artscapeレビュー

兼桝綾『フェアな関係』

2023年02月01日号

発行所:タバブックス

発行日:2022年11月24日


兼桝綾は屈託を書くのが巧い。思い悩む本人には申し訳ないが、あちらに行っては引き返し、そちらに行っては立ち止まり、ときに思い悩んでいること自体を思い悩むようなくよくよにはある種のグルーヴさえ感じてしまう。思い悩んでも仕方ないとわかっていても思い悩まないではいられない(そして時々爆発してしまう)登場人物の姿は切実だからこそ滑稽で愛おしい。

雑誌「仕事文脈」に掲載された短編をまとめた兼桝の第一小説集『フェアな関係』には「友情結婚からのセックスレスなのである」というキャッチーな一文からはじまる表題作とそのⅡ、Ⅲを含む9編が収録されている。

お互いに一番居心地がいいからという理由で(ほぼ)セックスなしのままに結婚した「私」と夫は結婚2年目。しないと決めて結婚したわけでもないのだしと「私」は夫を何度か誘ってみるもののあっさりと断られ、ほかに彼氏をつくることにも難色を示される。「権利だけ奪っておいて何もくれないって、フェアじゃなくない?」とブチ切れた翌朝、セックスする代わりに運動して痩せてほしいと「等価交換」を持ち出された「私」は「解き放った『フェア』が威力をまして攻撃してきたのに面食らって、そこまでしてセックスしてくれなくていい」と言うことしかできない。セックスをしたくない夫は子供は欲しいと思っていて、セックスをしたい「私」は子供は欲しくない(しかし夫はそれを知らない)というのだから事態はさらにややこしい。思い余った「私」は家族を続けるために夫には内緒で風俗まがいの「セラピー」を受けるのだが、そこでも「ただでさえこんな搾取行為をするのだから」年上で長身の自分が敵わないくらいのセラピストが相手でないと「金でケアを買うってことに、抵抗がありすぎる」と屈託は止まらないのだった。

恋愛とセックスと居心地のよさと結婚と関係を維持することは関係しつつもそれぞれに異なる問題で、本当はそれらが持つ意味合いもそれらに対する重みづけも人それぞれに違っているはずである。とどのつまり「フェアな関係」などというのはほとんど不可能なのだ。それどころか「フェア」の概念が持ち込まれた途端に親密さが損なわれかねないことは「私」が身をもって体験した通りだ。多くの人はそこをなあなあにすることで、あるいはなあなあにしていることを意識しないことで日々をやり過ごしている。だがセックスレスという大問題に直面している「私」にはそれをやり過ごすことができない。だからくよくよするしかない。

屈託とはああでもないこうでもないと思い悩むことであり、それを書くのが巧いということは一筋縄ではいかず割り切れない(つまりはああでもなくこうでもない)人間の面倒臭さを書くのが巧いということだ。「私とぬったんは親しいが、非常時に私より先に逃げることが出来るという点において、私はぬったんを憎んでいる」という、こちらもインパクトのある一文ではじまる「避難訓練」の「私」は事務センターの同僚であるぬったんの鈍さに苛々しっぱなしなのだが、それは同じ派遣社員として働く自分自身の立場の弱さへの苛立ちでもあり、だからこそ自分への叱咤=ぬったんへの連帯に転じる可能性を秘めている。「魔女の孫娘たち」で描かれる「あなた」と「彼女」の関係もこれに通じてグッとくる。

「総合出版社鶏頭社労働組合の庶務係、丸本萌香は憤った」と「走れメロス」を思わせる書き出しではじまる「冬闘紛糾」はバラエティに富んだこの短編集のなかでもやや異色。しかし表題作と並んで私がもっとも好きな作品だ。冬闘の描写の合間に挟み込まれる登場人物の紹介とそれぞれのエピソードがおかしい。たとえば、今期初めて委員長になった営業部主任の松葉は東大卒の元野球部主将。顔も良く仕事もできたがこの春に離婚してシングルファーザーになったばかり。自身が社会的少数者になったことでこれまで知らなかったことの多さを反省し云々。20ページの短編で冬闘の交渉を展開させつつ、この調子で5人分だ。組合運動の大義と(あるいは会社側の事情と)それぞれのごく個人的な事情や思惑が交渉の場に並んで混ざり合う。そこに居並ぶ人々の、なかでも組合員最年長〈ミスター組合〉亀田のなんと面倒臭くチャーミングなことか。

「東京より速く遠く」では東京への、「私より運命の人」では元カレへの、「スイミング・スクール」では父への屈託を軸に人間の面倒臭さが描かれる(いやもちろんそれだけではないのだが)。だが、作品ごとに凝らされた趣向は異なっており、違った読み味が楽しめるのもこの短編集の魅力だ。


『フェアな関係』:http://tababooks.com/books/fairnakankei

2023/01/20(金)(山﨑健太)

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