artscapeレビュー

2021年07月01日号のレビュー/プレビュー

李晶玉「記号の国」

会期:2021/05/17~2021/05/22

Gallery Q[東京都]

昨年「VOCA展」でVOCA奨励賞を受賞した《Olympia2020》をはじめ、富士山、白頭山、海などを描いた大作を出品。《Olympia2020》は、巨大な競技場の内部に月桂冠を頭に載せた白装束の女性がひとり立ち、空に赤い太陽が浮かんでいる構図。タイトルからして新国立競技場かと思ったら、1936年のベルリン・オリンピックで使われたオリンピアシュタディオンだという。

ベルリン・オリンピックといえば、ナチスが国威発揚に政治利用したことで知られるが、日本の統治下にあった朝鮮出身の孫基禎(ソン・ギジョン)が日本代表としてマラソンで優勝したものの、日本人として金メダルをもらうことに抵抗し、問題視されたこともあった。女性の白い衣装が孫の体操着だと知れば、背後の太陽は日の丸に見えてくる。

横長の画面に富士山を雄大に描いた《Mt. Fuji》。その手前には朱色の傘をさすキモノの女性らしき人物が後ろ向きに立ち、その下には逆さ富士を映し出す湖(海?)が描かれている。この朱の傘も日の丸だろう。んが、奇妙なことに、水面には富士山は映っているのに、傘と人物は映っていない。オリンピアシュタディオンの女性もこの人物も幻影だろうか。また、朝鮮民族の聖地である白頭山を描いた絵は2点あって、1点は無人、もう1点は手前に帽子で顔を隠した男がひとりたたずんでいる。この男が誰なのかわからないが、奇妙なのは、男がたたずむ背景は色鮮やかに描かれているのに、男性自身はわずかに見える顔の一部を除いて線描のみの無彩色であることだ。

波立つ海面の中央に防護服と防護マスクの人物がひとり立っている絵もある。空は青のグラデーションだが、海面は細かい線描のみで描かれ、男もうっすら青い陰影がつけられているだけ。海の上に立つ彼の身体は波濤の線が透けて見えるので、明らかに幻影だ。ところで海に防護服といえば、福島第一原発の事故で出た「処理水」の海洋放出問題を連想してしまうが、だとするとこの男はいったい誰? この作品は海洋放出に強く反対しているようには見えないが、かといって賛成しているわけでもないだろう。

さて、オリンピック競技場も富士山も白頭山も、ある人たちにとって「聖地」だろう。福島第一原発だって、とてつもないエネルギーを放出する近寄りがたい場所という意味では聖地かもしれない。これらの聖地に共通しているのは、空っぽであることだ。競技場は中身が巨大な空洞だし、富士山は中心が空洞のカルデラで、白頭山はカルデラが空を映す天池になっている。第一原発はメルトダウンで内部が空っぽのハコと化してしまった。空っぽの聖地、といえば、東京の「空虚な中心」を思い出させるが、それは考えすぎだろうか。

どの作品も紙に鉛筆で輪郭線を引き、一部をアクリル絵具で着彩した繊細な線描画だ。もう1点、李は2015年に彼女の通っていた朝鮮大学校と、隣接する武蔵野美大とのあいだに橋を架けるプロジェクト「突然、目の前がひらけて」を行なったが、その橋を描いた作品も出ている。一点透視図法で描いた見事な線描画で、パースを利かせた図面のような精密さから、山口晃を思い出してしまった。聖地、境界、ナショナリティなど切実なテーマと卓越した描写による作品は、一見繊細で弱々しい見た目とは裏腹の強度をもつ。

2021/05/22(土)(村田真)

ときたま「Ⓟ、と、Ⓦ、と」

会期:2021/05/24~2021/05/29

巷房・2&階段下[東京都]

ときたまは1993年から、「コトバ」をプリントした葉書を毎週送るというメッセージ・アートのプロジェクトを始めた。休止していた時期もあるが、その数は1100枚以上になっている。2016年からは、スマートフォンのカメラで撮影する写真家としての活動も開始した。今回の巷房・2&階段下の個展では、その両方の作品をはじめて一緒に並べている。

