2018年12月01日号
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artscapeレビュー

冨士山アネット『DANCE HOLE』

2016年03月01日号

会期:2016/02/04~2016/02/09

のげシャーレ[神奈川県]

フライヤーの「本作は出演者の居ないダンス公演」とは本当だった。のげシャーレの普段は通らない廊下を抜けて、観客はまず楽屋に通される。待っているのは、例えれば〈食べるはずが食べられてしまう〉あの「注文の多い料理店」。「見る」担当であるはずの観客は、真っ暗な舞台空間へと連れて行かれ、指示の声に促され、それに応えるうちに、いつの間にか「踊る」担当にされてしまう。天からの声が指示を出し、観客たちは二人ひと組で向き合うと、手をつなぎ、体を接近させて回るといった「ダンス」を踊る。この「ダンス」を見る普通の観客はいない。しかし、この場で唯一の見る者として指示の声がいるわけで、この声の主に観客=ダンサーは見られたまま、上演の60分を過ごす。ダンスを見る者は、大抵、踊る身体に同化したり突き放されたりして見る。それと、見る者が見られる者へと立場を実際に交換することとは、雲泥の差がある。筆者は、この体感型アトラクションを満喫しながら、ひたすら怖がっていた。本作タイトルは「DANCE HALL」ではなく「DANCE HOLE」。不意に「穴」に落とされた感じだ。それは指示の声にひたすら応えるマゾヒスティックな官能さえあった。これはダンスの追体験である以上に、舞台あるいは舞台本番というものの追体験であり、それ故の怖さがあった。ダンスの追体験を目論むのであれば、緊張感を削いだワークショップ形式であってもよいはずだ。しかし、そうではなく、冨士山アネットの狙いとしては、舞台に身を置く緊張こそ観客に体感してもらいたいということがあったのではないか。最後に渡された紙には「これからが本番です」といった言葉が書かれてあった。つまり、本番のはずの時間を過ごしたあとこそ、人生という本番がある。これは、そのためのリハーサルだったわけだ。その狙いはとても面白いのだが、ここで経験するダンスが、もう少しダンス史を観客が知るきっかけになっていたらよいのではないかと思った。踊ることを通して、もう少し踊りとはなにかがわかってくるとよいのだが、なかなかそうはならない(しかし、1時間くらいの「本番」でわかるはずもないのだが)。もうひとつ気になったのは、これを楽しみたい観客ってどんな観客なのだろうということ。ワークショップのマニアみたいな人がダンスの世界にいるようだけれど、そういうひと向け? あるいは、この世にいろいろと理解したらよいことがあるなかで、ほかならぬ「ダンス」を体験させることの意味とは? といった問いが明確になると、こうしたアトラクション型の公演がいま以上の脚光を浴びるなんて日が来るのかもしれない。

2016/02/07(日)(木村覚)

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