artscapeレビュー
2017年04月01日号のレビュー/プレビュー
花森安治の仕事─デザインする手、編集長の眼
会期:2017/02/11~2017/04/09
世田谷美術館[東京都]
雑誌『暮しの手帖』をつくり上げた名編集者、花森安治(1911-1978)についての展覧会。同誌の編集作業に用いられた原稿や写真、表紙絵などをはじめ、同誌の代名詞とも言える「商品テスト」で使用した数々の商品、学生時代の水彩画や新聞原稿など、約750点の資料が展示された。花森の回顧展はこれまで幾度か催されてきたが、規模の面でも内容の面でも、今回は決定版と言えるほど充実した展観である。
会場に立ち込めていたのは、全人生を仕事に費やした花森の熱量。事実、花森の仕事は「編集者」という肩書きを大きくはみ出すほど多岐にわたっていた。原稿を執筆することはもちろん、写真を撮影し、表紙絵やカット絵を描き、電車の中吊り広告のデザインも自ら手がけた。雑誌づくりのほとんどすべての行程に眼を光らせ、辣腕を振るっていたと言ってよい。細かく分業化された現在の雑誌づくりと比べると、花森のある種のエゴイズムは羨望の的以外の何物でもあるまい。
むろん、その熱を帯びたエゴイズムはたんなる利己主義ではなかった。会場には、編集部員が撮影してきた早朝の築地の写真について烈火の如く怒りながら説教する音声が流れていたが、その様子を想像すると花森の家父長的な権威主義を実感できるのは事実である。だが展示でも強調されていたように、その権威性の根底には明確な批判精神が宿っていた。同誌は広告を一切掲載していないが、それは広告収入に依存することで商品への批評が鈍ることを避けるためだ。「商品テスト」が目指していたのは、客観的な実験と忌憚のない批評によって、庶民の暮らしを豊かに拡充することだった。
「暮らしなんてものはなんだ、少なくとも男にとっては、もっと何か大事なものがある、何かはわからんくせに、何かがあるような気がして生きてきたわけです。あるいはあるように教えられてきた。戦争に敗けてみると、実はなんにもなかったのです。暮らしを犠牲にしてまで守る、戦うものはなんにもなかった。それなのに大事な暮らしを八月十五日まではとことん軽んじきた、あるいは軽んじさせられてきたのです」(『一億人の昭和史4 空襲・敗戦・引揚』毎日新聞社、1975)。このように花森が戦争を振り返るとき、おそらく念頭にあったのは大政翼賛会の記憶だろう。花森は戦時中、大政翼賛会に在籍し、戦意の高揚と銃後の守りを庶民に訴えかける宣伝活動に従事していた。展示には大政翼賛会のコピーも含まれていたが、それと『暮しの手帖』の広告の類似性には、誰もが驚かされたにちがいない。花森が編集部で愛用していたという質実剛健な机は、大政翼賛会が仕事を発注していた報道技術研究会から譲り受けたものだったというから、花森の手と眼は、つねに戦争に加担した反省と贖罪の意識のうえで動いていたのかもしれない。
国や企業と私たちの暮らしとのあいだに明確な一線を画すこと。戦後、花森が『暮しの手帖』で実践してきた仕事を要約するとすれば、こうなる。つまり花森にとっての「暮らし」とは、たんに生活を美しく豊かに改変することだけではなく、国や企業に脅かされかねない生活を守り、それらに抵抗するための準拠点を意味していた。新たな戦前の気配が漂い始めたばかりか、豊かさの陰で生活そのものが成り立ちにくく、しかも私たちの生存が国や企業に完全に包摂される時代になりつつある昨今、私たちが花森の批判精神に学ぶことは多い。それは、公的領域と私的領域を明確に峻別するという点で、きわめて近代的な意識だった。
