artscapeレビュー
2022年05月15日号のレビュー/プレビュー
鳴門市の増田友也建築群
[徳島県]
昨年開催された京都大学総合博物館の「増田友也の建築世界─アーカイブズにみる思索の軌跡」展で、徳島県の鳴門市に彼の作品が集中していることを初めて知って、訪れた。せいぜい数件を見学できればいいと思っていたが、保存運動に携わる現地の建築家、福田頼人と谷紀明による案内のおかげで、効率的にまわり、なんと現存する18作品すべてに立ち寄った。もっとも、いくつかの学校や幼稚園が廃校となっていたこともあり、外観のみ、もしくは窓から室内をのぞくといったケースがほとんどだったからこそ、これだけの数を稼ぐことができた。内部空間にも入ることができたのは、たまたまイベントをやっていた《島田小学校・幼稚園》(1981)と、校庭がいちご狩り農園とカフェに転用された《北灘西小学校》(1977)などである。ともあれ、ファサードだけ見映えを整える近年の安普請の建築と違い、いずれも立体的な造形として、密度の高いモダニズムの建築を実現し、豊かな空間の体験がつくられていたことには感心させられた。正直、増田は京都大学の難しい建築哲学の人という印象だったが、子どもにやさしい空間であるというギャップにも驚いた。
学校は各地に点在しているが、建築が相互に対話する《勤労青少年ホーム》(1975)、《老人福祉センター》(1977)、《文化会館》(1982)、あるいはブリッジでつながれた《鳴門市庁舎》(1963)と《共済会館》(1973)は、都心において有機的に関連する建築群となっていた。残念ながら、後者と連結していた《鳴門市民会館》(1961)は、近年解体されたが(跡地に内藤廣による建築が完成する予定)、まさに群として都市建築が構想されたことは、デザインが単体になりがちな日本において貴重な事例だろう。鳴門市では、小学校と幼稚園がセットで建設されるケースが多いことも興味深い。開口、ブリーズ・ソレイユ、トップライトなど、増田のデザインには、ル・コルビュジエの影響を指摘できるが、都市建築的な展開は、四国のチャンディガールというべきプロジェクトである。おそらく、開発の圧力が少ない地方都市ゆえに、まだ19作品のうち18作品も残っている状況も特筆すべきだ。鳴門市では、越後妻有や瀬戸内のような芸術祭はないが、廃校を宿泊施設に変えるなど、リノベーションによって活用されることが望まれる。
関連レビュー
増田友也の世界─アーカイブズにみる思索の軌跡|五十嵐太郎:artscapeレビュー(2021年12月15日号)
2022/04/02(土)(五十嵐太郎)
徳島市と神山町の建築
[徳島県]
徳島市の中心部では、いくつかの建築をまわったが、あまり知られていない近代の《三河家住宅》(1928)が抜群に面白い。ドイツに留学した医者が、現地で同郷の木内豊次郎と知り合い、帰国後につくった家である。鉄筋コンクリート造の住宅としてかなり早い事例だが、古典主義の独特な解釈、表現主義風のモチーフ、ガーゴイルなどさまざまな要素を組み合わせ、しかも日本ではめずらしいグロッタ風のでかい岩屋まで付いて、きわめて個性的な造形だった。同市では、他にも列柱とアーチを反復する《旧第一勧業銀行徳島支店》(1929)、安藤忠雄らしい《WITHビル》(1985)、西山卯三によるやや大味の《あわぎんホール(徳島県郷土文化会館)》(1971)などがある。また川辺の空間が整備されており、鈴木禎次による《国際東船場113ビル》(1932)のリノベーションもうまく接続していた。見るべき現代建築は少ないように思われたが、むしろ市内から自動車で約40分ほどの距離にある山間部の神山町に2010年代から新しいタイプのプロジェクトが次々と登場している。
以前、名古屋で中華を食べていたら、後の席にいるサラリーマンが話題にしていたのが聞こえてきた。そのくらい、すでに神山町の試みは有名だろう。アーティストのレジデンスを契機に街づくりが動きだし、IT系の企業のサテライト・オフィスが設置され、都会からの新規の移住者も増えている。長屋の一角を改修した《ブルーベアオフィス神山》(2010)、元裁縫工場の《神山バレー・サテライトオフィス・コンプレックス》(2012)、民家を改造した《えんがわオフィス》(2013)、宿泊施設の《WEEK神山》(2015)など、若手のバスアーキテクツ(後にBUSと改名)が設計に関わり、彼らの活動は第15回 ヴェネチア・ビエンナーレ 国際建築展(2016)の日本館でも紹介された。BUS以外の建築もあり、例えば、神山町のあす環境デザイン共同企業体による《神山町大埜地の集合住宅》(2021)は、移住者の受け入れを行なう。なお、地産の食材を使うレストランのかま屋(2017)は、しだれ桜でも知られる神山町の花見のシーズンだったとはいえ、事前予約がなければ入店できないほど混んでいたが、確かにランチは美味かった。
