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2023年04月01日号のレビュー/プレビュー

「ゲリラ・ガールズ展『F』ワードの再解釈:フェミニズム!」、女性建築家

[東京都]

3月8日の国際女性デーにあわせて、ゲリラ・ガールズ展が開催されると聞いて、渋谷に出かけた。サブタイトルは、「『F』ワードの再解釈:フェミニズム!」である。30年ほど前に筆者が院生として参加したイメージ&ジェンダー研究会の発表を聞いて、初めて知ったアクテヴィスト的な現代美術フェミニズムの活動である。ゲリラ・ガールズは1985年に結成され、ゴリラのマスクをして活動し、女性はヌードの素材として裸にならないと、美術館で展示されないのか(男性作家ばかりで、女性作家の作品がほとんどない)、と抗議したことはよく知られているだろう。小規模ながら、なんとパルコの一階で展示される日がやってきたことに驚かされた。ゆっくりとだが、時代は変わる。


ちょうど建築学会のウェブ批評誌「建築討論」では、「Mind the Gap──なぜ女性建築家は少ないのか」の特集が話題になった。もちろん、過去にもこうした企画がまったくなかったわけではないが、具体的なデータを示した特集が、ようやく登場した、という感じもある。特に注目を集めたのは、長谷川逸子へのインタビューだった。彼女は女性建築家の草分け的な存在だが、東工大の篠原研に入って、いきなりゼミで「女性は建築家としてやっていけるか」が議論されるような洗礼を浴びたり、コンペで公共建築の仕事をするようになって、「建築家の男性の嫉妬深さにいじめられていました」という発言など、多くの苦労があったことが赤裸々に語られている。

イタリア文化会館では、1階のエントランスの空間を用いて、「ガエ・アウレンティ 日本そして世界へ向けた、そのまなざし」展が開催されていた。会場となった建築本体を設計したイタリアの女性建築家の展示である。デザインの特徴は、ポストモダンに分類され、はっきりとした色を使うが、そのために赤が強いイタリア文化会館は、皇居の近郊ということで景観論争が起きた。彼女はオルセー美術館、バルセロナのカタルーニャ美術館、サンフランシスコ・アジア美術館など、リノベーションの名手として有名だが、家具や展示構成からカドルナ駅(ミラノ)の広場などの都市デザインまで、幅広く作品を紹介していた。なお、建築以外のプロダクトやインテリアの仕事が少なくないのは、アウレンティが女性だからではなく、イタリアの男性建築家も同じ状況である。展示でもアウレンティが「女性」ということは、それほど強調していない。ちなみに、来場者に小さなカタログが配布されるのはありがたい。



ゲリラ・ガールズ展




ゲリラ・ガールズ展 展示風景




ゲリラ・ガールズ展 展示風景




ガエ・アウレンティ展 展示風景




アウレンティ設計のイタリア文化会館




アウレンティのプロダクト




カドルナ駅前広場


ゲリラ・ガールズ展 「F」ワードの再解釈:フェミニズム!

会期:2023年3月3日〜3月12日(日)
会場:渋谷PARCO 1階(東京都渋谷区宇田川町15-1)

ガエ・アウレンティ 日本そして世界へ向けた、そのまなざし

会期:2022年12月11日(日)~2023年3月12日(日)
会場:イタリア文化会館 東京(東京都千代田区九段南2-1-30)

2023/03/03(金)(五十嵐太郎)

せんだいデザインリーグと卒計イベント

[宮城県]

筆者が学部生だった頃、卒業設計の最優秀というのは、ただ結果のみが発表されるもので、それを決めた経緯や議論、あるいは講評などは一切示されなかった。しかし、90年代からDiploma× KYOTOFukuoka デザインリーグなどの自主イベントが登場したり、在野で活躍する建築家が大学の教員に就くことが増えたことによって、卒計を講評する文化が浸透している。そして21世紀に入り、卒業設計日本一決定戦を銘打ったせんだいデザインリーグ(SDL)が始動し、各地でも類似のイベントが次々に誕生した。背景としては、一級建築士の受験資格のための学校が、大型のスポンサーとして参加するようになったことが挙げられるだろう。また伊東豊雄が設計したせんだいメディアテーク(smt)というシンボリックな建築を会場としたことも、わかりやすく、効果的だった。もっとも、今年は改修の時期にぶつかったため、仙台の繁華街にある百貨店、仙台フォーラスの7・8階を初めて展示会場として使い、ファイナルの審査のみsmtの1階を用いている。居抜きの店舗でも展示されたり、同じフロアのすぐ近くには、「もふあつめ展」(猫写真展)、ポケモンカード店、ダンススタジオなどが混在する、シュールな風景が目撃され、空きスペースが目立つ百貨店の活用事例として興味深いものになった。



