artscapeレビュー
2020年07月15日号のレビュー/プレビュー
特別展「きもの KIMONO」
会期:2020/6/30~2020/8/23(※)
東京国立博物館 平成館[東京都]
「鎌倉時代から現代までを通覧する、初めての大規模きもの展!」というキャッチフレーズのとおり、本展は本当に盛りだくさんの内容だった。約300件という展示規模のみならず、国宝や重要文化財の着物が何点か登場するのも見どころだ。まさに東京国立博物館のコレクション力を見せつけられた。例えば重要文化財のひとつである《小袖 白綾地秋草模様 尾形光琳筆》。これは尾形光琳が京都から江戸へ向かう途中、寄宿した商家の奥方に、世話になったお礼に描いたと伝わる逸品だ。光琳が小袖に直接描いた作品のうち、完全な着物の形で遺されているのはこれただひとつだという。そんなすごい作品だと知ると、鑑賞する目も変わってくる。また何でもそうだが、本物を間近で見られるのが良い。着物の織りや地模様、絞りや文様染め、刺繍などの細工がありありと伝わってくるからだ。
もっとも見応えがあったのは「3章 男の美学」である。織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の3武将が着用したと伝えられる着物が展示されていた。これこそ本物を見られる機会なんて滅多にない。なかでも織田信長所用の陣羽織がユニークだった。腰から上の身頃がすべて山鳥の羽毛で覆われていたのだ。背中に大きく揚羽蝶の家紋が入れられているのだが、その家紋は白い羽毛で、背景は黒い羽毛で表現されていた。羽毛一本一本を生地に刺し込んだ後、表面を切り揃えて仕立てられたもののようだ。当時、戦国武将は珍しい素材と突飛な技術を用いて比類ない着物を誂え、その勇姿を誇示したそうだが、3武将のなかでも信長はどこかエキセントリックな印象がある。それゆえ羽毛を意匠に用いたのもなんとなく頷けた。
また、鳶の者が火消しの際に身につけた火消半纏も見応えがあった。裏地に刺子で武者絵の模様を描き、火事を無事に消し止めると、半纏を反転させてその派手な模様を見せて市中を歩いたのだという。なかには前身頃から袖にかけて髑髏模様、後ろ身頃に平知盛の亡霊を描いた火消半纏があり、その迫力ときたらなかった。それは武将と同じく勇敢さを誇示するという面もあるが、悪霊や亡霊などの霊力を借りて、火の中に飛び込んだという面もあったのではないか。まさに江戸時代の男の美学を知る一端である。衣服やファッションという概念を超え、文化人類学的な視点で着物を考察する良い機会となった。
公式サイト:https://kimonoten2020.exhibit.jp/
2020/06/29(月)(杉江あこ)
古典×現代2020 時空を超える日本のアート
会期:2020/06/24~2020/08/24
国立新美術館 企画展示室2E[東京都]
温故知新とはこのことか。古典作品と現代作品とを対にして展示する、ユニークな試みの展覧会である。言うまでもなく、我々は過去の歴史の延長線上に生きている。したがって何かを創作する際に完全なオリジナル性というのはあり得ず、過去の遺物や作品から何かしらの影響を大なり小なり受けているものだ。その点で古典作品を現代作家が見つめ、インスピレーションを得たり、引用したり、パロディーにしたりすることは大いに結構だと思う。古典には伊藤若冲、葛飾北斎、仙厓義梵、円空、尾形乾山、曾我蕭白らの巨匠作品が並び、対する現代は川内倫子、鴻池朋子、しりあがり寿、菅木志雄、棚田康司、田根剛、皆川明、横尾忠則の8作家が参加し、計8組の展示で構成されていた。ご覧のとおり現代作家には美術家のみならず、写真家、漫画家、建築家、デザイナーとさまざまな分野のクリエイターがいる点も面白い。
なかでも凄みがあったのは、「仏像×田根剛」の展示である。滋賀県の西明寺に安置されている日光菩薩と月光菩薩の仏像2体を使ったインスタレーションだ。西明寺では、光差す池の中から薬師如来と脇侍である日光菩薩、月光菩薩が現われたと伝わっているという。場所や土地の記憶をリサーチし、未来の建築を思考することで知られる建築家の田根剛は、実際に西明寺を訪れ、そこで「時間と光」「記憶」などのテーマを見出した。具体的には真っ暗闇の中で、自動昇降する照明器具を使い、全身を金箔で覆われた仏像2体に上から下へ、下から上へと光を滑らせるように当て、なんとも言えない荘厳な雰囲気をつくり上げていた。暗闇の中で上から下へと光が移動する様子は日没を思わせ、逆に下から上へと光が移動する様子は日の出を思わせる。昔の人々もこのように日の出や日没時に仏像を眺め、祈りを捧げていたのではないかとさえ思えてくる。ホワイトキューブの中で、俗世から切り離された瞬間を味わった。