2022/04/03(日)(五十嵐太郎)
劇団印象-indian elephant-『藤田嗣治〜白い暗闇〜』
会期:2022/03/26~2022/04/10(アンコール配信)
小劇場B1[東京都]
劇団印象-indian elephant-『藤田嗣治〜白い暗闇〜』(作・演出:鈴木アツト)が「国家と芸術家」シリーズの一作として2021年10月から11月にかけて上演された。劇団のTwitterによれば「国家と芸術家」シリーズは「第二次世界大戦時に国家という枠組みに翻弄された芸術家に注目。国家や国民により彼らの“自由”が縛られる姿を描く」もの。二度の映像配信も行なわれ(筆者は二度目の配信で視聴)、同作の戯曲は「令和3年度希望の大地の戯曲賞『北海道戯曲賞』の最終候補にもノミネートされた。
画家・藤田嗣治(間瀬英正)を描いた本作は藤田の渡仏前夜の1913年から1945年に至るまでの全10場で構成されている。フランスでの苦労と成功、「乳白色の肌」の技法を発見したことによる独自の画風の確立、帰国、戦争画の依頼、再びの渡仏と帰国、そして敗戦と戦争画家としての責任の追及。こうして場面を並べてみると一見したところ藤田の評伝のようだが、それにしてはあまりに欠落が多い。例えば、藤田の5人の妻のうち舞台に登場するのは5人目の妻となった君代(山村茉梨乃)だけ。「国家と芸術家」というテーマに関連するところでは従軍画家として過ごした1年のことも描かれない。一方、パリでのエピソードは渡航直後に出会った娼婦・ナタリア(廣田明代)や弟分の画家・村中青次(泉正太郎)との関係を中心に創作を交えて膨らませられている。このような選択は、無名の画家が異国の地で名声を得る過程と、日本を代表する画家が戦争画を描くことで自国に居場所をなくす過程とを対比させるためのものだろう。絵画という芸術によって居場所を獲得した画家は同じ絵画によって居場所を失うことになる。
だが、この作品のユニークさはほかにある。そのひとつは、舞台上に突如として数人の日本兵が登場する二度の場面だ。一度目は藤田が初めて戦争画を描かないかと打診されたとき。二度目は敗戦後、戦争画を描いた責任を追及されるかもしれないこと、そして弟子の画学生・山田(片村仁彦)が戦死していたことを告げられたとき。登場する日本兵の姿はいずれも藤田が幻視したものとして解釈することはできるものの、リアリズムを基調とする本作においてこの場面は異彩を放っている。
もうひとつは村中という人物を設定したこと。パリ時代の藤田の弟分として登場した村中は、藤田の帰国後もことあるごとに現われ、藤田との対話によってその内面の葛藤を表わす役割を果たす。藤田自身が「俺の影」と呼ぶように、村中はつまるところもうひとりの藤田なのだが、ではなぜ単なる分身ではなく村中という人物が造形される必要があったのだろうか。
そもそも村中がもうひとりの藤田となったのは、パリでくすぶっていた村中が、藤田の名前を利用して娼婦と懇ろになるために、おかっぱ頭にロイド眼鏡という藤田の出で立ちを真似たことがきっかけだった。しかしその特徴的な外見もまた、藤田が「絵を売るための、絵になる顔」として思いつき、自ら作り上げたイメージでしかない。その意味で「俺自身は、実体がないんだ」という村中の自嘲の言葉はどこまでも正しい。
だが、もうひとりの藤田としての村中の登場は予兆に過ぎない。つくり上げられたイメージはやがて作者の手を離れ、その制作意図とも離れたところで流通しはじめるだろう。そうして独り歩きをはじめたイメージはもはや実体のない影などではなく、現実に影響を及ぼす「リアル」となっていく。そういえば、一度目の日本兵たちはカンバスを通って現われたが、二度目の出現にカンバスは必要とされていなかった。絵画を通して、演劇を通して「観客」の眼前にリアライズされたイメージは、そのときすでに現実となっている。
