artscapeレビュー
高嶋慈のレビュー/プレビュー
寒川晶子ピアノコンサート~未知ににじむド音の色音(いろおと)~
会期:2016/09/24
ロームシアター京都 サウスホール[京都府]
寒川晶子は、88鍵あるピアノの鍵盤の全ての音を「ドからド#」の間に特殊調律した「ド音ピアノ」の演奏家。通常の平均律では、1オクターブを計12音に均等に分割するが、「ドからド#まで」という極めて狭い音程の中を12分割した「ド音ピアノ」では、微妙な差異と揺らぎを伴った音の広がりが、静かににじんでいくような響きが体感できる。
今回のコンサートでは、ド音ピアノのソロ曲に加えて、アクースモニウムの演奏者である檜垣智也との共演と、「音の織機」を演奏する人類学者の伊藤悟も加えた3者による共演が行なわれた。アクースモニウムとは、会場内に設置した複数のスピーカーをミキサーでリアルタイムに操作する、電子音楽のための多次元立体音響装置。また、「音の織機」とは、中国雲南省のタイ族に伝わるもので、布の紋様を織りながら、機織り機の立てる音の音色を操ることで、結婚前の女性が男性に想いを伝えるというものだ。一見、異色に思える3者のコラボレーションが、「音を聴くという体験」や「音楽」の幅を拡張してくれる体験になった。
まず、寒川によるド音ピアノのソロが2曲。平均律という西洋音楽の基準に対して、無調音楽は12音という枠組みは保持したまま、長調や短調といった調性を排除することで相対化をはかったが、「ド音ピアノ」は調律そのものをいじり、「ド音」という固定化された基準を微分していくことで、平均律という西洋音楽の枠組みを相対化する。そうした批評性の射程に加えて、少しずつ異なる豊かな音が無数に存在すること、さらに音どうしの重なり合いが豊穣な響きとなることを実感させてくれた。それはピアノという楽器から鳴っている音には違いないのだが、「ぐわゎーん」と響き渡るお寺の鐘の音色、回廊にこだまするその残響、石の表面を激しく打つ驟雨、風に乗る遠雷、はるか彼方から響く海鳴り、空気を振動させる羽虫の群れ、といったものを連想させ、自然界のさまざまな音や現象に近く感じられる。「ピアノの音」であることの自明性から解放させる音響体験でもあった。
さらに、アクースモニウムとの共演では、舞台上に置かれた大小さまざまなスピーカーだけでなく、見えない客席背後や二階席にもスピーカーが仕込まれることで、360度の音響によって有機的な音の磁場が立ち上がる。それは電子音楽や録音音源の再生ではあるのだが、方向性をもった音に全身を囲まれ、音がぐるぐると旋回し、螺旋状に上昇していく空間に身を置いていると、ざわめきに満ちた深い森の中にいるように錯覚される。音という聴覚的現象によって、今いる場所が多重化していくのだ。
また、「音の織機」も加わった共演は、「ド」と「ド♯」の間に無数に存在する音と同様に、普段は「音楽」として意識して聴いていない音の中に、豊かな響きが潜在することに気づかされた。「トントン、カチャン」「カラン、コロン」という織機の立てる音が反復されることで、リズムを奏でているように感じられてくる。そこに寄り添う「ド音ピアノ」は、少しずつ異なる音が絡み合い、寄り合わされて複雑な表情をもつ布が織り上げられていくようで、「織機」とまさにつながる覚醒的な瞬間だった。
2016/09/24(土)(高嶋慈)
とどまりある 写真の痕跡性をめぐる対話
会期:2016/09/23~2016/09/29
大阪芸術大学 体育館ギャラリー[大阪府]
写真における「痕跡」をテーマにしたグループ展。出品作家は、小川幸三、立花常雄、太田順一、三田村陽。4名の作品を通して、「痕跡」の直接性/間接性、身体性や物質性、「光」の痕跡、個人の内面や記憶の痕跡、都市がはらむ記憶の痕跡が浮かび上がる。
