artscapeレビュー

2020年07月15日号のレビュー/プレビュー

「クラシックホテル展─開かれ進化する伝統とその先─」、高山明/Port B「模型都市東京」

会期:2020/02/08~2020/08/23

建築倉庫ミュージアム[東京都]

建築倉庫ミュージアムでは、2つの旅の展覧会が開催されている。ひとつは「クラシックホテル─開かれ進化する伝統とその先─」展であり、文字通り、日光金谷ホテルや富士屋ホテルなど、12の建築を詳しく紹介するものだ。展示スタイルもクラシックで、最初の壁に大きな年表を掲げ、模型、図面、写真、家具などを使い、赤を基調とした会場デザインも効いている。



建築倉庫ミュージアムの外観


「クラシックホテル」展に展示されていたホテル年表


「クラシックホテル」展、会場風景

そしてもうひとつは高山明/Port Bの「模型都市東京」展だ。これまで建築展を開催してきた建築倉庫ミュージアムとしても異例のラインナップだろう。事前の情報をあまり仕入れずに訪れたので、彼が具体的に「どんな展覧会をするのか?」という疑問を抱きながら会場に入ったが、すぐに「ああなるほど!」と納得した。建築模型は一切ない。むしろ、ブースを設けて、それぞれの個室で映像を見せる、いつもの手法が用いられている(ただし、今回はイヤホンでインタビューの音声を聴く)。すなわち、ここが倉庫であることを生かし、市橋正太郎、榎本一生、キュンチョメ、吉良光、ケン・ローら、12人の「利用者」の私物を各部屋に持ち込み、逆説的に「模型都市東京」を表現しているのだ。


「模型都市東京」展、展示風景

高山によれば、演劇と模型は相性がよい。なぜなら、演劇は身振りの模倣から始まったものだからだ。だが、今や活きのいい模型は舞台の上ではなく、街の中にある。そうした目で東京を観察すると、オリジナルの建築は少なく、いわば模型に溢れているという。つまり、模型は会場ではなく、都市に偏在する。そこで都市の模型=建築やインフラをオリジナルに使いこなす、移動が多い、非定住的な人たちのアクティヴィティに注目し、前述の12人を「利用者」として召喚した。おそらく彼らの活動によって、貸し倉庫のような状態になった会場の展示物は刻々と変化するのだろう。


渡邉颯のブース


キュンチョメのブース

建築模型が展示されている場合、それを見た鑑賞者は、実際の街にたつオリジナルの建築を想像する。同様に、われわれは、今回の展示において、会場に並ぶ各部屋のさまざまなパターンの私物と所有者の語りから、彼らが都市の中でどのように活動しているかを思い描く。とすれば、会場に置かれているのは、「利用者」の生活の模型だろう。そもそも模型とは何か、を考えさせる企画である。


「模型都市東京」展の会場模型スタディ

2020/06/24(水)(五十嵐太郎)

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京芸 transmit program 2020

会期:2020/04/04~2020/07/26

京都市立芸術大学ギャラリー@KCUA[京都府]

京都市立芸術大学卒業・大学院修了3年以内の若手作家を紹介するシリーズ、「京芸 transmit program」。今年度の4名は、「身体性」と「美術史への参照」の二軸で構成されている。

西久松友花は、兜や陣羽織、花魁のかんざし、銅鐸などの祭具、しめ縄や民俗的な神具といった土着的な「装飾」「意匠」を抽出して組み合わせた陶のオブジェを制作している。鮮やかな赤、金銀彩やスワロフスキークリスタルが施され、祝祭的な「ハレ」の雰囲気をまとうなかに、性(生殖)や死に対する祈りと畏怖の感情が顔をのぞかせる。



西久松友花《虚飾》[写真:来田猛 提供:京都市立芸術大学 ]