最後に登場する場面で村中は、戦争犯罪人にされないためには焼いてしまった方がいいと藤田の戦争画を焼こうとする。「人に言われて描いた絵なんて、本物じゃないだろう?」「兄貴の戦争画は偽物の絵だ。兄貴は偽物の画家だったんだ」という言葉に激昂した藤田は思わず村中を刺すが、村中は死なない。生み出されたイメージは殺すことができない。村中は言う。「お前の戦争画は大衆の自画像だ。見ると、自分たちが戦争に酔っていたことに気づかされる」。だから戦争画は燃やされなければならないのだと。一方で村中はこうも言う。「描くことで、人類に見せつけるんだ。噴き出す血と共に蠢く歴史を」と。村中は藤田の眼前に日本兵たちを呼び出してみせる。絵の中の兵士は永遠に生き、あるいは殺され続ける。煉獄のようなその光景は戦後と呼ばれる、そしていつか戦前と呼ばれるかもしれない時間に宙づりになっている。
「国家と芸術家」シリーズの次作『ジョージ・オーウェル 沈黙の声』は6月8日(水)から12日(日)まで下北沢・駅前劇場での上演が予定されている。
劇団印象-indian elephant-:http://www.inzou.com/
2022/04/04(月)(山﨑健太)
Tokyo Contemporary Art Award 2020-2022 受賞記念展:藤井光
会期:2022/03/19~2022/06/19
東京都現代美術館[東京都]
東京都とトーキョーアーツアンドスペース(TOKAS)が、中堅アーティストを対象に複数年にわたる支援を行なう「Tokyo Contemporary Art Award(TCAA)」。第2回の受賞者、藤井光と山城知佳子の受賞記念展が開催された。個展形式の展示だが、アジア太平洋戦争期に日本軍の委嘱で戦地に派遣された約100名の画家によって描かれ、敗戦後にアメリカ占領軍に接収された戦争画(作戦記録画)の扱いをめぐり、占領軍が残した資料を検証した藤井の新作と、出身地・沖縄の基地問題や沖縄戦の記憶の継承について作品化してきた山城とは、「戦後処理」の問題や日米の権力構造という点で呼応する。本評では、「展覧会の入れ子構造」をとおして、「戦争画153点が一堂に会した展覧会」の「再現(過去)/失敗(現在)/まだ見ぬ実現可能性(未来)」の重なり合いを提示して秀逸だった藤井の新作に焦点を当ててレビューする。
展示会場に入ると、「The Japanese War Art Exhibition(日本の戦争美術展)」と壁に書かれた展覧会タイトルが目に入る。会期は昭和21年8月21日~9月2日、会場は東京都美術館。日英併記だが、日本語→英語の順ではなく、英語の方が先に書かれていることに注意しよう。「入場 占領軍関係者に限る」と明記されるように、これは、アメリカ合衆国太平洋陸軍が主催し、軍関係者に向けて戦争画を公開した展覧会の「再現」なのである。
ここで衝撃的なのは、輸送コンテナのパネルや梱包材が貼られた木製パネルが巨大なサイズで壁に掛けられ、その下に「サイパン島同胞臣節を全うす 藤田嗣治 1945年」「北九州上空野辺軍曹機の体当たりB29二機を撃墜す 中村研一 1945年」といった「キャプション」が記されていることだ。ではなぜ藤井は、輸送や梱包用の素材を用いて戦争画を原寸大で「再現」しつつ、「見えない絵画」として提示したのか。
奥の通路に進むと、モノクロの不鮮明な映像を、ずらりと並ぶモニターが映し出す。細部はぼやけて曖昧だが、銃を構えた兵士、戦闘機、会談する軍人たちのイメージだとわかるものもある。時折挿入される、マイクロフィルムを読み取る顕微鏡や、英語でタイプ打ちされた作品情報のカットから、これらが、「占領軍が撮影した戦争画の写真」をマイクロフィルム化した資料を閲覧するという、二重、三重の手続きを経たものであることがわかる。焦点の合わない「不鮮明さ」とイメージからの「何重もの隔たり」は、戦争の記憶に接近することの困難さや距離感をリテラルに指し示す。
