石製だ。宇都宮美術館開館20周年・市制施行120周年を記念する本展は、宇都宮の地場産業である大谷石に、美術や建築のみならずさまざまな角度からスポットを当てるとてもユニークな展覧会である。
大谷石を用いた建築といえば、スクラッチタイルと大谷石とを外装・内装に用いた特異な建築、《(博物館明治村蔵)旧・帝国ホテル ライト館》がすぐに思い出される。本展でも展示室入り口ロビーに帝国ホテルの柱が据えられている。設計者のフランク・ロイド・ライトが当初候補に挙げていた石は「石川県江沼郡那谷村」の「菩提石」だったという。それが「大谷石」になったのは、「見た目より丈夫」「極めて廉価」「採掘が容易」「産出量は多い」「販路は日進月歩で拡大中」、「電力を用いた機械による採掘の計画あり」ゆえのようだ(本展図録、50~51頁)。石材のような重量物を利用するには、産地から建築現場までの輸送を考えないわけにはいかない。その点、大谷石には明治末から大正初めまでに輸送の便が整備されていた。明治19年(1886)には日本鉄道の上野宇都宮間が開通。明治23年(1890)に日光線が開通。また、大谷周辺には石材輸送のための人車軌道が敷設され、大正初めには蒸気機関車が牽く軽便鉄道が登場。すなわち帝国ホテルが設計される以前に、すでに大谷石は産地から東京までの鉄道輸送が行なわれていたのだ。石の切り出しが体系的に行なわれ、多くの職人がいたことも大谷石が利用された理由のひとつ。ライトは石材の調達に石屋を通さず、大谷で土地を買い上げ、職人を雇って石を採掘し、東京の現場で加工と設置を行なった。その採掘場跡は現地では「ホテル山」と呼ばれているそうだ(ライトはスクラッチタイルの製造も常滑の自前の工場で行なっている)。そうした職人をひとつの現場に確保できるだけの規模が、この産業にはあったのだ。そして関東大震災で帝国ホテルの損傷が軽微であったことで、建材としての大谷石の人気が高まっていく。
このようにひとつの建築を切り口にしただけでも、産業としての大谷石の魅力が見えてくる。展示は川上から川下へ、すなわち第1部で大谷石の地質学的側面の解説を行い、第2部で石材産業と輸送の変遷、大谷石による建築物が紹介される。第3部では大谷石と美術。川上澄生や清水登之をはじめとする地元画家の作品や、大谷を題材にした画家たちの作品、東松照明の写真。そして美術と密接に関係する建築作品として忘れてはならないのは、坂倉準三による《旧・鎌倉近代美術館》(写真展示)だ。各項目は独立した事象ではなく歴史の中で有機的に結びついているので、展示室の中を(あるいは図録のページを)行なったり来たりすることになる。地場産業の歴史と未来を丁寧に掘り下げる橋本優子学芸員による企画は、すでに2014年から美術講座やワークショップ、プレ企画やサテライト展示によって熟成されてきたもの。ロゴやチラシ、図録のデザインは勝井三雄、写真は大洲大作。[新川徳彦]
2017/03/02(木)(SYNK)
額装の日本画
会期:2017/02/25~2017/04/02
栃木県立美術館[栃木県]
美術館が自館のコレクションをどのように紹介するのか。展覧会を見るときには作品と同等、あるいは以上にその切り口に興味を惹かれる。画家や団体、モチーフやジャンル、時代や様式等々、多様なテーマ設定を考え得るとはいえ、作品もしくは作家が中心になることが一般的だろう。そういう点からすると、栃木県立美術館のコレクションによる企画展はやや異色かもしれない。昨年の「学芸員を展示する」(2016/1/6-3/21)の主題はタイトルの通り、蒐集・調査・展示・保存といった、美術館学芸員の仕事をコレクション作品を通じて見せるもの。照明の色味による作品の見え方の違いや、カンバスの裏側を見せるコーナーなど、工夫された構成が印象的だった。
今回の「額装の日本画」もまたタイトルの通り。かつて掛軸や巻物、屏風などの形式で鑑賞されてきた日本画は、近代になって西洋画の影響あるいは展示空間としての洋風建築の普及に合わせて額装されるようになっていった。本展は和紙改良と大判化が日本画の大画面化に果たした役割、団体展と出品規定、表現の変遷などを横軸に、「表装替え」や近年の「脱・額装」まで、栃木県立美術館の日本画コレクションによって額装の変遷を見せる。企画を担当した志田康宏学芸員によれば、美術館の所蔵品記録に額縁のデータが含まれないなど、額装の歴史的変遷を辿る上では困難もあるという。絵画作品の写真撮影は額を外した状態で行われ、図録等にも額縁が付いた状態で掲載されることは稀だ。そのため、作品がいつの時点で現在の額に収められたのかを同定することが難しい。そもそも額を選んだのは画家なのか、画商なのか、蒐集家なのか。本展に団体展等に出品された比較的大型の作品が多いのは、展覧会出品時から額が替えられていないだろうという推測のためでもあるという。展覧会会場の写真、画家や額縁商の記録などを丹念に追っていけば、変化の様相をさらに詳しく知ることができるかもしれない。
