artscapeレビュー

Art Project KOBE 2019:TRANS-

2019年10月15日号

会期:2019/09/14~2019/11/10

新開地、兵庫港、新長田[兵庫県]

今秋、新たに開催された「Art Project KOBE 2019:TRANS- 」(以下「TRANS-」と略記)は、いくつかの点で、神戸ビエンナーレ(2007~2015)、港都KOBE芸術祭(2017)と続いてきた神戸のアートシーンの流れに一石を投じるものだった。まず、「ビエンナーレ」「芸術祭」という文言を外したこと。作家数を2名に絞ったこと。「美術館+まちなかの周辺会場」というテンプレからの脱却。そして、アクセスしやすい商業・消費の中心エリアから、より周縁部への移動。

こうした制度設計の方針転換に加え、内容面でも深化がうかがえる。「神戸ビエンナーレ」は、現代美術展に加え、いけばな、書道、創作玩具、コミックイラスト、大道芸、児童絵画などのコンペも多数含み、総花的で市民文化祭的な性格が強かった。打ち切りを経て、神戸開港150年を記念して2年後に開催された「港都KOBE芸術祭」は、神戸港の港湾に設置された作品をクルーズ船から鑑賞する試みを実施。詩人たちの詩句が記されたフレーム越しに現在の神戸を海上から眺め、近代都市の発展、戦災、震災などの記憶を現在の風景と重ね合わせる古巻和芳の作品や、戦前に台湾から神戸へ嫁いだ女性(たち)の語りを起点に、時代、国籍、状況の異なる女性たちの生を「窓からの眼差し」と「歌」によって共振させる川村麻純の作品が目を引いた。

一方、「TRANS-」の会場となるのは、近代に開港した神戸港より古く、日宋貿易の拠点として平清盛が拓いた歴史を持つ「兵庫港」、明治~昭和に歓楽街として栄えた「新開地」、マッチ、ゴム、ケミカルシューズなど地場産業で栄えた下町であり、外国人労働者も多く根付く「新長田」という港湾部~西部の3エリアである。都市機能の東進化、産業構造の変化、阪神・淡路大震災の打撃などにより、活気を失い寂れつつある。

参加作家のひとり、やなぎみわは、出身地である神戸市兵庫区の港を舞台に、移動舞台トレーラーでの野外劇『日輪の翼』を再演予定。従って美術展としては、もうひとりの参加作家、グレゴール・シュナイダーによる実質上の個展といえる。シュナイダーの《美術館の終焉―12の道行き》は、言わば「ディープな神戸ツアー」。かつての歓楽街や高度経済成長を支えた労働者街に点在する複数スポットを巡礼のように辿る仕掛けにより、華やかで祝祭的な「芸術祭」が抑圧しがちな歴史の暗がりを立体的に浮かび上がらせた。

各スポットは「第1留~第12留」まで番号が振られており、タイトルの「12の道行き」はキリストの受難の道を指す。既存の建築や施設に残る痕跡をなぞり、時に大胆に介入の手を加えつつ、パラレルワールドや悪夢のような光景を出現させる。特に印象深いのは、第3留、第4留、第8留、第9留、第12留だ。《消えた現実》と題された「第3留:旧兵庫県立健康生活科学研究所」は、感染症や食品衛生などの検査や研究を行なっていた施設である。床、壁、天井、柱などすべてが真っ白に塗られた室内空間は、脅迫的な衛生観念や管理権力の浸透を、その暴力的な白さでもって体現する。一方、無残に荒らされて物品が散らかった研究室は、バイオハザードの事故現場に足を踏み入れたような錯覚をもたらす。その想像に実体的な恐怖感の輪郭を与えるのは、「動物試験室」と掲げられた部屋、動物用と思われるタイルの洗い場、そして場違いなまでにカラフルな原色で塗られた檻など、かつて営まれていた現実の痕跡とシュナイダーによる介入が相乗効果をもたらすからだ。