小川幸三は写真家だが、フロッタージュ作品も手がける。120×300cmの巨大な紙は、抽象的な黒い色面に見えるが、神社への参道や熊野古道にある修験者が通る道に紙を敷いて転写したもの。ボコボコとした凹凸は、すり減った石畳や歳月を経た木の幹の表面に刻まれた時間の痕跡を写しとっている。ここには作家の身体性や黒鉛の物質性が露わになるとともに、表面の痕跡を直接写し取るフロッタージュとの対比において、被写体と直接的に接触できない写真が不可避的にはらむ「距離」が浮かび上がる。
立花常雄の《ビニールハウス》は、冬の夜間に、畑の中に佇むビニールハウスをモノクロで撮影した作品。だがよく見ると、画面中央には一本の黒い線が走り、分割された左右それぞれの画面はピントが少し異なり、片側は曖昧にボケている。それは夜間のビニールハウスを撮影した写真でありながら、暗闇にぼぅっと光るチューブ状の体躯の未知の生命体を眺めているかのようだ。立花は、写真が光の痕跡に他ならないことを示すとともに、それが可視化された唯一の像ではなく、(ネガの焼付けの過程で操作を施すことで)ズレや断絶を伴った複数の像へと裂開していくことを示唆する。
太田順一の《父の日記》は、自身の父親が晩年の20年間、毎日欠かさずつけていた日記を複写したもの。妻に先立たれて一人暮らしを余儀なくされた頃につけ始めた日記は、毎日の食事や天気、散歩といった単調な日常生活が几帳面な字で綴られている。だが、亡くなる2年前、認知症を発症して老人施設に入所した頃から、字も内容も錯乱したものに豹変する。「毎日がつらい」「自分の書いた字が分からない」「今日一日、何をしていたのか分からない」といった文言が偏執的に繰り返され、乱れた筆跡の上を塗りつぶすような殴り描きの線がぐちゃぐちゃに引かれ、突然現われる「大日本帝国」の文字が記憶の混濁も示唆する。そして、ただ空白のみが残された、最後の数日間。まだ元気な頃の几帳面な字が並ぶページは、記述の細部を読みながら父の記憶に寄り添おうとするようにクローズアップで撮られるのに対して、混乱と混濁が極まった最後の数ページは、見開き全体を俯瞰的に収め、「冷静に」撮られている。だが、感情を排した撮り方によって、むしろ押し殺した感情の揺らぎが際立つ。《父の日記》には、父親の意識に起こった変化の痕跡と、写真家の眼差しの痕跡が、二重に刻印されている。
三田村陽は、10年以上、広島に通って撮影を続けてきた《hiroshima element》を出品。昨年7月のThe Third Gallery Ayaでの同名の個展については2015年9月15日号の評で取り上げたが、今回はグリッド状に展示された36枚のうち、約1/3が未見のカットで構成されており、新たな発見もあって見ごたえある展示だった。三田村がカラーで写すのは、「8月6日」に集約されることのない、とりとめない広島の街の日常だ。商店街、川沿いの光景、再開発の進む一帯。平和記念公園の慰霊碑や原爆ドームも写り込むが、写真家の視線はそれらのフォトジェニックなモニュメントへと寄るのではなく、埋没しかかった「背景」の一部として後退している。むしろ写真家の関心は、そこで人々が集合的に繰り広げる生態へと向かう。修学旅行生たち、バスガイドの研修とおぼしき若い女性たち、繁華街を歩く反原発デモの集団、「ひろしまフラワーフェスティバル」のパレードに群がる人々…。とりわけ頻出するのが、「撮影する人々」のスナップだ。そこには平和記念公園での記念撮影もあれば、お花見や、パレードで手を振るミッキーマウスを写メする人々もある。三田村は、「眼差しを向ける行為」を入れ子状に写すことで、「広島」で撮影行為を成立させることの困難さと容易さについて自己批判的に言及しているのではないか。
