artscapeレビュー

2023年04月01日号のレビュー/プレビュー

第16回 shiseido art egg YU SORA展

会期:2023/03/07~2023/04/09

資生堂ギャラリー[東京都 ]

展覧会場はほとんど白一色。壁掛けの平面も、床置きの立体もほぼ真っ白。平面のほうは、白い布地に黒い糸(例外的に白い糸もある)でハサミ、イヤホン、メガネ、椅子、腕時計、脱ぎ捨てた服といった身近な日用品のかたちを縫っている。白い地は真っ平らな平面ではなく、薄いクッションが入っているのか、縫った部分が少し凹んで浅いレリーフ状になっている。この黒い糸による線は物の輪郭線を表わしており、まさに身の回りにあるありふれた物体を一つひとつそれがなんであるか、どんなかたちをしているかを確認するかのように、まっさらな面に移し(写し)ていく行為の痕跡といっていいだろう。



展示風景[筆者撮影]


立体のほうは、机、椅子、ベッド、カーテン、食器、棚など平面に描かれたものよりは少し大きめの家具を真っ白い立体物として組み立て、その角やシワに沿って黒い糸を走らせている。つまり物体の凹凸を強調するかのように黒い線を重ね、輪郭を際立たせているようにも見える。だから立体作品ではあっても彫刻ではなく、あくまで輪郭線にこだわる絵画の延長であり、いわば立体絵画とでもいおうか。



展示風景[筆者撮影]


タイトルの「もずく、たまご」とは、ある日ローソンで買った買い物の品目らしい。そのレシートも作品化され、文字部分が黒い糸で縫われているが、いうまでもなく文字は平面に書かれるものだから輪郭線ではない。そう思って見直してみると、本のタイトルや牛乳パックの商品名は黒い糸で書かれていた。なるほど、そのものがなんであるかを認識するには、形態だけでなく文字も重要な情報になるという当たり前のことに改めて気づかせてくれる。レシートに文字が書かれていなかったら、ただの小さな四角い平面だもんね。ところで、なぜ「もずく、たまご」なのか。たまたま買っただけで、そこに意味を見出す必要はないが、あえて邪推すれば、モズクは黒くて細く、卵は白いので、彼女の作品の特徴を端的に表わしている。もっと突っ込めば、どちらもドロッと流動的で、ドライでクールな作品とのギャップが鮮やかだ。まあ彼女がそこまで考えていたかどうか知らんけど。


公式サイト:https://gallery.shiseido.com/jp/exhibition/5655/

2023/03/11(土)(村田真)

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小川佳夫展

会期:2023/02/20~2023/03/11

ギャラリーQ[東京都]

ほぼモノクロームに近い下地の絵具の上に、ペインティングナイフでサッと、あるいはサッサーッと勢いのあるストロークで絵具を塗りつけている。地の色は決まっていないが、何色も混ぜたり重ね塗りしたりしているせいか分厚く、刷毛目が残り、独特のニュアンスが感じられる。その上に塗る絵具は下地とは明暗が逆で、乾いていない下地を抉って下層の絵具を露出させている場合もある。ストロークは不定形で一振りか二振り程度だが、どことなくひらがなを想起させ、書に見えないこともない。

あえて似ている作品を探せば、李禹煥の1980年代の〈線より〉か。しかし李は乳白色の地に群青でストロークを描くため、地と図の主従関係が明白で、どこか禅画を思わせるのに対して、小川は地の存在感が強いうえ、ストロークも線描というより面描というべき太さのものもあるため、地と図が対等に近い関係にあるように見える。一見、感覚的に思えるストロークも、実は入念に色彩や形態を考え抜いているのではないか。最近はイラストまがいのマンガチックな絵や、キーワードを入力するだけで画像が出てくるAI絵画などがはびこるなか、久々に絵画を見る喜びを伝えてくる。絵を見る喜びとは、それを描く人の喜びに共振するだけでなく、作者の苦悩をも同時に分かち合うことのできる贅沢で豊かな体験だと思う。


展示風景[写真提供:ギャラリーQ]



公式サイト:http://www.galleryq.info/exhibition2023/exhibition2023-007.html

2023/03/11(土)(村田真)

東京国立近代美術館70周年記念展 重要文化財の秘密

会期:2023/03/17~2023/05/14

東京国立近代美術館[東京都]