また「乾山×皆川明」はとても完成されていた。江戸時代の陶工、尾形乾山がつくった華やかな器が、皆川明が主宰するブランド「ミナ ペルホネン」のテキスタイルや洋服と一緒に並べられると、まるで乾山の器までもがミナ ペルホネンの作品のように見えてくるから不思議だ。有機的な造形や自然に着想を得た模様、温かみのある雰囲気など、いくつもの類似点が示されているが、これほど世界観が似ていたとは。ほかにも「北斎×しりあがり寿」はクスクスと笑えてしかたがなかったし、「花鳥画×川内倫子」はその透明感に心をハッとつかまれた。新たな発見があり、楽しく鑑賞できた展覧会だった。
公式サイト:https://kotengendai.exhibit.jp/
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2020/06/29(月)(杉江あこ)
ウンゲツィーファ『ハウスダストピア』
会期:2020/07/01〜
『ハウスダストピア』はウンゲツィーファのウェブショップで購入することができる「郵送演劇」。郵送されてくる「チケット」には九つのQRコードが記載されており、観客はそれをスマートフォンで読み込むことでウェブ上の音声にアクセスし演劇を「鑑賞」する仕組みだ。QRコードには「ベッド(布団)」「洗面所」「キッチン」など、それぞれの音声を再生すべき場所が指定されており、観客は自宅のなかを移動しながら、それぞれに「その場所」を舞台とした音声を聞くことになる。
「その場所」といってももちろん、観客たる私の家で実際に何かが起きるわけではない。私はあくまで音声を聞いているだけなのだが、その「何もしてなさ」がむしろこの作品に奇妙な生々しさを与えている。たとえば1とナンバリングされ「ベッド(布団)」での再生が指定されている音声。添えられたイラスト(たからだゆうき)に布団の中でスマホの画面を眺める人物が描かれていることもあり、なんとなく寝転がって音声を再生してみる。聞こえてくるのは寝息らしき呼吸音。しばらくするとスマホのアラームとバイブ音が鳴り、起床した寝息の主は足音から推察するにベッド(布団)から離れていったようだ。一方の私はまだ自分の布団に寝転がったままだ。
『ハウスダストピア』の音声はYouTubeの限定公開動画のかたちで配信されており、「チケット」にはわざわざ「静止画ですので画面を見る必要はありません」と注意書きがある。しかし音声は最大でも5分程度なので、画面を見なくてもよいと言われても、何かほかのことをやりながら視聴するには少々短い。スマホでYouTubeを視聴する場合、有料会員に登録していないとバックグラウンド再生ができないため、私のスマホではながら視聴もできない。ぼんやりと音声を聞くことしかできない、それ以外何もしていない私のすぐそばで、何かが起きているような音がする。
続く2の場所は洗面所。歯磨きを終えると男が語り出す。「この部屋は僕の部屋だ。何故なら僕が住んでいるからだ。でも、そのことは、僕の前に住んでいた人も、さらにその前に住んでいた人も思っていただろう。そして僕の後に住む人も思うのだろう」。私の部屋に漂う幽霊のような声と、部屋に蓄積された記憶。しかしそれは存在しない記憶だ。私のいるこの部屋に、私より前に住んでいた人はいない。
耳を澄ませると聞こえてくるというおじさんの声に関するエピソード(都市伝説?)。身に覚えのない届け物。ここにある/ここにはない、もうひとつの家。やがて声の主は荷物をまとめ、その/この家から引っ越していく。「さよなら」。私はその声を自宅の玄関で聞き、そして取り残される。幽霊のように。
『ハウスダストピア』の最後のパートには「あなたが読むべき台詞が記されて」いる。このことは購入ページの説明書きで前もって告げられている。「あなた」は手紙を待つように自らが読むべき台詞が届けられるのを待ち、そしてそれを読むことになるだろう。手紙=戯曲の言葉が読み上げられることで、そこに書かれた言葉があなたの声で立ち上がる。
『ハウスダストピア』にはHomestay at Home vol.1とシリーズ名が付されている。ウンゲツィーファはこれまでの劇場での公演でも、異なる複数の時空間を劇場という「いまここ」へと巧みに重ね合わせることで、「私たち」が生きる世界のバラバラさと、それでもそれらがひとつの世界であることを描いてきた。自宅でのホームステイと名付けられたこのシリーズは、観客各々の家に、それとは異なる時空間を送り込む試みと言えるだろう。
