artscapeレビュー
2017年10月15日号のレビュー/プレビュー
ART CAMP TANGO 2017 音のある芸術祭
会期:2017/09/09~2017/09/24
旧郷小学校 ほか[京都府]
京都府北部の日本海に面する京丹後市を舞台に、「音」にまつわる表現に焦点を当てた芸術祭。「音」を主軸に、現代美術、音楽、サウンド・アート、ダンスなどの領域を横断して活躍するアーティスト計12名が参加した。2014年に続き2回目となる今回は、ローカル鉄道を舞台としたオープニング・パフォーマンス、廃校舎での展覧会、音を手掛かりに古い町並みを歩くサウンド・ワークショップなど、サイトスペシフィックで多彩なプログラムが展開された。
私が実見したのは、廃校舎を会場とした展覧会「listening, seeing, being there」とクロージング・パフォーマンス「午後5時53分まで」。前者の展覧会では、「音」を聴く体験や周囲の環境を取り込んで成立する作品など、感覚を研ぎ澄ませて味わう繊細な作品が多い。とりわけ、木藤純子の《Sound of Silence “Mの風景”》が秀逸。灯台の内部のようにぐるりと階段が続く部屋に案内され、真っ白い段の途中に一人立つと、部屋の灯りが消される。暗闇に目が慣れてくると、足元の階段が一段、また一段と、闇のなかにぼうっと仄かな光を放ち始める。おそらく蓄光塗料で描かれているのだろう、絡み合う草花のような繊細なイメージが闇に浮かぶ。上昇する階段に促されて視線を上げると、高みの壁にかけられていた白いキャンバスは薄いブルーの光を放ち、屋外からはピチピチという鳥の囀りが聴こえてくる。先ほどまでただの白い壁だった空間が一気に開け、物質性を失い、無限の空あるいは海の透明な青い光へと通じている。肉体が滅び、意識だけになった存在が彼岸へ続く階段を昇ろうとしている……そんな錯覚さえ起こさせるほどの、宗教的で濃密な体験だった。
また、なぜ京丹後の地で「音」の芸術祭なのかという疑問に答えるのが、アーカイブ・プロジェクトの一つ、「古代の丘のあそび 91’ 93’ 96’ 資料展示」。90年代に3回開催された芸術祭「古代の丘のあそび」では、国内外のアーティストが丹後に集い、地域の人々の協力を得て交流した様子が、記録映像や各種資料によって提示された。丹後は、日本のサウンド・アーティストの草分けである鈴木昭男が、日本標準時子午線 東経135度のポイントで耳を澄ますサウンド・プロジェクト「日向ぼっこの空間」を1988年に行なった場所であり、以後、30年に渡る鈴木の活動拠点となってきた。クロージング・パフォーマンス「午後5時53分まで」では、豪商の元邸宅でのダンスパフォーマンスに始まり、海に面したロケーションで、鈴木がガラスチューブで自作した楽器を即興演奏した。刻々と暮れてゆく空の表情と相まって、忘れられない時間となった。
公式サイト:http://www.artcamptango.jp/
2017/09/24(日)(高嶋慈)
映画監督・佐藤真の新潟──反転するドキュメンタリー
会期:2017/09/15~2017/10/15
砂丘館ギャラリー[新潟県]
『阿賀に生きる』(1992)、『まひるのほし』(1998)、『SELF AND OTHERS』(2000)といった、日本のドキュメンタリー映画の歴史に残る傑作を残し、2007年に亡くなった映画監督・佐藤真。没後もその仕事の見直しが粘り強く進められ、2016年には多くの関係者が原稿を寄せた評論集『日常と不在を見つめて──ドキュメンタリー映画作家 佐藤真の哲学』(里山社)が刊行された。今回の企画は、佐藤とは縁が深い新潟の地で、彼の業績を振り返るもので、筆者も9月24日に「佐藤真と写真」と題するギャラリートークに参加させていただいた。
旧日本銀行新潟支店長役宅を改装した砂丘館には、『阿賀に生きる』のスチール写真(撮影=村井勇)をはじめとして、佐藤の著書、関連資料などが展示されていた。そのなかには、牛腸茂雄の写真集『SELF AND OTHERS』(白亜館、1977)におさめられたポートレート写真(プリント=三浦和人)もある。佐藤は砂丘館館長の美術批評家、大倉宏の示唆で新潟県加茂市出身の牛腸の存在を知り、彼の写真に強く惹きつけられて映画『SELF AND OTHERS』を制作するに至った。また、長岡市で歯科医院を営みながら、明治30年代~大正時代に膨大な数のガラス乾板の写真を遺した石塚三郎にも関心を抱き、彼の記録写真をベースにした映画も構想していた。その石塚の写真も今回の展示作品のなかに含まれていた。