昨年、東博が開館150年を記念して「国宝」を一挙ご開帳したと思ったら、今度は開館70年の東近美が「重要文化財」を集めた展覧会を開いている。国宝よりは見劣りするけれど、重要文化財のなかから国宝が指定されるので、百年後、千年後の「国宝」展と考えればいい。そう思って見に行くヤツはいないだろうけど。

重要文化財(重文)とは、日本にある美術工芸品や建造物などのうち歴史的・芸術的・学術的に価値が高いと国が認めたもの。そのなかで特に価値が高いものを「国宝」として国が指定する。この文化財保護法が公布・施行されたのが1950年で、明治以降につくられた美術品が初めて重文に指定されたのが1955年のこと(近代美術の国宝はまだない)。その間の1952年に東京国立近代美術館が誕生したので、重文と近美は同世代で相性がいい、と同時に、似たような悩みを抱えてもいるらしい。

というのも、近代美術(ここはモダンアートといっておこう)とは伝統的な価値観に縛られず、新しい表現を生み出していく運動であり、そこでは権威に逆らう問題作ほど評価されることが多く、近美も含めて美術館や文化財保護法といった権威づけの制度にはなじまないからだ。そもそもだれが、なにをもって「価値が高い」と判断するのか。特にモダンアートの価値基準はいまだ流動的であり(それゆえモダンアートなのだ)、「なんでこの作品が重文で、あの作品は違うのか?」なんて不満も出てくる。タイトルの「重要文化財の秘密」とは、そうしたモダンアートの抱えるジレンマを表わしているのだろう。そのジレンマはまさに近代美術館が抱えるものでもある。

重文に指定された近代美術品は計70点(鏑木清方の3点の連作を1件と数えれば68件)で、内訳は日本画34点、洋画21点、彫刻6点、工芸9点。日本画が約半数を占め、彫刻が意外に少ない。うち今回の出品作品は51点で、日本画25点、洋画15点、彫刻4点、工芸7点になる。指定された順に見ると、1955年に4点、1956年に2点が指定されたがいずれも日本画で、以後なぜか10年空き、1967年から洋画と彫刻にも門戸が開かれ、2001年にようやく工芸からも指定されるようになった。この日本画・洋画・彫刻・工芸というヒエラルキー、現在でも日展に引き継がれているが、そろそろ日本画と洋画くらい絵画で統一したらどうだろう。もし村上隆の作品が指定されたら、どっちに入れるつもりだ?

出品点数は日本画が約半数だが、会場は日本画が3分の2かそれ以上を占めている。そのためようやく日本画が終わり洋画が始まったと思ったら、瞬く間に終わってしまった。これは日本画には絵巻や屏風絵など長大な作品が多いからだ。なんとなく日本画より洋画のほうが大作が多いと思いがちだが、少なくとも重文に関してはそうではない。なかでも長大なのが横山大観の《生々流転》(1923)で、実に40メートルに及ぶ。ちなみにこの作品、制作してから重文指定される(1967)までの期間がもっとも短く、44年しかたっていない(つーか、44年で最短かよ)。また、重文のなかでもっとも新しい作品は、日米開戦前に制作された安田靱彦の《黄瀬川陣》(1940/1941)で、黄瀬川に陣を張る源頼朝の元に弟の義経が駆けつけた場面を描いている。時代を考えれば国威発揚のための戦争画と見ることもできる。

以後80余年経つが、その間の作品は1点も重文に指定されていない。では次に指定されそうな作品はなんだろう。大作かつ問題作といえば、藤田嗣治の《アッツ島玉砕》(1943)をはじめとする戦争画を候補に挙げたいが、たぶん体制が大きく変わらない限り無理だろうね。だいいち大半がアメリカから永久貸与されたものだし。戦争関連でいえば、丸木位里・俊による連作《原爆の図》(1950-1982)も有力候補だ。女性作家はどうだろう。これまで上村松園だけというのはあまりに寂しいけど、かといって洋画や彫刻に候補がいるかというと厳しいといわざるをえない。いずれ草間彌生の名前が挙がるかもしれないが、その前に人間国宝にしたほうがいいんじゃないか。


公式サイト:https://jubun2023.jp

2023/03/16(木)(村田真)

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第26回岡本太郎現代芸術賞(TARO賞)

会期:2023/02/18~2023/04/16

川崎市岡本太郎美術館[神奈川県 ]

