2024年02月15日号
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artscapeレビュー

試展─白州模写 「アートキャンプ白州」とは何だったのか

2023年02月01日号

会期:2022/10/29~2023/01/15

市原湖畔美術館[千葉県]

1988年から山梨県白州町で開かれてきた「白州・夏・フェスティバル」(その後「アートキャンプ白州」「ダンス白州」と改称)の野外美術展を振り返る展覧会。いまでこそ全国各地で芸術祭が行なわれ、野外美術展も珍しくなくなったが、1980〜1990年代はまだ少なく、地方では静岡県の「浜松野外美術展」、岡山県の「牛窓国際芸術祭」、福岡県の「ミュージアム・シティ・天神」が開かれていた程度。なかでも「白州・夏・フェスティバル」が始まった80年代後半はバブル景気の真っ最中であり、また竹下内閣が「ふるさと創生」として全国の市区町村に1億円をバラまくなど、地域振興が盛んになり始めた時期。にもかかわらず、白州はよくも悪くも企業や自治体に頼ることなく、アーティストが手弁当で参加していたのが印象的だった。そう、これは村おこし町づくりのための芸術祭ではなく、美術作品が吹きっさらしの野外空間に耐えられるかどうかを試す、アーティストによるアーティストのための芸術祭だったと思う。

ただぼくは、この夏フェスはダンサーの田中泯が中心にいたこともあって、パフォーミングアーツがメインで、野外美術展は付け足しみたいなもんだと思っていた。実際、夏のフェスティバルの期間中は舞踏や音楽の公演がメインだったが、そもそものきっかけは美術だと今回初めて知った。カタログによれば、1988年にアーティストの剣持和夫が白州を訪れ、東京で制作した作品を移設。これを見て田中が旧知のアーティスト榎倉康二、高山登、原口典之らに声をかけ、次々に野外作品が設置されることになり、その夏にフェスティバルをやろうということになったというのだ。つまり美術が突破口になってパフォーミングアーツが続いたというわけ。

野外に作品を設置するにあたって田中が重視したのは、「ここでつくる」ということ。アトリエで制作したものをただ運び込むのではなく、この場所を訪れて作品プランを練り、地権者と交渉して土地の使用許可を受け、その場で制作する、つまりサイトスペシフィックな作品であれということだ。これはその場所で即興的に踊る田中の「場踊り」と同じ発想であり、その後の「大地の芸術祭」をはじめとする各地の芸術祭にも受け継がれている姿勢だ。ただ現在の芸術祭と異なるのは、白州では作品のメインテナンスには力を入れず、朽ちるに任せたこと。あくまで自然体であろうとしたのだ。こうした野外作品を「風の又三郎」と命名したのは、つい先日亡くなった高山登だという。ある日どこからか現われて、風のごとく消えてゆく……まさに白州の美術作品にふさわしいネーミングといえる。

そんな作品ばかりだから、30年余り経ってから展覧会として見せるにも現物を持ってこられないし、そもそも美術館内に移設しても意味がない。なにより榎倉も原口も高山も、プロデューサーの木幡和枝も亡くなってしまった。なので大きな作品としては、高山登の枕木によるインスタレーション、原口典之の《オイルプール》、遠藤利克の焼いた角材を組んだ彫刻などにとどめ、あとは記録写真や資料、映像などを公開することで「白州」を追体験させていた。ゲストキュレーターは、学生時代にフェスティバルにボランティアで参加した名和晃平が務め、名和のほか藤崎了一、藤元明といった白州には出していない世代の作品も展示されていたが、これは「白州」を知りたい人に誤解を与えかねないのではないか。その意味でも展覧会よりカタログのほうが資料的価値が高いと思う。



原口典之「オイルプール」とフェスティバルの記録映像 [筆者撮影]


公式サイト:https://lsm-ichihara.jp/exhibition/the_trace_of_hakushu/

2023/01/13(金)(村田真)

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