こうしてみると、佐藤はドキュメンタリー映画作家として活動しながら、無意識のレベルでの視覚的な認識を基本とする、写真表現の可能性にも大きな刺激を受けていたことがわかる。1990年代後半には、当時構想していた『東京』と題するオムニバス映画の準備も兼ねて、自ら東京の街を徘徊してスナップ写真を撮影している(『日常と不在を見つめて』に収録)。佐藤真の映画と写真との関係については、まだいろいろなことが見えてくる可能性がありそうだ。牛腸茂雄についての強いこだわりは、映画『SELF AND OTHERS』に結実したのだが、石塚三郎の写真は、結局映画には使われることなく終わった。そのあたりも含めて、また別の機会に「佐藤真と写真」を総合的に検証する機会をつくっていただきたいものだ。
2017/09/24(日)(飯沢耕太郎)
運慶
会期:2017/09/26~2017/11/26
東京国立博物館[東京都]
日本の古美術にはあまり関心がないし、彫刻のことも詳しくないけれど、いちおう話題の展覧会なので見に行く。運慶の真作は諸説あるらしいが、一般に30点前後といわれている。だいたいフェルメールと似たようなもんだ。うち22点が出品されるというからジャーナリズム的には「事件」といえるかもしれない。ほかに康慶、湛慶ら父と子の作品も出ていて、キャッチーにいえば「望みうる最高の運慶展」といっていいかも。
彫刻ましてや仏像の見方なんか知らないけれど、でも見ればなんとなく運慶は違うということはわかる。おそらく康慶や湛慶も凡百の仏師に比べれば遥かに優れているのだろうけど、それでもなお運慶のほうが「うまい」と思う。この「うまい」と思う価値判断は、カタログのなかで同館の浅見龍介氏も述べているように、近代的な彫刻家として見たらということであって、けっして仏師としての価値基準ではない。一言でいえば「リアル」ということだ。ポーズといい表情といい衣紋といい、ほかの仏像には見られない個性が感じられ(もちろん作者のではなくモデルの個性)。匿名の人物像ではなく、特定の個人を描いた肖像になっているのだ。さらに玉眼を入れることで反則的にリアリティを増している。《無著菩薩立像》などはミケランジェロよりも近代的だ。
気になるのは色彩の剥落や変色、ひびなどのヨゴレ。《無著菩薩立像》と対の《世親菩薩立像》の顔など色がはがれて黒ずみひび割れ、まるで無惨な焼死体のようだ。まあ仏像の世界ではそんなヨゴレなど本質とは関係のない表面上の現象にすぎない、と思われてるのかもしれない。特に古美術の世界ではこうしたヨゴレはむしろ付加価値として尊ばれることもあるようで、興福寺の《四天王立像》など極端なヨゴレゆえにスゴミが何倍にも増幅されている。逆に《聖観音菩薩立像》みたいにハデな色彩(後補)のほうが安っぽく見られてしまいかねない。不思議なもんだ。
さて、運慶の彫刻で近年ジャーナリズムを騒がせたものに、真如苑の《大日如来像》がある(同展ではまだ運慶作と認められていないが)。この作品は2008年にニューヨークでオークションにかけられ、真如苑が日本美術品の最高値を更新する1400万ドル以上(約14億円)の値で落札し、懸念された海外流出を免れたと話題になったものだ。ところがその直後、村上隆の巨大フィギュア《マイ・ロンサム・カウボーイ》が、やはりニューヨークのオークションで1500万ドル(約16億円)を超す値をつけ、あっさり記録を更新。運慶がフィギュアに負けてしまったのだ。ともあれ、その《大日如来像》、像高60センチ余りと思ったより小さかった。
2017/09/25(月)(村田真)
安藤忠雄展ー挑戦ー
会期:2017/09/27~2017/12/18
国立新美術館[東京都]
