2022年12月01日号
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artscapeレビュー

KYOTOGRAPHIE 京都国際写真祭 2022「10/10 現代日本女性写真家たちの祝祭」

2022年05月15日号

会期:2022/04/09~2022/05/08

HOSOO GALLERY[京都府]

KYOTOGRAPHIE 京都国際写真祭の10周年を記念し、日本の若手~中堅の女性写真家10名を集めたグループ展。個展の集合体という性格が強く、濃密な展示が続く。参加作家は、細倉真弓、地蔵ゆかり、鈴木麻弓、岩根愛、殿村任香、𠮷 田多麻希、稲岡亜里子、林典子、岡部桃、清水はるみ。

個展の連続形式ではあるが、共鳴しあうつながりの糸を見出すことも可能だ。例えば、静謐なモノクローム/ビビッドなネオンカラーというテンションの高さは対照的ながら、セルフヌードを通して、性と生殖を痛みの感覚とともに問うのが、鈴木麻弓と岡部桃である。鈴木が不妊治療を諦めた後に開始した「HOJO」シリーズでは、ヌードのセルフポートレートと、商品価値を持たない規格外の形をした野菜の静物写真が並置される。「二本足の人参」の写真は、両腕で自らを抱きかかえ、両脚を投げ出して横たわる女性の身体のように見える。その表面はひび割れ、無数の傷をつけられたように痛々しい。「剥かれた豆のさや」は、「卵子を蓄えた卵巣」のメタファーであると同時に、その数に限りがあることを示唆する。女性ヌードをバイオリンに見立てたマン・レイの《アングルのバイオリン》や、野菜や貝殻など静物の曲線をヌードの官能性に重ねるエドワード・ウェストンなど、「女性ヌード/静物」の二重化の手法は枚挙にいとまがない。鈴木は、そうした写真史の常套手段を戦略的になぞりつつ、女性の身体の一方的なオブジェ化を批判し、むしろ痛みを伴ったものとして書き換える。



鈴木麻弓「HOJO」 [© Takeshi Asano-KYOTOGRAPHIE 2022]


一方、岡部桃は、セクシュアルマイノリティや自身の体外授精を撮った「ILMATAR」シリーズを展示。屏風か巨大な書籍の見開きページのように屹立する二対のパネルには、片側に抱き合う裸の男性、乳房とペニスを持つ人物のヌード、妊娠中のセルフヌード、体外授精の医療現場の光景などが配され、もう片側には廃棄されたゴミ、虫の這うひび割れた多肉植物、砂浜に打ち上げられた魚の死骸などの荒廃したイメージが配される。いずれもピンク、イエロー、緑、赤などの毒々しい色に染められ、さらに空間全体をネオンピンクの色が満たす。祝祭性や刹那性/毒と痛み、生と誕生/死や腐敗が隣り合い、不協和音が包む。だが、その混淆性をまるごと肯定しようとする強い意志が立ち上がってくる。



岡部桃「ILMATAR」 [© Takeshi Asano-KYOTOGRAPHIE 2022]


また、「自然/人工」の境界の線引きや融解を問うのが、𠮷田多麻希と清水はるみである。𠮷田の「Negative Ecology」は、野生の鹿を撮ったネガフィルムの現像失敗を契機に始まったシリーズ。北海道の熊や鹿、鳥類など野生生物を撮ったネガフィルムを、洗剤や歯磨き粉など日用品に使用される薬品類を混ぜて現像することで、画像の損傷が「見えない自然の汚染」のメタファーとなる。清水はるみの「mutation / creation」シリーズは、鑑賞魚や観賞用植物など人工的に作り出されたハイブリッド(交雑種)と、自然界で突然変異が起きた固体を並列化し、両者の弁別の困難さを示す。



𠮷田多麻希「Negative Ecology」 [© Takeshi Asano-KYOTOGRAPHIE 2022]



清水はるみ「mutation / creation」 [© Takeshi Asano-KYOTOGRAPHIE 2022]


「自然/人工」の境界から、国家や民族の境界について個人史の視線で扱うのが、北朝鮮に暮らす「日本人妻」をテーマにした林典子の「sawasawato」シリーズだ。1959~84年にかけて行なわれた北朝鮮への「帰国事業」では、貧困や差別のなかで暮らす多くの在日朝鮮人が、当時は発展していくユートピアと謳われた北朝鮮に渡った。9万人以上の人々の中には、朝鮮人の夫に同行した約1800人の日本人女性が含まれる。日本の家族や故郷と60年以上も離れて暮らす高齢女性たちを、林は7年間かけて取材した。本展ではその中から3名に焦点を当て、インタビュー映像、故郷の海の写真を見たときの反応、思い出の写真で飾られた自宅の壁の擬似的な再現という異なる手法で展示している。特に後者では、金総書記の写真が掲げられた自宅の壁を背にしたポートレートをよく見ると、同じ壁紙の模様が展示壁に配置されていることに気づく。2つの国で撮られたさまざまな家族写真と、林が撮影した現在のポートレートや室内の光景が混在し、時代感のある額縁と相まって、時間のレイヤーが親密な空間の中に立ち上がる。



林典子「sawasawato」 [© Takeshi Asano-KYOTOGRAPHIE 2022]


また、岩根愛の「A NEW RIVER」は、コロナ禍で迎えた2020年春に、観光客が絶えた夜桜の光景を追って、福島県郡山から、岩手県一関、北上、遠野、青森県八戸までを北上しながら撮影された。強烈な照明を当てられ、禍々しさと表裏一体の美しさで咲き誇る夜桜のパネルの背面には、各地の伝統芸能の舞い手が桜をバックに写され、面や装束をつけて「ヒトならざるもの」に変貌した姿が、死者/生者、異界/現世の境界を曖昧に溶かしていく。



岩根愛「A NEW RIVER」 [© Takeshi Asano-KYOTOGRAPHIE 2022]


このように、それぞれの展示は大変見ごたえがあったが、「女性作家集合枠」には、やはり両義性が残る。「男性中心的な写真界で、発表の機会を積極的に設ける」という意義がある一方、なぜ狭い会場に10人もギュウギュウに詰め込むのか、なぜ「メイン会場」である京都文化博物館の別館ホールや京都市美術館別館は「男性巨匠写真家」が占めているのか、という疑問を大いに感じる。構造を変えようとしているようで、じつは何も変わっていないことが露呈しているのではないか。


公式サイト:https://www.kyotographie.jp/

2022/04/08(金)(高嶋慈)

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