加えて、戦争画の処遇をめぐり、当時の軍関係者たちの会話や証言を再現した音声が流れる。陸軍省の指令でアメリカ本国に送り、アメリカ人従軍画家の絵画とともにメトロポリタン美術館で展示する予定で収集を進めており、傷んだ作品は画家たちが修復中であること。だが、マッカーサーへの伝達ミスで混乱が生じ、誰がどう判断を下すのか保留中であること。美術的・歴史的価値を認め、文化財として保護すべきなのか? プロパガンダとして廃棄すべきなのか? 戦利品とみなし、ほかの連合国と分配すべきなのか? 軍関係者の証言はこう結ぶ:「ともあれ、戦争を賛美する作品は日本人の目から遠ざけておくべきである。すべての作品が集まったとき、然るべき人物が作品を吟味し、取るべき行動を決定するはずだ」と。だが、軍関係者に限定公開された展覧会でも結論は出ないまま、153点の戦争画は東京都美術館の展示室に残され、5年間放置された。その後1951年にアメリカへ輸送され、「無期限貸与」という名目で日本に返還されたのは1970年。現在は東京国立近代美術館が管理している。
ここで、アメリカ国立公文書館所蔵の占領軍の資料を元に「不可視の絵画群」として戦争画を提示した本作の構造は、藤井が「MOTアニュアル2016 キセイノセイキ」展で発表した《爆撃の記録》を想起させる。《爆撃の記録》は、東京大空襲の記憶の継承を目的とする「東京都平和祈念館」の計画が凍結され、証言映像や遺品などの資料が死蔵状態であることに焦点を当てた「メタミュージアム」である。「キセイノセイキ」展への資料の貸出が断られ、あるべき資料が不在の「空っぽのガラスケースや台座」を提示することで、現在の抑圧と同時に、記憶の継承の困難さと来るべき実現に向けた想起(の困難さ)が重ね合わされる。この《爆撃の記録》を補助線に引くことで、戦争の記憶に対する国家の管理が発動する場である、展覧会やミュージアムという表象の制度に対するメタ批判が浮かび上がってくる。
本作における藤井の企図は、以下のように複数のレベルで読み取ることができる。(1)まず第一義的にそれは、「敗戦直後の東京都美術館に搬入された戦争画」の再現であり、梱包材はアメリカへの輸送計画を示唆する。原寸大での再現は、英雄的モニュメントとしての「巨大さ」を体感させる(その巨大さはまた、単色で塗られたり矩形に分割されたベニヤ板が、カラー・フィールド・ペインティングやミニマリズム絵画を擬態することで、戦後アメリカ美術のマッチョな覇権主義をも示唆する)。(2)同時に、梱包すなわち「イメージを隠す」ことは、敗戦国・被占領国の国民である私たちが入場を禁じられ、それらを見ることを許されていない事態を指し示す。(3)だが、「不可視の状態に置かれた戦争画」は、現在でも続いているのではないか。東京国立近代美術館では、常設展で数点ずつ戦争画を展示してはいるものの、153点すべてのまとまった公開は未だ実現していない。藤井の身振りは、一括公開されない現状への批判でもある。(4)さらに、「梱包状態」とは、「戦争の記憶」を封じこめようとする抑圧や自主規制そのものの可視化でもある。「東京国立近代美術館の収蔵庫」を模したと思われる後半の展示構成は、戦争画を閉じ込める「檻」のように見える。(5)そして、上述の証言の結びを思い起こすならば、私たち観客こそ、「集まったすべての作品を吟味し、判断を下すべき」主体として呼びかけられているのではないか。ここに差し出されているのは、過去の抑圧を、負の歴史に主体的に向き合う契機へと転じていこうとする強い意志である。
2022/04/06(水)(高嶋慈)
KYOTOGRAPHIE 京都国際写真祭 2022「10/10 現代日本女性写真家たちの祝祭」
会期:2022/04/09~2022/05/08
HOSOO GALLERY[京都府]
KYOTOGRAPHIE 京都国際写真祭の10周年を記念し、日本の若手~中堅の女性写真家10名を集めたグループ展。個展の集合体という性格が強く、濃密な展示が続く。参加作家は、細倉真弓、地蔵ゆかり、鈴木麻弓、岩根愛、殿村任香、𠮷 田多麻希、稲岡亜里子、林典子、岡部桃、清水はるみ。
