artscapeレビュー
高嶋慈のレビュー/プレビュー
Konohana's Eye #8 森村誠「Argleton -far from Konohana-」
会期:2015/06/05~2015/07/20
the three konohana[大阪府]
書籍や新聞などの印刷物や辞書といった情報媒体から、一定のルールに従って、ある文字を修正液で消したり、カッターで切り取った作品を制作してきた森村誠。個展タイトルの「Argleton(アーグルトン)」とは、2008年にGoogleマップ上で発見された実在しないイギリスの町のこと。現地の店舗などの情報が書き込まれたことで、この架空の町が実在するかのような状況がインターネット上に出現した。本個展で森村は、関西圏の地図、分譲住宅のチラシ、タウンページといった様々な情報媒体を素材に用いて、断片の接合と情報の消去という操作を加えることで、「架空の町」を出現させている。
出品作のなかでも秀逸なのが、《OTW》(「on the way」の省略)と題されたシリーズ。地図の断片をJRの路線だけが繋がるように縫い合わせ、それ以外の路線や文字情報は全て修正液で白く塗りつぶされている。「on the way(途中で)」というタイトルが示すように、この架空の地図作成の作業はまだ未完成であるようなポーズが取られている。縫い合わされた地図は刺繍枠にはめ込まれたままであり、糸の通った針がぶら下がっているのだ。それは、想像の世界をどこまでも延びていく夢の線路という楽しげな連想を誘うとともに、不動産事業や土地開発、マイホームの夢とともに際限なく拡大していく郊外の姿を思わせ、情報の更新や修正によって現在の地図が将来的には「虚構」へと転じていく可能性を示唆する。
だが、インターネット上の情報とは異なり、白い修正液の消し跡は、何らかの情報の削除を視覚的痕跡として残してしまう。「図」として浮かび上がる路線の背後に存在する、白い点の連なりや、血管のように絡まり合う白い線。それらは、もう一つの架空の地図を亡霊のように浮かび上がらせるとともに、情報の削除や隠蔽という行為が行なわれたことを(不在によって)物語る。それは、例えば軍事関連施設の情報が消された地図のように、権力による情報管理をほのめかす。あるいは、近代以降の鉄道網の整備や拡張もまた、経済的発展とともに軍事的要請と強く結びついていた。そうした視点から《OTW》シリーズの作品を見たとき、国家の領土という巨大な身体を流れる血管として、人や物質を運搬する鉄道網が張り巡らされ、そのほかの周囲の情報はすべて隠されていくという不穏さを感じてしまう。
手仕事の繊細さや法則性の発見の面白さに加えて、情報の不確かさや更新にともなう虚構との境界線の曖昧さ、さらには地図や鉄道網をめぐる情報管理への言及を潜ませた展示だった。
2015/06/21(日)(高嶋慈)
山本浩貴「他者の表象 あるいは 表象の他者」
会期:2015/06/20~2015/07/05
京都芸術センター[京都府]
京都芸術センターのアーティスト・イン・レジデンス・プログラム2015の成果発表展。「移住」をテーマに、約1ヶ月間の京都滞在でのリサーチに基づく作品が発表された。宗教社会学専攻という出自を持つ山本は、ロンドンの大学で学びつつ、国内外でのレジデンスを経験するなど、彼自身が複数の国や文化圏を「移動」しつつ制作してきた。
出品作《移動する人々と街を歩く》は、作家が「様々な国や文化圏の人たちに3つのお願い」をして制作された。(1)作家を京都で自分の好きな場所に案内し、その様子を自由に撮影する、(2)自分が撮りたい人物のポートレートを撮影する、(3)京都市国際交流協会の職員やボランティアの方に自由にインタビューする、というのが依頼内容である。(1)・(3)の記録映像と(2)のポートレート写真が、3つの壁面に1セットずつ展示された。
山本は、カメラとともに撮影の主体性を協力者たちに委ねる。だが画面上には、彼/彼女たちの姿は一切映らない(映されない)。加えて、彼/彼女たちが何者であるかは、(会話内容から部分的に推測されうるものの)明示されない。ポートレートもまた然り。キャプションが一切ないため、国籍、性別、年齢、社会的立場に関する情報はすべて伏せられている。何者かわからない、帰属先を明確にカテゴライズできない「他者」の存在や思考に向き合うことは可能か。作品の要請をまずはこのように解釈できるだろう。
だが本展で気になったのは、展示方法の形式的側面である。計6つのモニターの映像にはヘッドホンが用意されていないため、それぞれの音声が混じり合い、展示室に入ると雑踏のざわめきのなかに足を踏み入れたかのように感じるのだ。それは、複数の異質な声が重なり合い干渉し合う、一種の擬似的な公共空間を展示室の中に呼び入れようとする戦略だろう。しかしその一方で、一つひとつの「声」は非常に聴き取りにくくなってしまう(スピーカーを使わず、モニターから流れる音声であることも一因)。したがって、会話の内容を把握するためには、「日本語字幕」に頼らざるをえない。彼/彼女らから発せられる肉声、とりわけ非-母語での発話行為が含むニュアンス(言葉を選んで言いよどむ時間やアクセントの微妙な差異など)は捨象され、情報として整えられた「字幕」を読む行為に還元されてしまうのだ。結果として、表象によるカテゴライズを介さない「他者」への困難な接近は、滑らかに表面を漂う「日本語字幕」によってバリアーのようにはね返され、モニター越しに隔てる境界線が引かれてしまったのではないか。
