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井奥陽子『バウムガルテンの美学──図像と認識の修辞学』

2020年10月15日号

発行所:慶應義塾大学出版会

発行日:2020/02/28

哲学の一分野としての「美学(aesthetics)」が、18世紀のドイツにおいて成立した歴史の浅い学科であることはよく知られている。また、この分野の入門書を手にとったことのある者なら、この美学という言葉がギリシア語の「アイステーシス(感性)」に由来すること、さらにそこからラテン語の「アエステティカ(aesthetica)」という言葉を鋳造したのがバウムガルテンという哲学者であることも、おそらく一度は耳にしたことがあるだろう。

アレクサンダー・ゴットリープ・バウムガルテン(1714-62)は、美学という学問の創設者として哲学史に名を残す一方で、長らく「顔の見えない哲学者」(iii頁)であった──そのような興味をそそる導入から、本書は始まる。その先を読み進めてみるとわかるように、実はこの表現にはいくつかの含意があるのだが、たしかにバウムガルテンという人物について、従来われわれが知りえることはごくわずかであったと言ってよい。

なるほど、つい数年前にはバウムガルテンの『美学』の文庫化という画期的な出来事もあり(松尾大訳、講談社学術文庫、2016)、一見するとその思想に接近する土壌は整っているかにも見える。しかしながら、ライプニッツ(1646-1716)やヴォルフ(1679-1754)の影響を色濃く受けた、いわゆる「ライプニッツ=ヴォルフ学派」に属するこの哲学者の仕事は、今日のわれわれにとってけっして理解しやすいものではない。第一、その著書のほとんどはラテン語で書かれており、何よりも一次テクストへの接近に困難がある。また、本書の著者が言うように、今世紀に入り「バウムガルテン・ルネサンス」(vii頁)と呼びうる研究の大幅な進展が見られるようになったとはいえ、ドイツ語以外の(たとえば英語での)研究論文の数もいまだ多いとは言えない。

本書は、そのような状況において登場した、日本語としてははじめてのバウムガルテンの研究書である。博士論文が元になっているということもあり、記述は一貫して手堅く、隅々まで読んでもほとんど曖昧なところがない。ある意味では『美学』以上に重要な『形而上学』をはじめ、バウムガルテンの美学が総体として──すなわち周縁的なテクストも含めて──扱われた、モノグラフとしては理想的と言ってよい研究書である。実際に『美学』をひもといてみるとわかるように、バウムガルテンの論述は、ヴォルフ学派の特徴である過剰なまでの「体系」への欲望に貫かれている。それが読者にとっては躓きの石となりかねないところだが、本書は、各テクストの構成を示した簡便な資料を盛り込むことにより、この問題も巧みにクリアしている。

バウムガルテンの美学を総体としてとらえなおすために、本書はタイトルにもある「修辞学」との関係に注目する。もちろんこれまでにも、黎明期の美学──バウムガルテンやカント──における修辞学との関わりを論じた書物がなかったわけではない。しかし本書はそうした既往研究にも十分に目を配りつつ、バウムガルテンの『美学』を「拡張された〈一般修辞学〉」(185頁)の試みとして読むことができる、という斬新かつ説得力ある議論を開陳する。

研究書を読む醍醐味のひとつは、ふだん漠然と共有されている臆見が鮮やかに覆されることにある。この書評のはじめにも書いたように、バウムガルテンはもともと美学を「感性の学」として構想したのだ、ということが入門書などではまことしやかに言われる。とりわけ美学を「感性学」ないし「感性論」として再建しようとするここ数十年の試みのなかで、そうした言説はいっそう広まったかに見える。しかし厳密に言えば、バウムガルテンその人が「美学」に与えた定義は「感性的認識の学」にほかならなかった(71頁)。そして、この「感性的認識」とは、現在われわれが「感性」という言葉から連想するものとけっして同じものではない。本欄では、その先にある本書の核心部分を詳しく紹介するには至らなかったが、以上の消息を知るだけでも、本書を手に取る意義は十分にあるだろう。

2020/09/15(火)(星野太)

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