1997年からミレニアムを超え、元号をまたいで26回を迎えた異色の現代美術コンペ。人口530万人を抱える横浜・川崎地区で、横浜美術館も川崎市市民ミュージアムも長期休館を余儀なくされるなか、唯一気を吐いているのが駅から徒歩20分の丘の上に建つ岡本太郎美術館だけというのは、あまりに寂しくないか。ちなみに4年前の台風で壊滅的な被害を受けた市民ミュージアムは、オンライン展覧会やオンライン講座などを開いているらしいが、そのままリアルミュージアムはフェイドアウトしていくつもりじゃないだろうな。

それはさておき、岡本太郎現代芸術賞展。今年は珍しく岡本太郎賞も岡本敏子賞も該当作なし。両賞が制定された第10回展以来初めてのことらしい。確かに会場を回ってみると、例年にも増してにぎやかな作品が多いように見受けられるものの、外見に比して揺るぎない意志や強烈な個性を感じさせるものは少なかった。

近年の傾向として、小品を壁や床に数十点あるいは数百点びっしりと並べる集積系のインスタレーションが目立つが、今回それで特別賞を受けたのが、コロナ禍で1日1枚絵を描いたという澤井昌平の絵画インスタレーションだ。1点だけ見れば単なる日常風景を描いたヘタな絵にすぎないが、それが数百点も集積されるとまた別の世界が立ち現われてくるからおもしろい。ほかにも集積系では、やはり1日1枚有名人の似顔絵を制作したながさわたかひろ、ボールペンで描いたハガキサイズのイラスト1472枚を並べた高田哲男、職場のマンガ図書館から廃棄された雑誌数百冊を床に積み上げて彫刻した西除闇、新聞から切り抜いた言葉をコラージュして数百句の川柳を詠んだ柴田英昭、戦前の印刷物をコラージュして数十点の掛け軸に仕立てた川上一彦など、ユニークな作品が多いが、どれも一歩及ばす。

最近珍しくなった1点ものでは、足立篤史の《OHKA》と関本幸治の《1980年のアイドルのノーバン始球式》が特別賞を受賞。足立は戦中に発行された新聞紙を貼り合わせて特攻機「桜花」を実物大で再現した。紙でつくったハリボテなので常に空気を送り込んでいなければポシャってしまう。もちろん実物はもう少しマシだったはずだが、こんなヘナチョコな兵器(飛行機というより羽根をつけた爆弾)に乗せられて無駄死にしていった若者が哀れでならない。



足立篤史《OHKA》[筆者撮影]


一方、関本が出品したのは粗末な掘立て小屋。なかを覗くと、いかにも西洋風の部屋に2体の女性フィギュアが置かれている。実はこれ、《小さな死》と題する1枚の写真を撮るために制作した舞台装置だという。《1980年のアイドルのノーバン始球式》や《小さな死》というタイトルの意味は不明だが、わずか60分の1秒のシャッター時間のために3年かけてつくり込まれたインスタレーションは見事すぎる。このまま解体するにはもったいないから現代芸術賞展に出したか。受賞してよかったね。



関本幸治《1980年のアイドルのノーバン始球式》[筆者撮影]



公式サイト: https://www.taromuseum.jp/event/「第26回岡本太郎現代芸術賞(taro賞)」

2023/03/16(木)(村田真)

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自然という書物 15~19世紀のナチュラルヒストリー&アート

会期:2023/03/18~2023/05/21

町田市立国際版画美術館[東京都]

以前ロンドンにいたとき、サウスケンジントンにある自然史博物館にしばしば通い、セシルコートの古本屋の店頭で博物図譜の古版画を買い集めていた。そのとき「自然史」と「博物学」が同じ「natural history」の訳語であることを知った。だとすれば、自然史博物館(natural history museum)は本来「博物学博物館」と訳すべきではなかったか。と思ったりもしたが、ひょっとしたら「博物館」が「natural history museum」の訳語で、「museum」は「Muse(美神)の館」を意味するから「美術館」と訳すべきだったのではないか、と思ったりもする。

