artscapeレビュー
姫路の建築《姫路モノリス》《アルモニー・アッシュ》《姫路文学館》ほか
2018年03月15日号
[兵庫県]
建築合宿の講評に参加し、明石に足を運ぶ機会があったので、姫路で久しぶりに建築めぐりをした。ピンポイントでは何度か来ていたが、一日かけてまわるのは学生のとき以来である。太平洋戦争時に空襲を受けたけれど、爆撃で狙われないよう黒く塗られた姫路城は無事だったし、地震はなく、《姫路モノリス》(旧逓信省の施設、1930)や《アルモニー・アッシュ》(旧三和銀行、1959)など、近代建築もウエディングの施設などに転用されながら、いくつか残っている。また丹下健三、黒川紀章、安藤忠雄らが手がけた現代建築もある。特に1991年にオープンした安藤の《姫路文学館》(1991)は、彼にとっても初期の公共建築であり、屋外の空間を歩く体験が楽しい傑作だ。今回、気になったのは、戦後に登場した昭和建築が消えようとしていたことである。例えば、村野藤吾が設計し、長く親しまれてきた《ヤマトヤシキ百貨店》(1951)は、いよいよ2月末で閉店だった。
1966年の姫路大博覧会にあわせて、駅前と手柄山の会場をつなぐ建設されたモノレールは、1970年代には運休していたが、現在も街中にモノレールの橋脚が残り、シュールな風景を生みだしていた。支えるものがなく、橋脚だけが並んだり、建物を貫く橋脚群も目撃した。ただし、公団と駅を合体した《高尾アパート》は最近、解体されたようである。手柄山中央公園の回転展望台も、博覧会の施設だった。上部は約14分で一周する回転レストランになっており、コアの部分はエレベータと螺旋階段のみで、トイレは外部のものを使う。アーチなどの曲線が印象的なデザインは、昔懐かしい未来を連想させる。しかし、これも3月には閉鎖するという。展望台の向かいには姫路市立平和資料館と、不戦を意味すべく刀を地中におさめた造形の太平洋戦全国戦災都市空爆死没者慰霊塔があるのだが、ほとんど来場者がいなかった。まさに昭和は遠くになりにけり、という趨勢を実感した。
2018/02/23(金)(五十嵐太郎)