グレゴール・シュナイダー《美術館の終焉―12の道行き》
第3留:旧兵庫県立健康生活科学研究所 《消えた現実》
[写真:表恒匡]


「第4留」の《条件付け》は、100m以上続く地下通路に設置された通路状の構造物である。見かけは地下通路とそっくり同じ壁と柱が連続するが、扉を開けて中に入ると、白い浴室、真っ暗な部屋、浴室、真っ暗な部屋……が交互に続き、無限回廊か醒めない悪夢にはまり込んだかのようだ。また、《白の拷問》と題された「第9留」は、同じく地下鉄の長い地下通路に設置した作品だが、扉の先には、左右対称に扉が並ぶ白い廊下が出現する。これは、アメリカ軍がキューバに秘密裡に設けたグアンタナモ湾収容キャンプ内の施設を、収監者の証言を元に再現したものだ。「白」という色が帯びる排他性、均質性、幾何学的な規則性に支配された空間は、「究極的に合理的であることは、非人間的である」ことをまさに体感させるとともに、管理権力が「日常」のすぐ傍に遍在していることを示唆する。



グレゴール・シュナイダー《美術館の終焉―12の道行き》
第9留:神戸市営地下鉄海岸線・駒ヶ林駅 コンコース 《白の拷問》
[写真:表恒匡]


一方、「人の生活の痕跡」に目を向けるのが、「第8留」と「第12留」。《住居の暗部》と名付けられた「第8留:神戸市立兵庫荘」は、低所得の男性勤労者のための一時宿泊施設として、港湾労働者の多い居住区に1950年に開設され、昨年まで利用されてきた。だが内部は、廊下、二段ベッドの並ぶ居室、食堂、トイレなどすべてが真っ黒に塗りつぶされ、鑑賞者はライトを手に暗闇を彷徨う。文字通り、闇に葬られたかのような黒化した空間だが、目を凝らせば、ベッド上に放置されたタオルや散乱したゴミが認められ、「不在」と「痕跡」を同時に突き付ける。また、最後の「第12留:丸五市場」は、震災で奇跡的に火災を免れ、細い路地が迷路のように続く古い商店街である。「第1留」と連動しており、「第1留」で3Dスキャンされた高齢者たちのアバターが、スマホのアプリを通して画面内に出現するという仕掛けだ。不条理、暴力性、痕跡の抹消、不在や空白といったモメントを辿ってきた最後に、(亡霊的な仮象であっても)人の存在を蘇らせたいというかすかな希求が感じられた。



グレゴール・シュナイダー《美術館の終焉―12の道行き》
第12留:丸五市場 《死にゆくこと、生きながらえること》
[撮影:筆者]


ただし、空き家を会場に日時限定のパフォーマンスが行なわれる「第6留」は、ステレオタイプなジェンダーの再生産という点で疑問が残った。一階の浴室では、曇りガラスの向こうで、長い黒髪の女性がシャワーを浴びている。二階では、雑然と散らかった部屋で、引きこもり状態の男性が観客に背を向けて横たわる。「引きこもり=男性」というステレオタイプなジェンダー観。窃視的な視線の対象となり、「服を脱ぐ」のはなぜ「女性」なのか。ここには、ステレオタイプや既存の権力構造の再生産にアートが与してしまうことに対する自覚的な反省は見られない。画期的な企画であっただけに惜しまれる。


追記:主催者側によると、シュナイダーはパフォーマー募集にあたり、 「階のジェンダー指定はないが、男女両方を入れること」を望んでいたという。筆者の見た日はたまたま1階が女性、2階が男性パフォーマーであり、別の鑑賞日には、逆パターンや両階とも同性の場合もあった。

公式サイト:http://trans-kobe.jp/

関連レビュー

港都KOBE芸術祭|高嶋慈:artscapeレビュー

2019/09/13(金)(高嶋慈)

2019年10月15日号の
artscapeレビュー