Ⓟ(写真)とⓌ(コトバ)では、もちろんその制作のプロセスも、出来上がりも違ってくる。Ⓟは身の回りで何かを見つけたときに、スマホで反射的にシャッターを切る。「現実に反応して、現実を撃ち落とす」ので、何が出てくるかはわからない。Ⓦも「ピッ」と感じたものをコトバ化しているのだが、その範囲はより広く「目に見えている世界じゃなくてもいい」。「認識のスナップショット」という点では、Ⓟと共通しているが、出来上がるまでに時間がかかることもある。

かなり異質なメディア同士だが、やや意外なことに、会場に並んでいる作品を見ると、その二つが気持ちよく絡み合って目に飛び込んできた。作者が同じだから当然かもしれないが、「オールジャンル」に現実世界と対峙している視野の広さ、写真化、コトバ化するときの取捨選択の切れ味、好奇心とユーモアの働かせ具合など、つながっている部分が多いということだろう。「記憶力がないので何度でも楽しめる」「死亡率100パーセント」「人をいい人にさせる人」などのコトバの意味作用が、そのままストレートに写真にあらわれているのではなく、ちょっとズレながら結びついているのが面白い。出品作品の中でも、巷房・2の長い壁に、写真とコトバを蛇腹のようにジグザグに繋いで14段に重ねたインスタレーションは圧巻だった。視点によって、写真だけが見えたりコトバだけが見えたりする。この展示の仕掛けは、他の会場でも応用が効きそうだ。


展示風景


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2021/05/24(月)(飯沢耕太郎)

鈴木恵理子「雨んぢゃく」

会期:2021/05/25~2021/06/07

ニコンサロン[東京都]

あまんぢゃく」というのは、群馬あたりでよく使われる言葉で、出先でよく雨に降られたり、雨の日を好んだりする人のことをいうのだそうだ。鈴木恵理子もどうやら筋金入りの「雨んぢゃく」のようだ。ニコンサロンの個展会場には、雨の日に撮影された(雪の日も数点あり)写真、42点が並んでいた。

雨の日は、たしかにスナップ写真の撮影に向いている。見慣れた眺めが非日常化し、人の振る舞いやモノのたたずまいがまったく違ってくるからだ。湿り気を帯びた風景がどこか懐かしいのは、われわれ日本人のDNAに、雨に降り込められた日々の記憶が深く埋め込まれているからだろう。ちょうど写真展に足を運んだ日も雨模様だったので、写真に写っている情景が実感をともなって目に飛び込んできた。すべての写真を縦位置で撮影しているのもうまくいっていた。縦位置だと、風景を切り取る意識が強くなるので、それぞれの場面の意味がより強調されて伝わってくる。雨の日は小さなドラマの宝庫であることを、あらためて確認することができた。

いいシリーズなので、ぜひもっと規模の大きな展示や写真集の出版を考えてほしいのだが、その場合はもう一工夫必要になるかもしれない。縦位置のスナップ写真だけだと、単調になってしまうので、より広がりのある横位置の写真や、距離をとって俯瞰するような風景も必要になりそうだ。撮影場所は東京・渋谷や二子玉川あたりが多いようだが、もう少し範囲を広げてもいいだろう。

2021/05/27(木)(飯沢耕太郎)

黒田康夫「土方巽最後の舞踏 写真と舞踏譜」

会期:2021/05/17~2021/05/29

表参道画廊[東京都]

黒田康夫は1970年代前半に、土方巽と彼の一派が展開していた舞踏の公演を集中して撮影していた。今回はそれらの中から、アスベスト館白桃房の『嘘つく盲目の少女』『小日傘』(1974)、大駱駝艦の『陽物神譚』(1973)、『皇大睾丸』『男肉物語』(1974)、そして土方の「最後の舞踏」となった燔犠大踏鑑の『静かな家 前編』『同 後編』(1973)の舞台写真を、ヴィンテージ・プリントで展示した。