近年の「脱・額装」は日本画・洋画に共通する現象ではないだろうか。パネルの側面にまで描かれた作品は、画材のテクスチャーによる脱・平面とはまた違った形で絵画を立体化、物質化する。他方で脱・額装には、作品の取り扱いを難しくする側面がある。額という保護枠がなければ、気軽に作品を吊ったり掛け替えたりすることができないではないか。というわけでギャラリーでよく見かけるようになったのは作品よりひとまわり大きい箱形の額だ。その性格としては額というより作品ごと移動可能な壁面といった趣。近年の動向を見るだけでも、額装のありかたは絵画をめぐる多様な要因とリンクして変化してきたことが分かる。とても面白い着眼点の企画だ。[新川徳彦]
関連レビュー
プレビュー:額装の日本画|SYNK(新川徳彦):artscapeレビュー
2017/03/02(木)(SYNK)
児玉北斗『Trace(s)』
会期:2017/03/02~2017/03/05
トーキョーワンダーサイト本郷[東京都]
現在、ヨーロッパで起きていることと日本で起きていることは、かなり違いがあるようだ。かつて(20年以上前)は、ヨーロッパで起きていることは大抵の日本人にとって摂取すべき価値あるものに映っていたが、いまはそう無条件に思うことは難しくなった。フォーサイスやバウシュのような巨大な存在が新たに台頭することはなくなり、小粒の作家が多数出現している状況は、よく言えば多様なのだが、それぞれは「追従すべき存在」というよりはあれもあればこれもあるのひとつでしかない。強い求心力を形成するカリスマが不在だからといって、自分流に固執するだけでは振付家は自家中毒になりかねない。指針が見出しにくいというのがいまの日本のダンスの現状だ。さて、スウェーデン在住の児玉北斗のソロ新作を見た。輝かしい経歴、バレエの分野で研鑽を積みつつ、コンテンポラリー・ダンスの作家たちとの交流も重ねてきたダンサーだ。きっと自分のダンススキルを存分に発揮する上演になるのだろうと想像していたら、そうではなかった。「レクチャー・パフォーマンス」の体裁がベースとなっており、蒸気機関の先駆者のひとりワットや、世界の水事情、あるいは火星に水が存在していたかもしれないといった話題が取り上げられた。レクチャーはすなわち「水」というテーマをめぐっており、パワーポイントなどのプレゼン装置を用いてテーマは多角的に掘り下げられた。日本ではレクチャー・パフォーマンスの形態はまだ十分に活用されているとは言えず、その意味で、児玉が創作の現場としているヨーロッパの環境を想像させるところがあった。じつに精緻に、ニーチェやデリダなどの思想家の考察も交えて「水」への考察は深められてゆく。児玉はプレゼンテーションの装置を操作しながら、踊る。と言っても、踊りの部分はほとんど禁欲的に制限されていて、身体はときにオブジェ的に、ときに被検体として扱われた。得意技を封印してもコンセプチュアルな舞台を作り上げたいという意気込みを感じる。欲を言えば、「水」と児玉の「身体」とがもっと密接に絡まり合うところがあれば、「レクチャー」と「パフォーマンス」の響きあいがもっと生まれただろうと思わされた。アイテムにペットボトルが頻繁に用いられていたが、人間の身体はまさにペットボトルみたいなものだ。「空っぽの器としての身体が踊る」なんてイメージがシンプルに明確に打ち出されたら、ダンス公演として際立ったものになったかもしれないと想像した。
2017/03/02(木)(木村覚)
ウィリアム・モリス 原風景でたどるデザインの軌跡
会期:2017/02/25~2017/03/26
福井市美術館(アートラボふくい)[福井県]
「近代デザインの父」と言われるウィリアム・モリス。彼のデザインは日本でも親しまれ、150年以上を経た今でも人々の生活のなかで生き続けている。本展はそのモリスのデザインとともに彼を育み彼が愛した英国の風景を、写真家 織作峰子が撮影した写真を通して味わう展覧会。写真や映像のほか、テキスタイル、壁紙、椅子、刊本などおよそ100点が出品されている。
モリスが学生時代を過ごしたオックスフォード、結婚して構えた「レッド・ハウス」、画家ロセッティと共同で借りた「ケルムスコット・マナー」、工房を開設したマートン・アビー、モリスのデザインを生み出した場所は何処もまるで楽園のようで、木々や花々、小鳥や小動物に囲まれた静かで美しい場所ばかりである。確かに、この世界には荘厳で古典的な装飾よりも素朴でシンプルなデザインが似付かわしく、化学染料による機械捺染よりも天然染料を使ったブロックプリントが相応しい。本展での収穫は、あたかも英国の現地に足を踏み入れたかのような臨場感を味わえたこと、そしてモリスのデザインにおける信条を素直に理解できたことであった。[平光睦子]
2017/03/02(木)(SYNK)