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鉄を叩く──多和圭三 展

2010年09月01日号

会期:2010/06/26~2010/08/22

足利市立美術館[栃木県]

彫刻家・多和圭三の初めての回顧展。初期の野外彫刻から鉄の塊をひたすら打ち続ける代表作まで、多和の30年あまりに及ぶ制作活動を振り返った。70年代から80年代にかけて6回参加した「所沢野外彫刻展」の記録写真のほか、打ち続けることで別の一面を出現させた鉄の立方体作品、その制作風景を記録した映像、そして手製の玄能(ハンマー)など実物の道具の数々、多和のこれまでの活動を一望できる堅実な構成だ。なかでも特筆すべきは、鉄を打つ作品の制作過程を記録した映像。多和が鉄を打つ姿を初めて見ることができた(部分的にYou Tubeで視聴できる)。振り上げた玄能を鉄の表面に向けて振り下ろす姿は、激突の瞬間の高い金属音を聞いていると、あたかも求道的な修行僧のように見えるが、休憩を入れながら定型化した身体運動を繰り返す点では、むしろ熟練のアスリートのようだ。じっさい、つねに両足をしっかりと踏みしめ、決して体幹を崩さないほど安定した身体の「型」は、小手先の職人芸というより、全身で体得したアスリートの才覚ともいうべきもので、その無駄のない所作そのものがじつに美しい(もっと下半身をやわらかく屈伸させているのかと勝手に想像していたが、そうでもないところが意外だった)。鉄の表面を幾度も幾度も打ち続けることで別の一面を浮き彫りにする作品は、だから、多和本人が「ゆっくりと、あてどなく、ゆっくりと」と語っているように、必要最小限の身体運動の痕跡であり、同じく仕上がりもミニマリズムの風合いが強かった。ただし、最近では表面の触感や凹凸を激しく前面化させた《無量》(2007)や《景色─境界》(2008)など、従来の方法から抜け出すかのような作品もあるし、じっさい鉄板に溶断機で無数の線状痕を残す作品など、新たな手法に取り組んでいるようだ。身体に身についてしまった癖を意図的に捨て去ること。思えば、伝統芸能にしろアスリートにしろ、優れたアーティストは一芸的に芸を追究するより、絶えず自己の身体をつくり変えながら新たな造型や運動に挑戦して新たな「型」を獲得してきたはずだった。このように近年の多和が「つくる」ことに傾倒していることが明らかな以上、もうそろそろ、多和圭三を「ポストもの派」という物語から解放するべきではないだろうか。今後、愛媛県の久万美術館と目黒区美術館へ巡回。

2010/07/28(水)(福住廉)

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