せんだいデザインリーグ 作品展示 会場風景




せんだいデザインリーグ 作品展示 会場風景




せんだいデザインリーグ 作品展示 会場風景


ただし、今年も続くコロナ禍対応でもあるが、ポートフォリオ審査で出品数をあらかじめ100作品に絞るシステムゆえに、アベレージの質はあがるが、優等生的なものが増え、なんじゃこれ? という風変わりな凸凹の作品は減った。もともとSDLはアンデパンダン的な祝祭性が重要だったと思うが、この部分の魅力は大きく削がれている。また条件付きとはいえ、せっかく3年ぶりにファイナルの審査会場を公開したものの、100選に入った学生、関係者、スポンサーのみといった入場制限をかけたために空席が目立ったのは、もったいない。今回はファイナルに選ばれた作品をsmtに移動する時間を考慮し、初の審査員完全2日拘束となったが、初日のセミファイナルにえらく長い時間をかけ(通常は当日の午前のみ)、その後の飲み会でもすでに熱い討議が展開したせいか(通常は全審査が終わってから飲む)、かえって本番は最初の投票で趨勢が判明し、その後も大きな番狂わせや下剋上はなく、わりとすんなりと決まった。ただし、SDLでは価値観の対決となる審査員同士のバトルも(例えば、過去の山本理顕vs古谷誠章、石山修武vs青木淳など)、歴史に残るハイライトになっているが、今年の10選はツートップの構図にならず、熱い議論が生まれにくく、セミファイナルの方が、意見の衝突が多かった。

近年、SDLは輸送費が高額になる問題が指定されている。最初は学生によるそれぞれ自己搬入であり、本人の交通費ですんでいたが、イベントの規模が大きくなると、会場で混乱をきたしだし、輸送業者を入れざるをえなくなり、高くなったのが実情である。その後、模型破損の事件が起き、賠償金を払えというトラブルが生じたことを受け、保険料も上乗せすることになった。ただ、今年は100作品のみの展示だったので、筆者は昔のように自己搬入に戻せばよいのでは、と意見した(SDLのピーク時は500~600作品に到達)。ちなみに、これまで審査員として参加したDiploma× KYOTOやFukuoka デザインリーグなどは、150程度の作品数なので、そこまでシステム化せず、1日で全作品を見るのにちょうどいいスケール感である。イベントはあまり大きくならない方が、懇親会も可能であり、審査員と学生との意見交換も密接になる。

 

筆者は数年前からSDLのファイナルの審査員を担当しなくなったが、今年の10選で印象に残ったのは以下の通り。空間認識のフレームを独自に発見して設計手法に展開した平松那奈子の《元町オリフィス ─分裂派の都市を解く・つくる─》(審査に参加した今年のDiploma× KYOTOのDAY2でも、高い評価を獲得し、2位となった作品)と、戦火にあるウクライナを題材としてフォレンジック・アーキテクチャー的な手法を導入した村井琴音の《Leaving traces of their reverb》である。

ところで、本人に教えてもらい、気づいたのは、昔、筆者が依頼された全国設計行脚のプロジェクトを企画していたのが、当時学部生であり、今回審査員をつとめたサリー楓さんだった。ただ既存の企画にのるのではなく、学生がお金を出し合い、講評者を選び、各地をまわり、東京で展覧会を開催するというものだった。あとにも先にも、こういう独自企画を知らない。いまは与えられた器が多いけど、現状に不満がある場合、学生が自ら企画して、講評の場を創造したっていいと思う。

