artscapeレビュー
ジェニー・オデル『何もしない』
2022年02月15日号
翻訳:竹内要江
発行所:早川書房
発行日:2021/10/05
アーティストのジェニー・オデルが、本書『何もしない方法(How to do Nothing)』の原型となる講演をEyeo Festivalで行なったのは2017年のことである
。その後、本書は2019年に書籍として書き下ろされ、かのバラク・オバマの目にとまることになる。その高評価とも相まって、同書は『ニューヨーク・タイムズ』をはじめ、数多くの媒体で取り上げられるベストセラーとなった。本書が人々の関心を集めた最大の理由は、そのテーマのもつ時宜性と、語り口のユニークさにあると言えるだろう。本書の問題意識は、「われわれは注意経済(アテンション・エコノミー)からいかに距離を取ることができるか」という問いにほとんど還元されると言ってよい。事実、日本語では省略されてしまっている原書の副題は「注意経済への抵抗(Resisting the Attention Economy)」である。つまり、日々インターネットの記事・広告・SNSなどから垂れ流されてくる情報の氾濫からいかにして身を守るべきか、というのが本書の基調をなす問題意識なのだ。しかしそれと同時に、著者は「TwitterやFacebookをやめるべきだ」とか「スマートフォンを手放すべきだ」といった安易な「デジタル・デトックス」がなんの解決にもならないということを早々と指摘する。肝要なのは、そうした一見わかりやすい解決策に飛びつくことではなく、われわれの「注意」のありかたそのものを変えていくことなのだ──本書を通して、著者が一貫して唱えているのはそうしたことである。
本書『何もしない』がよくある巷の啓蒙書と異なるとしたら、それはアーティストである著者ならではの具体的な経験が広く散りばめられているからだろう。同書の論述はけっして一本道ではなく、そこでは現在と過去、理論と実践、作品と日常がいたるところで絡まりあっている。そこに登場するエピソードのなかには、オデルその人の作品や実践のみならず、彼女が教鞭をとるスタンフォード大学での学生とのやりとりや、家族やパートナーとのささやかな出来事も含まれる。また、1960年代に生じたコミューン運動への批判的なまなざし(第二章)や、彼女の論旨を補強するピルヴィ・タカラや謝徳慶といったパフォーマンス・アーティストの作品(第三章)も、それぞれ興味深いものである。かたや、全体にわたり参照される哲学・文学作品のなかには過去にさんざん使い回され、いくぶん摩耗したものも含まれるが(ジル・ドゥルーズ『記号と事件』、ハーマン・メルヴィル『代書人バートルビー』、レベッカ・ソルニット『災害ユートピア』など)、広範な読者を想定した一般書としては致し方のないことかもしれない。
いずれにせよ、本書のスタンスに注目すべき点があるとすれば、それは「注意経済」に覆い尽くされた日々の生活を惰性的に受け入れるのでも、反対にそこからの安易な離脱を説くのでもなく、そのなかで何とかやっていくためのヒントを具体的に示しているところだろう。オデルが言うように、いまのわれわれに必要なのは、みずからの注意をコントロールするための「継続的なトレーニング」である(154頁)。そのさい著者が何度も引き合いに出すのは、地元オークランドのバラ園やバードウォッチングだが、既述の通り、それはかならずしもわかりやすい「自然回帰」を志向するものではない。情報テクノロジーからの完全な離脱がもはや現実的ではない現下の状況において、本書は「第三の空間」(121頁)や「コンテクストの回復」(268頁)が、そこからの脱出口となりうることを指摘する。それを、理論/実践いずれかの一辺倒ではなく、両者を縫い合わせるかたちで──しかも、あくまでユーモラスに──示した本書の提言は、たしかに一読に値するものでる。
2022/02/07(月)(星野太)