artscapeレビュー
アルベール・カミュ『ペスト』
2020年05月15日号
訳者: 宮崎嶺雄
発行所:新潮社
発行日:1969/10/30
フランスの文豪、アルベール・カミュの『ペスト』が、ここ最近、急にベストセラーとなり話題を呼んでいる。4月頭、私も御多分に洩れず新潮文庫を購入し、その奥付を見て驚いた。昭和44年に発行後、平成に一度だけ64刷改刷をするに留まっていたにもかかわらず、令和2年3月30日に87刷である。新型コロナウイルスが猛威を振るうこの非常事態にこそ、疫病を描いた物語を改めて読み、同時体験として共感と教訓を得たいという心理なのか。
通読してみて、やはり想像どおり、物語と現在の状況とがよく似ていて震えた。舞台はカミュの生まれ故郷であるアルジェリアの港町オラン。ひとりの医師の目と、彼の友人が残した手帳の観察記録を通して、物語は淡々と進んでいく。ネズミの死体発見から始まり、ペストが人々を徐々に襲って病や死に至らせると、町がついに封鎖されてしまう。その町の中で、医師と交流のあるさまざま立場の人たちの行動や心理がつぶさに描かれていく。この災禍を「みずからペストの日々を生きた人々の思い出のなかでは、そのすさまじい日々は、炎々と燃え盛る残忍な猛火のようなものとしてではなく、むしろその通り過ぎる道のすべてのものを踏みつぶして行く、はてしない足踏みのようなものとして描かれるのである。」とカミュは描写する。そう、現在、私たちが直面しているこの非常事態宣言下もまるで「足踏み」のようではないか。
本書は「不条理の哲学」と評されている。疫病や戦争、貧困などの不条理な状況下に置かれたとき、結局、人々が取る行動や心理は、昔もいまもあまり変わらないことが切々と伝わる。そもそも本書が発表されたのは1947年。第二次世界大戦直後だったことから、当時のフランス人にはまだ記憶に新しい戦争体験と重なったようだ。しかし当時と現在とでは、大きく異なる点がある。それは現代には進んだテクノロジーがあるということだ。当然ながら医療が進化している一方、世界中の都市がロックダウンしても、我々にはインターネットという強い武器がある。物語のなかでは封鎖された町の人々が引き離された家族や恋人と連絡を取る方法は電報しかなかったが、現代にはビデオ通話がある。学校には通えないが、オンライン授業が試み始められている。会社に通勤せずともリモートワークが実践されている。買い物もネット通販が盛んだ。インターネットだけではない。休業を余儀なくされた企業や人々の間では、新しい仕事への可能性を柔軟に探ろうとする動きがあり、また同時に新しい生活スタイルも築かれつつある。「Withコロナ」や「Afterコロナ」という言葉が生まれているように、このコロナ禍をきっかけとして、いま、社会の大きな価値転倒が起ころうとしているのかもしれない。そう考えると、疫病は人間社会を荒療治するために不意にやって来る“神”のような存在にも思えてくるのだ。疫病神とはよく言ったものである。
2020/04/30(木)(杉江あこ)