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芦屋の美術、もうひとつの起点 伊藤継郎

2023年06月01日号

会期:2023/04/15~2023/07/02

芦屋市立美術博物館[兵庫県]

伊藤継郎って名前にかすかに覚えがあったので、ひょっとしてと思って経歴を見たら、やっぱりそうだった。ぼくが確か中学生のときに初めて買った油彩画の入門書『油絵入門』の著者。保育社から出ていた「カラーブックス」シリーズの1冊で、初版が1967年となっている。当時は手軽な技法書がほかに見当たらなかったので繰り返し読んだ覚えがある。でも見本として載っていた伊藤の作品は、昭和の洋画に典型的に見られるデフォルメされた具象にゴテゴテ厚塗りした油絵で、あまり好きになれなかったなあ。とはいえ曲がりなりにも最初の油彩画の師ではあるし、直前に横浜で偶然お会いした原久子さんも推していたので、ちょっと離れているけど見に行った。

展示は「学び──大阪の洋画会を背景に」「研鑽──美術団体での活躍」「開花──新制作派協会」「再出発──芦屋の地で」「伊藤絵画の内実」の5章立て。時代別に見れば、主に1、2章が戦前、3章が戦中、4、5章が戦後だが、必ずしも制作順に並んでいるわけではない。あれ? と思ったのは、第4章まで伊藤作品は38点中13点しかなく、師匠や同僚や教え子の作品のほうが多いこと。伊藤が最初に入門した天彩画塾を主宰していた松原三五郎をはじめ、赤松麟作、小出楢重、小磯良平、猪熊弦一郎、そして戦後の具体美術協会の吉原治良、村上三郎、白髪一雄まで、伊藤を取り巻く画家たちの作品のなかに伊藤作品を点在させているのだ。しかも重要なのは、それらが19世紀の洋画から阪神間モダニズム絵画、戦後の現代美術まで実に多彩なことだ。

肝腎の伊藤作品は第5章に油彩、水彩、パステルなど61点がまとめて並べられている。これらを見ると、戦前こそスタイルが定まらなかったものの、戦後は一貫してデフォルメされた形象に褐色系を中心とした絵具をこってりと塗り重ねていくスタイルを固持してきたことがわかる。なるほど、伊藤作品だけ見せられたら、昭和の洋画によくある厚塗りの画家で終わってしまいかねないが、彼を含めて周辺にいた画家たちは激動の美術史に身を置いていたことが理解できるのだ。

たとえば、先輩の小磯良平や猪熊弦一郎は多くの戦争画の「傑作」を生み出したが、伊藤は年齢的にも少し若かったし、デフォルメの激しかったスタイルも戦争画には合わなかったせいか、従軍画家ではなく兵士として戦地に赴いている。また戦後、同世代の吉原治良や教え子の白髪一雄らは具体美術協会で前衛芸術を牽引したが、伊藤はそれらに合流することなく我が道を歩み続けた。『油絵入門』にはそんなこと一言も書いてなかったけど、幸か不幸か伊藤は美術史の激流に巻き込まれることなく、ブレずに画業をまっとうしたといっていい。だからといって伊藤の絵画が好きになったかというと、そんなことはないけれど、でも最初に油絵を教えてくれた画家が怒涛の20世紀をすり抜け、人間的な広がりをもっていたことを知っただけでもなんだか救われた気分になった。


公式サイト:https://ashiya-museum.jp/exhibition/17446.html

2023/05/10(水)(村田真)

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