しかし、その一方で、花森の近代的な批判精神には拭い難い難点があることも否定できない。それは、その社会的な意義が高まれば高まるほど、個々の自由は失われていくという逆説である。むろん国や企業と暮らしを混同せず、双方を明確に区別するという批判精神が意義深いことに疑いはない。だが、そうであればこそ、まるで社会的正義のようなテーゼが私たちを苦しめる。例えば花森が自ら描いた表紙絵は、どれも丁寧な筆致で、美しい。けれども、それらを立て続けに見ていくうちに、得も言われぬ息苦しさを覚えたのも否定できない。正しいがゆえに苦しい。ここにこそ花森安治の批評精神の本質的な二面性が体現されているのではなかったか。
2017/03/03(金)(福住廉)
白石ちえこ写真展「島影 SHIMAKAGE」
会期:2017/03/07~2017/03/19
ギャラリー・ソラリス[大阪府]
日常にある“記憶の原風景”をテーマに制作を続けている写真家、白石ちえこ。本展は彼女が2015年に発表した写真集『島影』から選抜したもので、日本各地の風景をモチーフにした銀塩モノクロプリントである。本作の最大の特徴は「雑巾がけ」という古典技法を用いていることだ。この技法はピクトリアリズム(絵画主義)が盛んだった1920~30年代に日本で開発されたもので、プリントした印画紙にオイルを引き、油絵具を塗るなどして、それらをふき取りながら画面の調子を整える。白石の作品は、風景、建築、遊具、動植物などを捉えているが、一様に暗めのトーンを取っている。それでいて対象の輪郭はつぶれておらず、昼なのか夜なのか、最近なのか一昔前なのか、区別がつかないのだ。観客はその迷宮のような世界で、日常のくびきから解かれた浮遊感を味わうのだ。このような特殊技法の作品は、やはり実物を見るのに限る。その機会を与えてくれた作家と画廊に感謝したい。
2017/03/07(火)(小吹隆文)
INTERACTION OF COLOR 色の相互作用
会期:2017/02/25~2017/03/18
ギャラリーヤマグチクンストバウ[大阪府]
ジョセフ・アルバースがアメリカのブラック・マウンテン・カレッジで行なった講義にもとづき、彼と学生たちが共同制作したシルクスクリーン80点付きの装丁本『INTERACTION OF COLOR』(1963)。同作を展示室の中心に配し、周囲の壁面に、アルバース、アレキサンダー・カルダー、桑山忠明、堀尾昭子、沢居曜子、日下部一司など17作家の作品が並んだ。会場のギャラリーヤマグチクンストバウはミニマルアートで定評のある画廊だが、本展の作品も同系あるいはコンセプチュアルな作品で統一されており、空間全体が美しい調和を奏でていた。まさかここまで充実した内容とは思っていなかったので、不意を突かれたのかもしれないが、その場にいるだけで幸福な気分に満たされる。こんな体験は滅多にできないだろう。
2017/03/07(火)(小吹隆文)
ミュシャ展
会期:2017/03/08~2017/06/05
国立新美術館[東京都]
受付を抜けて展示室に入ると、目の前に現れる巨大な作品群に思わず息を呑む。過去のミュシャ展で《スラブ叙事詩》の習作や写真を見ていたのでそれなりに知っていたつもりだったが、実物のスケールにこれほど圧倒されるとは思わなかった。最大の作品は縦6メートル、横8メートル。天井高8メートルの国立新美術館企画展示室2はそのためにつくられたのではないかと思わせるほど、見事に作品が収まっている。これは「ミュシャ展」というよりも「スラブ叙事詩展」といったほうが良いかもしれない。いや、もちろん、日本で人気のアール・ヌーボーの作品もあるのだから、なんの間違いもないのだが、《スラブ叙事詩》全20作品がチェコ国外で公開されるのがここ国立新美術館が初めてだという点はいくら強調しても強調しすぎることはないだろう。