「身体性」と「美術史への参照」の交差する地点にいるのが、菊池和晃だ。菊池はこれまで、筋肉やメンタルの強さを鍛える「トレーニングマシン」兼「描画装置」を自作し、自身の肉体を酷使する行為によって、ポロックや篠原有司男、李禹煥を思わせる「抽象絵画」を制作するパフォーマンスを行なってきた。過去作品《アクション》では、パンチングマシンに両脇を挟まれ、絵具の付いたボクシンググローブに殴られ、飛沫を血のように浴びながら、自らもボクシンググローブで殴り返す/キャンバスに描画していく。篠原有司男の「ボクシング・ペインティング」を思わせる制作方法によって、ポロック風のドリッピング絵画が出来上がる。また、《Muscle》では、スクワットを繰り返すことで、反対側にハケの付いた装置がシーソーのように上下運動し、李禹煥ばりのモノクロームのミニマルな絵画を大量生産する。美術史的規範としての絵画を、泥臭い身体の酷使によってナンセンスに脱構築する試みだと言えるが、「筋トレ」すなわちマッチョな肉体改造への願望は、美術史における男性中心主義やマッチョイズムを文字通り再生産してしまう危うさも秘めている。出品作《円を描く》は、歯車を組み合わせた装置のハンドルを6250回、手動で回すことで、吉原治良を思わせる「黒地に白い円」を描くものだ。今作ではマッチョさは後退し、制作行為を機械的な「労働」に還元するシニカルさのなかに、徒労に近い肉体労働としての制作行為を浮かび上がらせる。



菊池和晃《円を描く》[写真:来田猛 提供:京都市立芸術大学 ]


一方、パフォーマンスとその儀式性によって「生と死」に言及するのが、小嶋晶と宮木亜菜。小嶋は、自身の母親の心臓が弱り、洞結節からの電気信号が心房心室にうまく伝わらず、意識を失うほどの徐脈になったため、心臓が元通り動くよう、「生を実感できない」というダンサーに「母親の心筋になる」ことを依頼した。パフォーマンスの記録映像では、電気コードを握りしめて洞結節からの電気刺激を受け取り、小嶋の母親の心臓と疑似的につながった男性ダンサーが、規則的な電子音と光の明滅のなか、激しくのたうち回る。それは他者の痛みを疑似的に引き受ける祈祷的行為であると同時に、ダンサー自身が踊りの根源としての生の充溢に到達しようとするもがき苦しみでもある。



小嶋晶《bpm60》より [写真:来田猛 提供:京都市立芸術大学 ]


また、宮木亜菜は、展示会場にベッド、マットレス、布団、カーペット、ハンガーラックを組み合わせて設置し、「睡眠」のパフォーマンスを毎週行なった。展示された記録写真を見ると、パフォーマンスのたびにベッドや寝具の配置が大胆に変えられていく。布団で覆われた顔の見えない頭部や布団から突き出した両脚の写真は「遺体」を思わせ、眠りと死の連続性を想起させるが、「眠り」と覚醒のたびにインスタレーションは日々の新陳代謝のように生成変化し、床を這ったり垂れ下がる布団は巨大な内臓のようだ。



宮木亜菜《眠りのあきらめ》[写真:来田猛 提供:京都市立芸術大学 ]


生産物としての「作品」の裏側にある肉体の酷使、「死」を通して生の充溢に触れ、生と死の(不)連続性を行き来すること。そのような本展の流れの中で再び西久松の作品を振り返ると、身体や衣服の表面を彩る装飾的モチーフが散りばめられた陶製のオブジェたちは、「不在の身体」として佇み始める。


2020/06/25(木)(高嶋慈)

ロロ「窓辺」 第3話『ポートレート』

会期:2020/06/26~2020/06/28

ロロによる連作短編通話劇「窓辺」の第3話は『ポートレート』。「今後も継続予定」だが「一旦一区切り」となるという第3話は、物語を完結させるのではなく、描かれる世界の余白とそれが存在する手触りとを感じさせる作品となった。

「ビデオ電話しながら肖像画を描かせてくれる人がいたらDMください」というツイートを見て興味本位で応募した松田青太郎(板橋駿谷)。青太郎は画家の遠山栗美(望月綾乃)とビデオ通話を介して実際にモデルを務めることになり——。

ビデオ通話をしながら栗美のスケッチブックに描かれる青太郎の肖像画は最後まで観客に示されることはなく、最終的には消しゴムで消されてしまう。タイトルにもなっているポートレート=肖像画というのは、自分には見ることのできない、他人から見た自分の像を可視化するものだ。見ること、見られること、見えていないこと。見ることをめぐるモチーフはこの短い作品のなかに繰り返し現われている。

例えば、描く側=見る側の栗美はビデオ通話の画面で自分のウインドウを非表示にしてみせ、通話が切れたのだと思った青太郎を焦らせる。しばらくそのままの状態で絵を描き続ける栗美に対し青太郎は「見てる人が見えないってなんか恥ずかしいですね」と言う。「誰にも見られてない気もするし、みんなに見られてる気もするし」というその言葉はそのまま演劇における俳優と観客との関係を指すものとして受け取ることもできるだろう。もちろんそれは「窓辺」を見る観客にも当てはまることだ。