個展の連続形式ではあるが、共鳴しあうつながりの糸を見出すことも可能だ。例えば、静謐なモノクローム/ビビッドなネオンカラーというテンションの高さは対照的ながら、セルフヌードを通して、性と生殖を痛みの感覚とともに問うのが、鈴木麻弓と岡部桃である。鈴木が不妊治療を諦めた後に開始した「HOJO」シリーズでは、ヌードのセルフポートレートと、商品価値を持たない規格外の形をした野菜の静物写真が並置される。「二本足の人参」の写真は、両腕で自らを抱きかかえ、両脚を投げ出して横たわる女性の身体のように見える。その表面はひび割れ、無数の傷をつけられたように痛々しい。「剥かれた豆のさや」は、「卵子を蓄えた卵巣」のメタファーであると同時に、その数に限りがあることを示唆する。女性ヌードをバイオリンに見立てたマン・レイの《アングルのバイオリン》や、野菜や貝殻など静物の曲線をヌードの官能性に重ねるエドワード・ウェストンなど、「女性ヌード/静物」の二重化の手法は枚挙にいとまがない。鈴木は、そうした写真史の常套手段を戦略的になぞりつつ、女性の身体の一方的なオブジェ化を批判し、むしろ痛みを伴ったものとして書き換える。
一方、岡部桃は、セクシュアルマイノリティや自身の体外授精を撮った「ILMATAR」シリーズを展示。屏風か巨大な書籍の見開きページのように屹立する二対のパネルには、片側に抱き合う裸の男性、乳房とペニスを持つ人物のヌード、妊娠中のセルフヌード、体外授精の医療現場の光景などが配され、もう片側には廃棄されたゴミ、虫の這うひび割れた多肉植物、砂浜に打ち上げられた魚の死骸などの荒廃したイメージが配される。いずれもピンク、イエロー、緑、赤などの毒々しい色に染められ、さらに空間全体をネオンピンクの色が満たす。祝祭性や刹那性/毒と痛み、生と誕生/死や腐敗が隣り合い、不協和音が包む。だが、その混淆性をまるごと肯定しようとする強い意志が立ち上がってくる。
また、「自然/人工」の境界の線引きや融解を問うのが、𠮷田多麻希と清水はるみである。𠮷田の「Negative Ecology」は、野生の鹿を撮ったネガフィルムの現像失敗を契機に始まったシリーズ。北海道の熊や鹿、鳥類など野生生物を撮ったネガフィルムを、洗剤や歯磨き粉など日用品に使用される薬品類を混ぜて現像することで、画像の損傷が「見えない自然の汚染」のメタファーとなる。清水はるみの「mutation / creation」シリーズは、鑑賞魚や観賞用植物など人工的に作り出されたハイブリッド(交雑種)と、自然界で突然変異が起きた固体を並列化し、両者の弁別の困難さを示す。
「自然/人工」の境界から、国家や民族の境界について個人史の視線で扱うのが、北朝鮮に暮らす「日本人妻」をテーマにした林典子の「sawasawato」シリーズだ。1959~84年にかけて行なわれた北朝鮮への「帰国事業」では、貧困や差別のなかで暮らす多くの在日朝鮮人が、当時は発展していくユートピアと謳われた北朝鮮に渡った。9万人以上の人々の中には、朝鮮人の夫に同行した約1800人の日本人女性が含まれる。日本の家族や故郷と60年以上も離れて暮らす高齢女性たちを、林は7年間かけて取材した。本展ではその中から3名に焦点を当て、インタビュー映像、故郷の海の写真を見たときの反応、思い出の写真で飾られた自宅の壁の擬似的な再現という異なる手法で展示している。特に後者では、金総書記の写真が掲げられた自宅の壁を背にしたポートレートをよく見ると、同じ壁紙の模様が展示壁に配置されていることに気づく。2つの国で撮られたさまざまな家族写真と、林が撮影した現在のポートレートや室内の光景が混在し、時代感のある額縁と相まって、時間のレイヤーが親密な空間の中に立ち上がる。
また、岩根愛の「A NEW RIVER」は、コロナ禍で迎えた2020年春に、観光客が絶えた夜桜の光景を追って、福島県郡山から、岩手県一関、北上、遠野、青森県八戸までを北上しながら撮影された。強烈な照明を当てられ、禍々しさと表裏一体の美しさで咲き誇る夜桜のパネルの背面には、各地の伝統芸能の舞い手が桜をバックに写され、面や装束をつけて「ヒトならざるもの」に変貌した姿が、死者/生者、異界/現世の境界を曖昧に溶かしていく。
このように、それぞれの展示は大変見ごたえがあったが、「女性作家集合枠」には、やはり両義性が残る。「男性中心的な写真界で、発表の機会を積極的に設ける」という意義がある一方、なぜ狭い会場に10人もギュウギュウに詰め込むのか、なぜ「メイン会場」である京都文化博物館の別館ホールや京都市美術館別館は「男性巨匠写真家」が占めているのか、という疑問を大いに感じる。構造を変えようとしているようで、じつは何も変わっていないことが露呈しているのではないか。
公式サイト:https://www.kyotographie.jp/
2022/04/08(金)(高嶋慈)