せんだいデザインリーグ卒業設計日本一決定戦2023 作品展示

会期:2023年3月5日(日)~3月12日(日)
会場:仙台フォーラス 7F・8F(宮城県仙台市青葉区一番町3-11-15)

せんだいデザインリーグ卒業設計日本一決定戦2023 ファイナル(公開審査)

会期:2023年3月5日(日)
会場:せんだいメディアテーク 1Fオープンスクエア(宮城県仙台市青葉区春日町2-1)

2023/03/04(土)、03/05(日)(五十嵐太郎)

山下麻衣+小林直人 ─もし太陽に名前がなかったら─

会期:2023/01/25~2023/03/21

千葉県立美術館[千葉]

子どもたちはいつの間に、画用紙の上部片側にオレンジ色の太陽を描くことを覚えるのだろうか。私自身、かつて同様の疑問を持ったことがある。パリのニュース番組で天気予報の太陽が黄色で表示されたのを見たとき、この国の子どもたちは何色で太陽を描くのか興味をもったのだ。と同時に、一体人はいつからこのような営為を身につけるのだろうという素朴な疑問が湧いた。太陽が名前をもつということは、それが「太陽」であれ「Soleil」や「Sun」であれ、記号として接地し、反復できるイメージとして定着することを意味しているのだろう。《The Sun In The Corner》(2023)は、それを端的に示した作品だ。



《The Sun In The Corner》(2023)展示風景 千葉県立美術館[撮影:木暮伸也]


山下麻衣+小林直人は、人がこの世に生まれ落ち、一つひとつの出来事に出会いながら、それらの複雑さを捨象するための記号を獲得し、制度のなかで生きるまでのプロセスを丁寧に解きほぐす。この観察に根ざしたささやかな行為(=作品)が、いかにラディカルであり、現実を裏返し、変革をもたらす可能性に満ちているかを想像せずにはいられない。山下と小林は、鑑賞者が世界ともう一度出会い直すことを肯定しているのだ。

例えば、映像作品《積み石》(2018)の冒頭では、部屋の一角に高さ30cm、直径15cmほどの丸太が配置されている。そこに小林が現われ、丸太の間に背を向けて横になりうずくまる。次に山下が歩いて行き、安定する場所を探しながら、小林の上に積み重なる。そこにやって来るのが、愛犬のアンである。アンは、いつもとは違う二人の様子に戸惑いながら、石のように静止した二人とやり取りをしようと試みる。最後に、アンは山下の上に飛び乗り、居場所を探して留まるのである。4分38秒の間に、丸太、小林、山下、アンの関係が構築されていくのだ。興味深かったのは、初めは小林、山下、アンの三者を見ていたのだが、映像を繰り返し観察するうちに、無関係に見えていた丸太との関わりを考え始めたことだ。つまり、見る側もまた関係を見出しているのだ。《積み石》は、家族のような原初的な関わりを想起させるだけでなく、社会の原型を示していると言っても過言ではないだろう。



《積み石》(2018)展示風景 千葉県立美術館[撮影:木暮伸也]


一方、《KEEP CALM, ENJOY ART》(2019)、《世界はどうしてこんなに美しいんだ》(2019)、《人( )自然》(2021)は、山下が自転車に乗り、ペダルを漕ぐと、車輪に取り付けられたLEDホイールライトが残像効果によって短い言葉を照らしだす、映像作品のシリーズだ。そのうちの一作、《KEEP CALM, ENJOY ART》は、イギリス政府が第二次世界大戦の直前に、開戦時の混乱に備え、国民の士気を維持するために作成したプロパガンダポスター「KEEP CALM and CARRY ON(落ち着いて、日常を続けよ)」をもとに制作された作品である。このポスターは制作された当初広く知られることはなかったが、2000年に再発見されたのを機に、「CARRY ON」を別の言葉に読み替えるパロディが世界的に流行したという。言葉は記号を生み出し、集団の記憶を形成するが、その呪縛から人間を解放し、さまざまな解釈や行為を可能にすることもある。作品に引用された言葉は、向かい風を受け、自転車を漕ぎ続ける山下の身体的な負荷や風景とあいまって、生を取り戻すのだ。



