2018年12月01日号
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artscapeレビュー

『赤レンガダンスクロッシング for Ko Murobushi』(「〈外〉の千夜一夜 Vol. 2」)

2016年03月01日号

会期:2016/02/18~2016/02/22

横浜赤レンガ倉庫1号館[神奈川県]

昨年初夏に逝去された室伏鴻がオーガナイズする予定だったイベントの一部を、桜井圭介と大谷能生のキュレーションで実現したのが、この公演。「ダンスクロッシング」の名称は桜井圭介がおもに吾妻橋のアサヒ・アートスクエアを会場に行なってきたタイトルを踏襲している。まるでコンピレーションアルバムのように、多数のアーティストの上演を一夜に収めるこのイベントらしく、今回も前半後半(をレコード盤の言い方を模してSIDE AとSIDE Bと呼び)に分かれ、毎夜7組(全9組)がパフォーマンスを行なった。レコード盤と違うのは、上演時間が予定をはみ出しトータルで4時間に及んだこと。その理由は推測するに、多くの上演が作品というよりセッションだったことにありそうだ。当日のパンフレットには、アーティストの名前が列挙されているが、作品タイトルは(わずかな例外を除き)記されていない。この場は、なるほどオマージュ対象の室伏のパフォーマンスに似て、アーティストの力量がダイレクトに発揮され、ぶつかり合う場であった。空間現代はucnvの動画(まるで油絵の具で描かれたような室伏の映像がスクラッチされる)の前で演奏し、岡田利規は旅についてのエッセイを朗読し、捩子ぴじんは安野太郎の楽器装置の前で踊った。ラッパーのJUBEと山川冬樹と大谷能生のセッションは圧巻だったが、力と力がぶつかり合えばそれだけ、室伏鴻のソロ・パフォーマンスとの違いに敏感になった。いや、室伏もしばしばセッションのパフォーマンスを行なった。そんな場で、セッション相手に優しくなる室伏にいつも不満だった。そう、セッションは人間的な部分が如実にあらわれるぶん、ソロの室伏が持っている構造的な側面、構造を揺るがすことでダイナミックな時間を生むといった方法的側面が消えてしまうのだった。方法的な衝撃が訪れないまま、激しいぶつかり合いが続いてゆく。core of bellsは、彼ららしい寸劇で、さりげなく「4’33”」の上演を行なった。観客が怒り出すのではないかとひやひやするくらい、無為の沈黙が続いた。こういう方法的なトライアルが心に残っている(彼らの上演にはタイトルがあった。『遊戯の終わり』)。ところで、このイベントで一番観客の心をざわざわさせたのは、間違いなく、客入れや幕間に流れたSEALDsや(おそらく)ECDのデモ中の音源だった。「ア・ベ・ハ・ヤ・メ・ロ」などのシュプレヒコールは、音楽にも聞こえるが、音楽的な表現という範疇をはみ出し、社会へと放り出された叫びだ。このイベントは見方を変えれば、この幕間のコールとその前後のアーティストの表現とがSIDEを交替し続けたものと、解釈することができる。表現において作家は自分自身の個の才能を発揮しようとする、そのぶん、内向きだ。「ア・ベ・ハ・ヤ・メ・ロ」のコールは、それを始めたのが誰かもわからない、匿名の抑揚であり、だから社会へと顔を向けている。どちらを抜きにしても、今日において「パフォーマンス」を語ることは難しい。そうした現状を明示したところが、筆者が見るに、このイベントの最大の成果だろう。そうか、室伏はSEALDsを知らぬまま逝去したのだった。でも、おそらく、たいして興味を示さなかっただろう。室伏はローカルにこだわらないノマドを志向したダンサーだったから。そう思うと、室伏という存在の特異性ばかりが、際立ってくる。

2016/02/21(日)(木村覚)

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