『ハウスダストピア』は作・演出の本橋龍の戯曲集(『青年(ヤング)童話脚本集①②』)とともにウンゲツィーファのウェブショップで販売中。7月15日(水)からはウンゲツィーファの新作として吉祥寺シアターを舞台とした無観客の演劇公演/連ドラ演劇『一角の角(すみ)』が上演/配信予定だ。
公式サイト:https://ungeziefer.site/
ウェブショップ:https://unge.thebase.in/
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2020/07/07(火)(山﨑健太)
カタログ&ブックス | 2020年7月15日号[近刊編]
展覧会カタログ、アートやデザインにまつわる近刊書籍をartscape編集部が紹介します。
※hontoサイトで販売中の書籍は、紹介文末尾の[hontoウェブサイト]からhontoへリンクされます
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写真とファッション 90年代以降の関係性を探る
2020年7月19日まで東京都写真美術館で開催されている「写真とファッション 90年代以降の関係性を探る」展のカタログ。監修は編集者の林央子。アンダース・エドストローム、髙橋恭司、エレン・フライス×前田征紀、PUGMENT、ホンマタカシの作品を通して、1990年代以降の写真とファッションの関係性を探る。図版、作家略歴、作品リスト、林および担当学芸員のテキストを収録。
アンビルトの終わり ザハ・ハディドと新国立競技場
2015年、「アンビルトの女王」として知られるザハ・ハディドが設計した新国立競技場の原案が白紙撤回され、激震が走った。本来、市民一人ひとりの生活に意匠を凝らすべき建築家たちが、なぜ「アンビルト」を描くのか。資本と消費の論理が先行し、物語や理念が失われた時代に、私たちは建築の未来を語ることができるのか。混迷を極めた新国立競技場問題の背景を、すみずみまで検証する。「建てられざる建築」とその終わりをめぐる、圧倒的論考。
ミュージアムの憂鬱 揺れる展示とコレクション
近代が生んだ展示と収集の装置=〈ミュージアム〉。歴史をかたる権力を託されたこの〈装置〉は、混迷する世界の中で、いかなる役割を果たしていくのか。
さまざまな時代と場所における多角的検証を通じて、これからのミュージアムの(不)可能性を問う、最新の研究成果。
芸術とその対象
再現や表現、意図の意味など、美学の基本問題について現在の定説を基礎づけた1968年刊行のロングセラー。
芸術作品を哲学的に考察し、文化や社会においてそれらがどのような役割を果たしているか明らかにする。本書の深い洞察は、美学概論として今もなお多大な影響を与えつづけている。
映画を見る歴史の天使 あるいはベンヤミンのメディアと神学
ベンヤミンが「映画」に見出した複製技術の展開と知覚の変容。それは神学的思考といかにかかわるのだろうか。本書は、これまで個別に論じられていたベンヤミンの「メディア」と「神学」を架橋し、彼が構想していた「救済」の真の姿に迫る。没後80年、ベンヤミン研究は新たな次元へ。
文化は人を窒息させる デュビュッフェ式〈反文化宣言〉
「アール・ブリュット」の名付け親による文化的芸術への徹底批判。制度的な文化概念を根底から覆し、真に自由な創造へと向かう痛快なテクスト。フランス現代思想の知られざる原点ともいえる比類なき著作、初の邦訳。
「本書は一九六〇年代ラディカリズムの極致を体現する『文化革命宣言』である。支配的文化の強度が極限にまで高まり、社会の鋳型にはめられたまやかしの個人主義が横行するいまこそ、その趨勢を逆転し、『普通の人間』としての個人のあたりまえの世界を回復するために、このデュビュッフェの『たったひとりの反乱』の意味をわれわれひとりひとりが噛み締めなければならないと思う。」(訳者あとがきより)
トーキョーアーツアンドスペース アニュアル 2019
トーキョーアーツアンドスペース(TOKAS)の2019年度の活動をまとめた事業報告書。開催した展覧会や公募状況の報告、レジデンスに参加したアーティストのインタビューなどを収録。
奈良市アートプロジェクト 古都祝奈良 2017-2020
奈良市アートプロジェクト「古都祝奈良(ことほぐなら)」は、1300年にわたる歴史や文化が今に息づく奈良を舞台に、美術や演劇などの現代の表現を通じて、奈良に集う国内外の人びとと奈良で生活する人びとが共に体験し作り上げるプロジェクト。2017年から2020年までの開催実績を掲載した報告書。
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2020/07/15(水)(artscape編集部)