《KEEP CALM, ENJOY ART》(2019)



左から《Artist’s Notebook》(2014-)、《積み石》(2018)、《NC_045512》(2023)、《KEEP CALM, ENJOY ART》(2019)、《世界はどうしてこんなに美しいんだ》(2019)、《人( )自然》(2021) 展示風景 千葉県立美術館[撮影:木暮伸也]


ここで紹介したのは展覧会の一部に過ぎない。そして、彼らの作品は、組み合わせによって何通りもの読みを誘発する。「出会い」や「関係」などから想起されるように、「もの派」の実践の拡張として捉えたり、環境芸術の観点から解釈するなど、過去の作品との接点により、新たな文脈を見出すこともできそうだ。

公式サイト:http://www2.chiba-muse.or.jp/www/ART/contents/1668403751371/index.html

2023/03/05(日)(伊村靖子)

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弓指寛治 “饗宴”

会期:2022/11/23~2023/03/21

岡本太郎記念館[東京都]

南青山にある岡本太郎記念館は、太郎のパートナーだった敏子さんが太郎の死後その住処を改装して一般公開し、初代館長を務めた場所。その記念館で、2018年の岡本太郎現代芸術賞展で岡本敏子賞を受賞した弓指が個展を開くことになったとき、敏子の目線で太郎を見返してみることを思いついたのは至極真っ当なアイデアといえるだろう。

日常生活を過ごす敏子の姿を捉えた絵もあるが、ベッドでくつろぐ太郎を足から見上げたり、スキーで先を行く太郎が前方で待つ姿を描いたり、敏子ならではの視点がユニークだ。絵の稚拙さは否めないが(ヘタウマというよりヘタヘタ)、でも相手が岡本太郎だから許せるというか、むしろ稚拙さがほのぼのとした味わいを醸し出しているのも事実。また弓指の絵の合間に、後ろ向きの《太陽の塔》のレプリカや太郎自身の絵のほか、「わたくしは太郎巫女なの」といった敏子の言葉が挟まっているのもいい。なかには「俺が太郎で無くなったら どうしよう」「その時はわたくしが 殺してあげる」という並々ならぬ関係を示唆する言葉もある。

もうひとつの部屋では、《太陽の塔》と同時期にメキシコで制作された超大作壁画《明日の神話》にまつわる作品を展示。完成後30年以上行方不明になっていたこの壁画が2003年に発見され、それを日本に移送するのが敏子の最後の仕事になった。しかしあまりに巨大すぎるのでそのままでは運べず、いくつかに分割することになったが、そのときこぼれ落ちた8千個にも及ぶ絵のカケラを修復家の吉村絵美留氏がすべて保管し、日本で元通り修復したという。その破片を弓指は一つひとつ色違いの付箋紙に描いて壁中に貼り付けたのだ。敏子はこの壁画を日本で見ることなく2005年に急逝。壁には付箋紙に混じって、「敏子の棺の中にはメキシコから持ち帰ったばかりの赤色のカケラを入れた」との言葉も。太郎愛と、それ以上の敏子愛に貫かれた展覧会。


公式サイト:https://taro-okamoto.or.jp/exhibition/弓指寛治-饗-宴/

2023/03/08(水)(村田真)

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糸井貫二木版画展

会期:2023/03/06~2023/03/11

ギャラリーヤマト[東京都]

1960年代に開始したパフォーマンスとメール・アート、「ダダカン」の通称で知られる糸井貫二の初期作品が展示されると聞き、駆けつけた。1954年4月から60年11月にかけて『遊 連句と俳石』の表紙やカットとして制作された版画を中心に、糸井の元に残されていた作品で構成されている。ダダカン連のメンバーが調査し、2022年に仙台で初の展覧会を開催、その東京版として今回の展示が企画されたという。