壁一面に直貼りされたそれらの写真群を見ると、当時の熱気が伝わってくる。1960-70年代は、日本のアート・文化シーンの大転換期だった。戦後のアメリカ・ヨーロッパの影響を受けたモダニズムから脱して、もう一度日本人の身体性、土俗性の根源を見極めようとする動きが一斉に噴出してきたのだ。寺山修司や唐十郎のアングラ演劇がそうだし、大島渚の映画もそうだ。つげ義春の漫画や、森山大道の『にっぽん劇場写真帖』もその系譜に位置づけられるだろう。その方向性を最も純粋に突き詰めていったのが、土方巽が創始した舞踏の踊り手たちだったのはいうまでもない。

黒田の写真には、当時20歳代の若者たちによって担われていた舞踏草創期の輝きがしっかりと写り込んでいる。今回は慶應義塾大学アート・センターが所蔵する土方の踊りのメソッド、「舞踏譜」の資料も出品されていたのだが、それらとあわせて見ても、写真記録が重要な意味をもっていることがよくわかる。写真は瞬間を止める力が強いので、舞踏の踊り手たちの特異な身体のあり方が、驚くべきリアリティをともなって定着されているのだ。土方のモデルとしてのたたずまいも実に魅力的だ。貴重な写真群といえるだろう。

2021/05/27(木)(飯沢耕太郎)

チームラボ & TikTok, チームラボリコネクト:アートとサウナ 六本木

会期:2021/03/22~2021/08/31

TikTok チームラボリコネクト[東京都]

六本木の再開発予定地の一画に兵舎みたいな細長い仮設建築が建てられているなと思ったら、チームラボのサウナになった。合言葉は「ととのい、アートと一体になり、リコネクトする」。美術館みたいな高級な場所でアートを鑑賞するのではなく、見る人自身がサウナで最高級な状態になってアートを体験しようという試みだそうだ。「リコネクト」というのは、脳神経のシナプスを再結合させて覚醒させ、活性化させることだろう。しかしハイな状態でアートと一体化するって、なんかアブなそうな気もするけど、それだけに興味も湧く。平日4,800円もするのでためらっていたが、おもしろ半分ひやかし半分で妻と出かけた。

予約時間に行くと、一室に通され、説明を受ける。まず着替えてサウナに10分浸る。冷水を浴びて水を飲み、アートを10分体験。これを3回繰り返すという。サウナは男女一緒で、照明が赤、青、緑、黄色などいくつかの部屋に分かれている。ロウリュもあるが、サウナとしては特に変わったところはない。シャワーを浴びて、奥にあるアートのエリアに向かう。アート作品は3種類で、最初は長さ10メートルほどの壁2面いっぱいに、紅白、黄色、青紫の花が次々に咲き乱れ、散っていくまでのプロセスが映し出される。壁の両端は鏡になっているので、花畑が無限に続いているように感じられる。これは美しい。次の部屋は直径2メートルほどの球体が上下左右に移動しながら赤、青、紫に色を変えていく。おもしろいのはどの角度から見ても立体感のないフラットな円に見えること。これは不思議。最後の部屋はシャワーのように天井から落ちる水滴に光を当て、虹色に輝かせるインスタレーション。これは作品の中に入れるので、身体が虹色に染まる。これも見事。

チラシによれば、「『ととのう』ことによって感覚が鋭くなり、頭はすっきりし、美しいものは、よりいっそう美しく感じられ、普段の感覚では気がつかない体験を得ることができる」そうだが、けっこう楽しんだ割に「ととのう」ことができたかは疑問。ついこの作品はどういう仕掛けなのかとか、経済効果はどのくらいだとか、平日なのに若者が多いのはヒマだからなのかとか、マスクをしてサウナに入るのはツライとか、ここでコロナに感染したらシャレにならないなとか、頭が煩悩に支配されてハイになれず、リコネクトできませんでした。



[筆者撮影]


[筆者撮影]


[筆者撮影]


2021/05/28(金)(村田真)

2021年07月01日号の
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