2015/06/20(土)(高嶋慈)
金サジ「STORY」
会期:2015/06/16~2015/06/21
アートスペース虹[京都府]
斬られた首から溢れんばかりの赤い花がこぼれ落ち、傷口から新たな生命を生み出すニワトリ。斧を構える半裸の男は、縄やワラ、垂れ下がる白い紙で頭部を覆われ、半人半神のような呪術的な雰囲気をまとって立つ。美しい刺繍の髪飾りとチマチョゴリを身に付けた少女は、クマの頭をしている。不気味な形の枝を持ってたたずむ、中性的な容貌のシャーマン。セミの抜け殻の山から生え出た、一輪のハスの花。黒い背景に浮かび上がる彼らは、生/死、動物/植物、人間/動物、人間/神、男性/女性など、二つのものを媒介する使者のような存在だ。
写真家の金サジは、緻密に構成した神話的世界を、西洋絵画における肖像画や宗教画を思わせる図像として差し出す。フレスコジクレープリントという特殊なプリント技法によるマットな質感が、絵画的な効果をより高めている。一方で、克明に写し取られた布地の陰影や細部のディティールにより、彼女の描く物語世界の登場人物たちは、黒い背景のなかから強い実在感とともに浮かび上がる。これら象徴性と謎を合わせ持ったイメージは、さまざまな連想を誘い、いくつもの神話や民話のなかのイメージと断片的に響き合いながら、汎東洋的とも言うべき混淆的な世界を形づくる。作家によれば、直感や夢で見たイメージ、かつて読んだ物語の記憶などが混ざり合った、自身のための「創世の物語」であるという。
「神話」や「民話」は、ある共同体の形成と密接に関わるものであり、時にナショナリズムを強固に構築する母体ともなってきた。だが金は、自身が身を置く複数の文化の記憶に触れながら、そこに私的な記憶や空想を織り交ぜることで、特定の「国」「民族」の枠組みに囚われることのない、死と生命、再生についての根源的な物語を紡ぐことの可能性を告げている。そこでは、さまざまな境界が混じり合ってイメージの強度を立ち上げ、生と死もまた反転しながら繋がり合っているのだ。
2015/06/20(土)(高嶋慈)
寺田就子「あいまのいろざし」
会期:2015/06/09~2015/06/20
galerie 16[京都府]
コップやハンカチ、スーパーボール、本や文房具といった日常的な素材と、ガラスや鏡、トレーシングペーパーなど透明で儚さを感じさせる素材を組み合わせ、詩的なインスタレーションを展開している寺田就子。光の反射や映り込みといった現象を巧みに利用した作品は、ささやかで親密でありながら、見立てや連想がどこまでも広がっていく小宇宙のような空間をつくり出す。
本個展ではタイトルにあるように、既製品と透明な素材にはさまれた「あいま」にそっと効果的に色を配す手つきが効いている。例えば、《レモネードの波紋》と題されたインスタレーションでは、切断面が蛍光イエローに光るアクリルの集光板を使用。下に敷いたハンカチの縞模様と響き合うように置くことで、ありえないはずの四角い波紋が広がっていくような感覚を与える。また、アクリルボックスの上にレコードを置き、底面に紙ジャケットを置いた作品では、宙に浮いているようなレコードの穴から下を覗くと、組み合わされた曲面鏡と赤いボタンが目玉のようにこちらを見返してくる。水の入ったシリンダーを覗けば、小さな飛行機の影が水面に銀色に光る。天井から吊るされたピンクとグリーンのスーパーボールはいつしか、この空想の小宇宙を照らし出す恒星へと変貌する。
上や斜めから覗き込む、しゃがんで見る、などの具体的な身体動作と、想像の世界でのイメージの変換や連想。その両方の運動を、決して声高でなく誘いかける寺田作品は、子どもの頃の宝物をそっと取り出して眺めるような手つきのなかに、感性をゆるやかに解きほぐす魅力をたたえている。
2015/06/20(土)(高嶋慈)
谷穹「LAND e SCAPE」
会期:2015/06/02~2015/06/14
Gallery PARC[京都府]
谷穹は、「古信楽」と呼ばれる、14~15世紀の室町時代に信楽でつくられていた壷や甕などの復元を目指して制作している陶芸作家。信楽の焼き物は、江戸時代に窯の構造や焼き方が変わり、残された文献資料も少ないため、古信楽の焼成方法は現在もわからない点が多いという。谷は、自身で築いた窯を改良し、焼成温度や時間、薪の入れ方などに試行錯誤を加えながら、古信楽の復元を追究してきた。
暖かみのある赤褐色、黒くザラついた「焦げ」、釉薬の流れや溜まり、土に含まれていた長石が溶けて表面にできた乳白色のツブツブ。いずれの器も非常に表情豊かであり、素朴ながら深い味わいを見せる。また観客は、目で愛でるだけでなく、異なる高さに掛けられた器のなかから好きなものを選び、花を活けることもできる。瑞々しく華やかな植物が、器の渋い魅力を引き立てるとともに、観客の能動性や空間への意識を引き出す試みだ。さらに好きな茶碗を選び、仮設の茶室にて席をつくることもできる。古信楽へのストイックな探究心と、器が機能する空間への意識を両立させた個展だった。
2015/06/13(土)(高嶋慈)