あるいは、1話でも登場していた『魔法使いミント』。最終話でミントは思いを寄せる相手に自分が魔法使いであることを明かし、その結果として姿の見えない、声だけの存在になってしまう。このエピソードは栗美に元彼とビデオ電話で別れ話をしたときのことを思い出させる。別れようと言った瞬間、元彼の画面がフリーズし、声だけが聞こえる状態になってしまったのだと語る栗美。固まった画面を見ながら話し続けるうち、栗美は肖像画を描くことを思いついたのだった。栗美にしか見えない元彼の姿と、栗美には見えない元彼の姿。「ビデオ電話って見つめ合えないからいいよね」という栗美の言葉にはそこにあるさみしさも透けて見える。

ところで、2話までに登場した4人には高校の同級生という共通点があり、2話のラストはそこからさらに物語が展開することを予感させるものだったが、3話の2人は意外なことにこれまでの4人とは基本的には無関係な人物として設定されている。だが、青太郎の話に登場する『魔法使いミント』が好きだという東京のレコード屋の店員は1話の風太(篠崎大悟)を思わせるし、3話の後半では栗美の隣に住んでいるのが同じく1話に登場していた秋乃(亀島一徳)らしいことも明らかになる。2話で紺(島田桃子)が秋乃に返してほしいと夕(森本華)に託した消しゴムは、偶然にも栗美の手を経由して秋乃に手渡される。赤の他人同士でたまたまつながった青太郎と栗美は、知らぬ間に風太と秋乃を、秋乃と夕、そして紺とをつなげつながっている。

せっかく書いた青太郎の肖像画を、元彼の肖像画ともども消してしまった栗美は、その消しカスを元彼の破片と青太郎の破片と呼び、混ぜ合わせた挙句に窓の外に投げ捨ててしまう。「風に乗って青太郎のところに届くといいね」と栗美は言うが、栗美が青太郎の肖像画を描いているその状況自体、元彼との別れのビデオ通話がもたらしたものだった。元彼の破片はある意味ですでに青太郎に届いているのだ。人は出会い、ときに別れ、混ざり合いながら生きていく。ロロらしさ全開でありながら新たな展開を見せた「窓辺」の再始動を楽しみに待ちたい。


公式サイト:http://loloweb.jp/
ロロ『窓辺』:https://note.com/llo88oll/n/nb7179ad5e3a5


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2020/06/26(金)(山﨑健太)

建築をみる2020 東京モダン生活(ライフ):東京都コレクションにみる1930年代

会期:2020/06/01~2020/09/27

東京都庭園美術館[東京都]

いわゆる「戦前」を指す昭和初期に、私は興味がある。それは戦争と戦争との貴重な狭間であり、日本がゆっくりと近代化の道を歩んだ時代だからだ。関東大震災後の「帝都復興」を果たした東京には、コンクリートとガラスの近代建築が建ち並び始め、上野〜浅草間で地下鉄が開通した。そして銀座には洋装したモガ・モボが闊歩したと言われる。現実的にはビジネスシーンを中心に男性の洋装が進んだ一方で、女性の洋装は銀座においてもわずか1%程度だったそうだ。しかし衣服は和服でも結い髪を断髪にするなど、洋装スタイルの浸透が少しずつ進んでいた。このゆっくりとした変化が奥ゆかしくて良い。本展はそんな「モダンの息吹」を探る展覧会だ。

石川光陽《資生堂パーラー》1934 東京都写真美術館蔵

展示は本館と新館とに分かれており、昭和初期つまり1930年代の東京の様子を紹介するのは新館の方である。絵画、写真、家具、雑誌、衣服などの展示品から当時の人々の生活が浮かび上がってくる。なかでも写真がもっとも資料性が高く、見応えがあった。展示写真を見ていて気づいたことは、銀座はすでに現代の街並みの骨格が出来上がりつつあったことだ。特に銀座4丁目交差点あたりの写真を見ると、そこが銀座であることを認識できた。一方で、渋谷は風景がまるっきり変わっていて想像もつかない。このように新陳代謝の激しい街と伝統を大事にする街との差が浮き彫りになった点が興味深かった。またモガの格好が、いま見ても、大変おしゃれだったことがわかる。彼女らが非常に先鋭的で、ファッションリーダー的存在だったのは確かだろう。現代にたとえるなら、タレントかカリスマ店員のようなものか。