糸井の活動は通称の「ダダ」が示すように、歴史のなかに位置づけようとすると、さまざまな困難を伴う。というのも、黒ダライ児の調査によれば、糸井のパフォーマンスは「日時・場所を事前に告知して行われたものすらほとんどなく、予定も設定もなく行われるか他の作家たちが設定したイベントに便乗して行われた」ほか、「糸井の手元にあった貴重な資料もメール・アートによる送付や様々な原因で散逸・紛失してしまったものが多い」という背景がある。そのため、作家自身やその場に同席していた人々、当時の文献などから得られる証言、記録写真などからでなければ、活動を捉えること自体が難しい。また、危険物、猥褻物としての規制や、黒ダがアマチュア的「限界芸術」の実践者と呼ぶような側面も、糸井の評価が遅れた理由と言えるだろう。椹木野衣が『戦争と万博』(美術出版社、2005)で紹介した、大阪万博のお祭り広場を全裸で走るハプニングがおそらく最もよく知られているが、いわばセンセーショナルな側面に隠れてしまいがちな糸井の活動を、異なる視点から考えることができたのは、今回の大きな収穫であった。

《詩画(ごあいさつ)》(1957頃)には、長男との生活のひとコマが垣間見える。その柔らかな眼差しは、《菩薩像》(1960)、《仏頭》(1963)のような宗教的かつ身近なモチーフから読み取れる祈りの姿勢とも通じるものである。その間に配置された、《いけにえ(宇宙犬ライカ)》《原子炉(1)》からは、時事問題への意識が窺える。両作品の年代は記されていないが、1957年にソビエト連邦が宇宙開発の実験のためスプートニク2号に乗せた宇宙犬ライカ、亀倉雄策が国際原子力平和利用会議のために制作し、1956年に日本宣伝美術会会員賞を受賞したポスター《原子エネルギーを平和産業に!》などを想起させる。(ダダカン連メンバーの細谷修平によれば、宇宙犬ライカは同時期の記念切手のモチーフになっており、そのイメージを参考にした可能性が高いという)



詩画(ごあいさつ)(1957頃)、木版/墨書/紙、38.9×26.7(台紙45.0×32.7)㎝、[版画右下に]白文方印「か」
[© Itoi Yoshirō / Courtesy of Postwar Art Documents Conservation Inc.]



左:菩薩像(2)(1960)、木版/紙(『週刊サンケイ』)、25.8×18.0㎝、[右下に]赤色スタンプ「KAN ITOI」
右:菩薩像(6)、木版/紙、23.0×12.4(28.3×22.0)㎝、[左下に]ITOI(1960)、朱文方印「糸井貫二」
[© Itoi Yoshirō / Courtesy of Postwar Art Documents Conservation Inc.]



仏頭(1963、第4回勤労者美術展出品)、木版/紙(台紙貼込)、28.6×37.9㎝
[© Itoi Yoshirō / Courtesy of Postwar Art Documents Conservation Inc.]



いけにえ(宇宙犬ライカ)、木版/紙、13.9×13.4(40.0×26.9)㎝、[右上に]いけにえ、[左下に]白文方印「か」
[© Itoi Yoshirō / Courtesy of Postwar Art Documents Conservation Inc.]



原子炉(1)、木版/紙、18.0×17.2(41.0×31.4)㎝
[© Itoi Yoshirō / Courtesy of Postwar Art Documents Conservation Inc.]


糸井が日常のなかに留めた言葉や視点は、決して声高ではないが、生活に根ざした「反芸術」の批評意識が息づいていることを感じさせる。糸井にとって「反芸術」は一過性の様式などではなく、生涯を通じた実践であったことを、身をもって知ることができた。かく言う私自身、10年ほど前に糸井からの封書でポルノ雑誌から切り抜かれた女性の写真や男性器をかたどった複数の紙片を受け取ったことがある。メール・アートという宛先のある表現ならではの直接性を体験しつつも、男女の間に生じるパワーバランスの感覚とは無縁の清々しさすら感じられたことがずっと印象に残っていた。今回鑑賞した作品を通じて10年越しで糸井の取り組みへの新たな回路が開かれたことを、心して受け止めたいと思ったのである。

★1──黒ダライ児『肉体のアナーキズム 1960年代・日本美術におけるパフォーマンスの地下水脈』(グラムブックス、2010年、p.410)糸井の作品は同書の表紙としても用いられている。

2023/03/11(土)(伊村靖子)

2023年04月01日号の
artscapeレビュー