建築家・安藤忠雄の約半世紀におよぶ仕事を振り返る回顧展。導入部では通路状の細長い空間に《住吉の長屋》をはじめとする初期の住宅作品を並べ、突き当たりを左折して大きな展示空間に出ると、世界中に展開する代表作の図面やスケッチ、マケット、写真などを群島のように点在させている。細長いギャラリーを見てから大空間に出るという会場構成は、昨年の三宅一生展と基本的に同じだ。そういえば美術館は違うが、東京国立近代美術館の「日本の家」展も似たような構成だった。最近の流行なのか。余談だが、新美術館の近くの三宅一生がディレクターを務める21_21デザインサイトも安藤忠雄の設計。じつは21_21の裏に磯崎新アトリエがあり、磯崎はこの時期もう少し奥のミッドタウンの庭園で、アニッシュ・カプーアとコラボした巨大な風船のコンサートホール《アーク・ノヴァ》を膨らませていた。
さて、今日はプレス内覧会。大空間の中央にドームがあって、そのなかで直島のアートプロジェクトを紹介しているらしいが、安藤本人がこのドームの入口で解説することになっているため、内部に入れず。しばらく待ったが、「もうすぐ来ます」と最初にアナウンスがあってから本人が登場するまで30分くらいかかったか。スターだね。ともあれ、この直島のプロジェクトや、ヴェネツィアのパラッツォ・グラッシとプンタ・デラ・ドガーナの改装計画、中之島を中心とする都市再生プロジェクトなど見どころは多いが、全部省略して、野外展示場に実物大で再現した「光の教会」に触れておきたい。
建築展でいつも気になるのは、どれも設計図や模型、完成写真ばかりで実物が見られない、体験できないこと。そこに絵画や彫刻の展覧会との決定的な違いがあり、建築展がはらむ本来的な矛盾がある。逆に図面などから実物を想像するという建築展ならではの楽しみもあるのだが、先ほどの東近の「日本の家」展における《斎藤助教授の家》のように、最近は建物を原寸で再現する例が増えているのも事実。もちろん実物大で再現といってもせいぜい1軒だけだし、部分的に省略されているし、なにより建ってる場所や周囲の環境が決定的に異なるが、それでも建築内部を体験するには役立つ。問題は家1軒を建てるのだから金とテマヒマがかかること。コンクリートづくりの「光の教会」はじつに7000万円かかったという。本人いわく「厄介なことに、展示ではなく増築に当たるということで作業も建設費も余分にかかった」(朝日新聞、10月9日)。作品の展示ではなく、美術館の増築と位置づけられたらしい。しかもそれが「全部自前」というから驚く。国立美術館で個展を開くには作家が金を出さなければならないようだ。
2017/09/26(火)(村田真)
粱丞佑『人』
発行所:ZEN FOTO GALLERY
発行日:2017/07/20
歌舞伎町を舞台にした写真集『新宿迷子』(ZEN FOTO GALLERY、2016)で第36回土門拳賞を受賞した韓国出身の粱丞佑(ヤン・スンウー)の「受賞第一作」の新刊写真集である。とはいえ、この『人』のシリーズは2002年から撮り続けられているものなので、本来は『新宿迷子』の前に刊行されるべきだったかもしれない。
写真の舞台になっているのは「横浜中華街から10分ほど歩いた所」にある横浜市寿町。いうまでもなく、東京の山谷や大阪の釜ヶ崎と並び称される「ドヤ街」である。これまでも、何人かの写真家たちがこの街を撮影してきたのだが、粱の撮影の姿勢は根本的に違っているのではないかと思う。彼は寿町を訪れて「撮りたいと強く思い」、街に通い詰めるようになるのだが、しばらくは「ただ見ていた」のだという。道に座り込んで住人たちと酒を酌み交わし、少しずつ顔なじみになると、やっと3カ月後にひとりの男が「お前は何をやっている人間なんだ」と聞いてきた。粱は「写真しています」と答え、そこからようやく撮影が始まった。
このような撮り方、撮られ方で成立した写真が、普通の「ドキュメンタリー」や「フォト・ジャーナリズム」の範疇におさまるものになるわけがない。そこから見えてくるのは、人と人というよりは、むしろ動物同士が匂いを嗅ぎ合い、互いに触れあい、ときには牙を剥き出しにして噛み合っているような関係のあり方である。モノクロームのスナップ写真は、むしろ古典的といえそうな風格を備えているが、そこには時代や国を超越した「どこでもない場所」の感触が見事に捉えられている。だが2017年現在、寿町も少しずつ「以前の姿は消え、高齢化が進み、街の『境界』は曖昧になり他の街となじみつつある」のだという。いまやこれらの写真は、失われつつある記憶のデータベースとしての意味も持ち始めているということだろう。
2017/09/27(水)(飯沢耕太郎)