本館の方は年に一度の建物公開展である。つまり1933年に竣工された朝香宮邸を紹介しているのだが、実はこれまでにも本館は展示品を展示する「箱」として公開されてきた。したがって私は同館を訪れるたびに見てきたのだが、今回、改めて朝香宮邸とはどんな存在だったのかを考える良い機会になった。そもそも施主である朝香宮夫妻が、1925年にパリで開催された「現代装飾美術・産業美術国際博覧会(アール・デコ博)」を訪れたのは、朝香宮が欧州視察中、交通事故による治療でフランスに長逗留したためというのが運命的である。ともかくアール・デコ博に大変感銘を受けた夫妻は、後の新邸建設にあたり、フランス人装飾美術家のアンリ・ラパンやルネ・ラリックらを登用してアール・デコ様式を積極的に取り入れた。また基本設計を手がけた宮内省内匠寮にとって、これは威信をかけた大仕事だったのだろう。突板、壁紙、ガラスレリーフやエッチングガラス、タイル、鋳物など、あらゆる内装材が逐一凝っていて、邸内が“素材の見本市”の様相を呈していた。1930年代、庶民の間にはひたひたとモダンの波が押し寄せ、さらに宮中には大波が訪れていたことを知れる展覧会である。

東京都庭園美術館 外観南面

東京都庭園美術館本館 大客室


公式サイト:https://www.teien-art-museum.ne.jp/

2020/06/27(土)(杉江あこ)

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弘前れんが倉庫美術館「Thank You Memory─醸造から創造へ─」

会期:2020/06/01~2020/09/22

弘前れんが倉庫美術館[青森県]

新型コロナウイルスの影響によってオープンが遅れていた弘前れんが倉庫美術館を訪れた。この場所は奈良美智の「A to Z」展(2006)以来なので、14年ぶりの再訪になる。これは注目の若手建築家、田根剛による日本国内の最初の公共施設となるが、およそ築100年になる建物の外観はほとんど変えていない。彼の署名のように、エントランスに特殊な煉瓦積みを試みたり、金色に輝く屋根に葺き替えたりしたくらいだ。また内部も長い歴史の記憶をとどめるかのように、壁の質感を残し、二階の旧事務室・旧研究室では木造の壁やガラスなど、来館者が見えない部分でもオリジナルを保存している。



田根剛による日本国内初の公共施設、弘前れんが倉庫美術館


弘前れんが倉庫美術館のエントランス


美術館二階の左手が旧事務室・旧研究室にあたる

日本のリノベーションは、完成すると小綺麗になってしまいがちだが、遺跡のように残った倉庫の雰囲気をよくとどめた空間だ。そういう意味では、ヨーロッパ的なスタイルを感じさせる。もっとも、ただ保存したわけではなく、美術館において新しく挿入した階段をあえてエイジングしたり、カフェ・ショップ棟は正面の外壁以外は新築だが、既存の倉庫と調和する煉瓦を用いるなど、いろいろ工夫をしている。



手前の建物がカフェ棟


美術館のエントランスホールに、奈良の《A to Z Memorial Dog》が展示されている

さて、同館のオープニング展は、もともと酒造工場だったことから「醸造」というキーワードが用いられ、弘前という場所の記憶をめぐる作品群によって構成されていた。特に冒頭の畠山直哉+服部一成は、倉庫の歴史をリサーチしつつ、過去に使われた建築の断片を紹介していた。天井高が15mに及ぶ展示室3の大空間に面するナウィン・ラワンチャイクンと尹秀珍も、弘前の人物や街をテーマに作品を新規に制作していた。もっとも、コロナ禍のため、海外在住の作家はリモートでの設営となり、大変だったらしい。地元出身の奈良美智は、めずらしく写真の作品を展示していた。潘逸舟は、かつて弘前にて芸術で暮らした経験と記憶をもとにインスターレションを出品していた。

この美術館は特別なコレクションをもってスタートするわけではなく、こうした展覧会を通じて新規に制作された作品を収集するという。とすれば、活動を継続することによって、弘前の地域資産を掘り起こしながら、それを蓄積していくことになるはずだ。



「Thank You Memory」展示風景(畠山直哉と藤井光の部屋)


「Thank You Memory」展示風景(手前が笹本晃、奥がナウィン・ラワンチャイクン)

2020/06/28(日)(五十嵐太郎)

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2020年07月15日号の
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