《スラブ叙事詩》はアルフォンス・ミュシャ(1860-1939)がその晩年、1911年から26年まで、約16年をかけて制作したチェコとスラヴ民族の歴史を主題とした20点の巨大な連作。よく知られているように、チェコ出身の画家アルフォンス・ミュシャは、1894年に俳優サラ・ベルナール(1844-1923)の公演ポスター《ジスモンダ》を手がけたことで、パリでポスター画家として華々しく活躍する。しかしながら、望郷の念と絵画制作に戻りたいという思いから、アメリカの富豪チャールズ・R・クレインから資金を得てスラブ民族の独立と連帯をテーマとした絵画の制作に乗り出した。ところが作品が完結した1926年までに社会状況は大きく変わっていた。第一次世界大戦が終わり、1918年にチェコスロバキアは独立。美術史家ヴラスタ・チハーコヴァーによれば、抽象美術とシュルレアリスムが躍進する大戦間期に、独立のための戦いやスラブ民族の連帯思想を訴える絵画は時代錯誤と見なされてしまったという。また、経済危機と政治状況の変化で、プラハ市がミュシャに約束していた作品展示場の建設は果たせなくなってしまった(本展図録、24-25頁)。
さて、正直に告白すると、現時点で筆者はこれらの作品を、いま、ここで見ることの意味を消化しきれないでいる。楽しみにしてきた展覧会であるし(一時は作品の移動の問題で開催が危ぶまれるという話もあった)、実際に作品を見て圧倒されたにもかかわらずだ。おそらくそれは民族の歴史と、ミュシャが作品に込めた思いを十分に理解していないからだろう。ミュシャのアール・ヌーボーの作品を見る機会はこれからいくらでもあると思うが、《スラブ叙事詩》が日本に来ることはそうそうあることではない。会期が終わるまでにチェコの歴史を学んで再訪したい。[新川徳彦]
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2017/03/07(火)(SYNK)
絵本はここから始まった ウォルター・クレインの本の仕事
会期:2017/02/04~2017/03/26
滋賀県立近代美術館[滋賀県]
ウォルター・クレインは19世紀後半の英国で、画家、イラストレーター、デザイナーとして活躍した人物で、なかでも現代の絵本の基礎を築いたことで知られている。本展はそのクレインの仕事を本格的に紹介する日本で初めての展覧会で、絵本と挿絵本を中心におよそ140点の作品が出品されている。会場は、クレインの絵本の展開を年代を追って辿った「第I章 クレインのトイ・ブック」と同時代に絵本で活躍した画家たちの作品やクレインのデザインの仕事を取り上げた「第II章 カラー絵本の仕掛け人エヴァンズとコールデコット、グリーナウェイの絵本と挿絵本」から構成されている。当時の絵本印刷の多くは木口木版のカラー印刷で、絵師と彫版師の共同作業で進められた。エドマンド・エヴァンズはこの時代を代表する彫版師で、クレインの絵本画家としての才能はエヴァンズとの出会いで開花する。二人は1865年から1876年までに37冊の絵本を制作したが、その12年間は新しい技術への挑戦の連続であった。2色から3色、4色、6色と、印刷に使用される色数が増えるに従って、絵本としての表現はより華やかにより洗練されて成熟していく。クレインの絵の特徴は確かな描写力と美しく力強い線の表現にあり、数々の作品からは、その力が彼らの印刷表現の飽くなき挑戦を支えていたことがうかがえる。
さて、同館では昨年の今頃、「ビアズリーと日本」展が開催された。ビアズリーといえば1890年代に英国で活躍した夭折の天才画家だが、彼もまた版画や挿絵という印刷表現の分野で活躍した。耽美的、頽廃的とも言われるその作風はクレインとはまるで対極的で、白と黒の緻密で繊細な描写を特徴としている。明るい力強さと儚げな陰鬱さ、多彩とモノトーン、陽と陰、二人の作品にはヴィクトリア時代の世界観が象徴されているかのようで、一年前のこの展覧会を思い出しながら鑑賞するというのも一興ではないだろうか。[平光睦子]
2017/03/07(火)(SYNK)