いや、今日の本題はそんなことではない。natural historyとは動植物や鉱物、人間、さらに人間の生み出した人工物や怪物に至るまで、自然界のおよそあらゆる物事を収集・分類し体系化する学問。なぜそんなものにぼくが惹かれたかというと、かつて夢中になった澁澤龍彦や荒俣宏の影響もあるが、おそらく科学も芸術も宗教も未分化だった時代、つまり近代以前に、世界はどのように見られていたかを博物学が教えてくれるからだろう。それはまた、自分が小さいころ、世界をどのように見ていたのかという子どもの視点を思い出させてくれるかもしれない。さらに自然史の観点から見ても、鉱物から植物、動物、人間、人工物までがひと連なりの存在と捉えられ、その間のひとつでも欠けたら連関の鎖が途切れ、自然界全体のバランスが崩れるという今日のエコロジーの考えと近いのではないか、との思いもあった。でもいちばんの理由は、博物図譜の美しさと珍しさに魅せられたからなんだけど。

博物学はアリストテレスの『自然学』やプリニウスの『博物誌』など古代からあるが、それらが広く知られるようになるのは、活版印刷が発明された15世紀以降のルネサンスの時代。このころから西洋人が進出し始めた新大陸で未知の動植物が発見され、新たな博物誌が続々と生まれてくる。古代の博物誌と違ったのは、観察に基づく細密で写実的な絵画表現が確立し、木版画や銅版画が普及することで、文字情報だけでなく視覚に訴えるヴィジュアルブックとしての博物図譜が誕生したこと。本展では、印刷術の発明まもない15世紀後半から、大量印刷が可能になる19世紀末までに出版された主要な博物図譜を紹介している。分厚い本のページを開いた状態で見せているものもあれば、1葉ずつ版画として展示しているものもある。ああ、ヨダレが出てきそう。

いちばん古いのは『被造物の道徳的対話』(1480)、イソップ『寓話集』(1481頃)、『イエスの生涯注釈』(1482頃)あたりで、いわゆるインキュナブラと呼ばれる初期活字印刷物。これらは博物図譜ではないが、木版による簡素な挿絵に植物や動物が描かれている。挿絵がより緻密になり、図鑑ぽくなるのはレオンハルト・フックス『植物誌』(1542)、アンドレアス・ウェサリウス『人体の構造について』(1543)、コンラート・ゲスナー『動物誌』(1551-1558)あたりから。ありえない怪物を描いたコンラート・リュコステネス『怪異と不思議の年代記』(1557)や、ウリッセ・アルドロヴァンディ『怪物誌』(1642)などは近代以前ならではのもの。



アンドレアス・ウェサリウス『人体の構造について』[筆者撮影]




ウリッセ・アルドロヴァンディ『怪物誌』[筆者撮影]


変わったところでは、みずから製作した顕微鏡で観察して描写したロバート・フック『ミクログラフィア』(1665)、イエズス会士にして科学者、音楽家でもあったアタナシウス・キルヒャー『シナ図譜』(1667)、『ノアの方舟』(1675)、『地下世界』(1683)、そして宗教と自然科学が不可分だった時代の最後の徒花というべき、ヨハン・ヤーコプ・ショイヒツァー『神聖自然学』(1732-1737)などがある。日本に関係するものでは、江戸時代に舶来したヤン・ヨンストン『博物誌』(1657-1665)、長崎の出島に滞在して採集したフィリップ・フランツ・フォン・シーボルト『日本動物誌』(1844-1850)『日本植物誌』(1835-70)も忘れてはいけない。

どれも美しいが、数ある植物図譜のなかでも群を抜くのが、ロバート・ジョン・ソーントン『フローラの神殿』(1798-1807)だ。ウィリアム・モリス設立のケルムスコット・プレスから出したエドワード・バーン・ジョーンズ『ジェフリー・チョーサー作品集』(1896)は、モノクロながら超絶技巧の工芸品のよう。奇怪な海洋生物を優雅に描き出したエルンスト・ヘッケル『自然の芸術形態』(1899-1904)も、視覚的想像力を刺激してやまない。これら出品物のうち、1点ものは町田市立国際版画美術館をはじめ美術館の所蔵品が多いが、書籍は各地の大学図書館の所蔵が大半を占める。なるほどこれらは美術と図書、版画と書籍、イメージと言葉、つまりは「見る」と「読む」との境界線をまたいでいるのだ。それが世界を「わかる」ための第一歩だろう。



エドワード・バーン・ジョーンズ『ジェフリー・チョーサー作品集』[筆者撮影]



公式サイト:http://hanga-museum.jp/exhibition/index/2023-516

2023/03/17(金)(村田真)

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2023年04月01日号の
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