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地域の課題を考えるプラットフォーム 成果発表「仕事と働くことを演じる」(演出:村川拓也)

2022年02月15日号

会期:2022/01/30

ロームシアター京都 ノースホール[京都府]

本職の介助労働者が、その日の観客から募った「被介助者」役を相手に、日々の重度身体障害者介助の仕事を実演する『ツァイトゲーバー』(2011)。日中韓の3カ国から参加した3人の介助者が同様に出演する『インディペンデント リビング』(2017)。この形式を踏襲した『Pamilya』(2020)では、フィリピンから来日して老人ホームで働く外国人介護士が出演し、介護を担当した高齢女性への想いや自身の人生を語ることで、個人的・歴史的射程が広がるとともに、「外国人労働者に依存する介護現場」「シングルマザー」といった社会的課題を浮かび上がらせた。さらに、『事件』(2021)では、「スーパー」という消費空間を舞台に、従業員、管理する店長、買い物客の行為を(当事者ではなく)俳優がマイムで再現。マニュアル通りの機械化された動作の空虚な反復を通して、消費資本主義社会と組織の中で抑圧された身体によって「快適」に保たれた日常の不気味さが提示された。これらの作品群に通底するのは、「日常生活を支えるものであるにもかかわらず、社会的/個人の意識内において透明化された労働」をまさに観客の目の前に差し出す点である。

ロームシアター京都の事業「地域の課題を考えるプラットフォーム」の一環として開催された本公演も、こうした村川拓也のドキュメンタリー的手法の系譜に連なるものだ。本公演は、「ワークショップ参加者が実際に経験した仕事」を元につくられた演劇作品である。「ワークショップ成果発表」と銘打たれているが、これまで培った手法の新たな展開を示す、完成度の高い作品に仕上がっていた。

スピーカー、パイプ椅子、スタンドマイクのみが登場する、ほぼ素舞台に近い、何もない空間。5名のワークショップ参加者が順番に登場し、普段の(あるいは過去に経験した)労働をマイムで淡々と再現する。具体的な仕事名は告げられないが、接客の言葉や同僚との会話、動作の節々から、カフェの店員、おせち製造工場の従業員、別の工場の従業員、図書館の司書、ごみ収集作業員であることがわかる。点描を重ねていくことで、規律化された労働者の身体(と俳優との同質性)、外国人技能実習生、そして労働とジェンダーの問題が重層的に浮かび上がっていく。


[撮影:金サジ(umiak)]


カフェや工場では、「スピーカー」から流れる注文の合図や現場監督の指示に、機械のようにただ従う身体が提示される。それは同時に、「不在の演出家の声」に動かされる俳優の身体への批評でもある。また、「いらっしゃいませ!」「ありがとうございます!」「クレームゼロ!」といった文句や会社のモットーを、誰もいない空間に向かって復唱し続ける姿は、規律化された労働の異様さを強調する。注文の合図や指示の声は次第に間髪を入れずに響き続け、その速度に追いつけない労働者の身体はバグを起こしたように機能不全に陥ってしまう。一方、組み立てラインや箱詰め作業といった、身に染みついた動作の再現は流れるように滑らかで、無対象で抽象化された動きはダンスを見ているようでもある。


[撮影:金サジ(umiak)]


おせち製造工場で主題化されるのは、「日本人の快適な生活」が外国人技能実習生に支えられている構造だ。(姿の見えない)同僚との会話から、複数の国の出身者がいることや残業問題が示唆される。従業員の周りを取り巻く「見えない外国人労働者」は、まさに私たちの意識の問題でもある。一方、休憩時間の挿話は、「国籍」という個を捨象する枠組みから「個人」への眼差しの移行を示し、示唆的だ。出演者は休憩中、隣席の外国人労働者に「あなたの、くには、どこですか?」と尋ねるが、日本語が通じない(メタレベルでは「答えてもらえない」)。だが、退勤の際、失礼な質問を謝り、「あなたの名前は?」と聞き直すことで、個人としての関係を結べるようになる。

また、労働とジェンダーの関係に焦点を当てるのが、図書館司書が読み聞かせる「絵本」の内容である。「お父さんの仕事」と「お母さんの仕事」の2冊の絵本は、ジェンダー化された労働を如実に示す。「お父さん」は、家では「パパ」「お父ちゃん」と呼ばれるが、仕事中は「現場監督」「係長」「工場長」「配達員」などと呼ばれ、公/私の明確な境界と「社会的地位の高さ」を示す。一方、「お母さん」が従事するのは、家事や育児、保育士、ウェイトレスやスーパーのレジ係などパートタイムや低賃金の労働である。


[撮影:金サジ(umiak)]


終盤、ごみ収集車に乗り込んだ作業員は、市街地を離れ、一面の雪景色を目撃する。娘のためにスマホで写真を撮り、「きれいやなあ」とつぶやく。つかのま出現した銀世界は、一瞬後、暗転に飲み込まれた。徹底してドライな本作だけに、余韻と抒情性を残した終わり方は鮮烈な印象を与えた。

ただ、労働とジェンダーの問題の扱い方には疑問も残る。上述の「読み聞かせ絵本」の選択は確信犯的だが、一方、ワークショップの募集要項には「有償の仕事であること」という条件が書かれ、実際の再現も賃金・雇用労働に限られていた。家事や育児といった家庭内での再生産労働もまた、男性中心主義社会では「見えない労働」である。障害者介助や老人介護、外国人労働者、スーパーの店員、ごみ収集作業員など「生の持続を支えているにもかかわらず、社会的にも私たちの意識内でも透明化された労働」を扱ってきた村川だが、「再生産労働という不可視化された労働」への言及があれば、その射程と批評的意義はより深まるのではないか。

関連レビュー

村川拓也『事件』|高嶋慈:artscapeレビュー(2021年06月15日号)
村川拓也『Pamilya(パミリヤ)』|高嶋慈:artscapeレビュー(2020年03月15日号)
村川拓也『インディペンデント リビング』|山﨑健太:artscapeレビュー(2017年12月15日号)
村川拓也『ツァイトゲーバー』|木村覚:artscapeレビュー(2013年03月01日号)

2022/01/30(日)(高嶋慈)

2022年02月15日号の
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