一方、人物が不在の「風景」もまた、「広島」で「ヒロシマ」の痕跡を撮ることの困難さと可能性をともに示している。それは、単独でメッセージを放つことを課された「強い」写真ではなく、「断片」の集合体をじっくりと凝視する時間の中から、かすかだが確実に立ち上がる可能性である。商店街の掲示板、寂れたラーメン屋、店舗の軒下の光景は、細部を凝視すると同じ原爆展のポスターが貼られていることが分かり、離れた点と点が一本の線としてつながる。あるいはポスターのリズミカルな「反復」は、「8月6日」の周期的な繰り返しを示唆するようだ。また、左右前後に隣り合う写真どうしの関係性から、「広島」の中の「ヒロシマ」の痕跡が浮かび上がる瞬間もある。式典のための椅子が整然と並べられた平和記念公園のがらんとした空間は、再開発で更地になった空き地の写真と並置されることで、現在ある平和記念公園の地面が、瓦礫やバラックを取り壊して整地され、新しく土を盛った「新たな人工的な表皮」であることを指し示す。また、平和を謳うフェスティバルのパレードで群衆に手を振るミッキーマウスは、日米の国旗がはためく放射線影響研究所の写真と並置されることで、魅力的で多幸感あふれる娯楽の供給と軍事的支配というアメリカの両面を示唆し、日本の戦後が抱えるねじれや矛盾を顕在化させる。
「ヒロシマ」しか存在しないのではなく、原爆資料館のガラスケースに収められて展示/隔離された「ヒロシマ」から切り離されて「広島」があるのでもない。「広島」は「ヒロシマ」を内に抱え込み、「ヒロシマ」は「広島」の中に潜在している。そうした「広島」に潜在する「ヒロシマ」の痕跡、つまり「日常」の中にある特異さを、三田村は断片の集合体として提示することで、写真を見る者の解釈やリテラシー、欲望に委ねている。三田村の写真と向き合う時間は、広島に対する三田村自身の凝視の時間を追体験することでもある。現在の「広島」の表面を通して、歴史の痕跡の「見えにくさ」そのものを粘り強く見つめようとするその姿勢は、「見えにくさ」を「見えない」へと馴らしていこうとすることに抗する身振りであり、「ヒロシマ」の占有や求心的な物語を紡ぐことへの抵抗である。さらに、表面・表皮を撮ること/見ることを通して、その深部へと降り立とうとする困難な試みは、写真それ自体の限界への挑戦でもある。
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2016/09/23(金)(高嶋慈)
早瀬道生 個展「表面/路上/その間」
会期:2016/09/13~2016/09/18
KUNST ARZT[京都府]
「メディアと写真」について対照的なアプローチで問う2作品が発表された、早瀬道生の個展。《Newspaper/20160711》は、タイトルの日付に発行された、複数の新聞の一面と社会面を複写し、画像をレイヤー状に重ねたもの。メディア報道によって共有化された情報が過剰に重ねられていくことで、画面はノイズの嵐と化し、むしろ不可視に近づく。早瀬はこのシリーズを昨年から続けており、《Newspaper/20150716》《Newspaper/20150918》《Newspaper/20150920》を制作している。不明瞭な紙面と対照的に、唯一クリアな情報として残ったこれらの「日付」はそれぞれ、安保法案の採決が衆院を通過した日、民主党が提出した安倍首相の問責決議案が参院にて反対多数で否決された日、そして安保法案が前日未明に成立したことが報じられた日である。真っ黒に塗りつぶされて「読めない」紙面は、情報の不透明さや検閲の存在を示唆するかのようだ。そして、これら3つの日付の延長上にある、新作の《Newspaper/20160711》。この日付は、前日の参院選の結果、改憲4党が憲法改正発議に必要な2/3(162議席)に達したことが報じられた日である。
この日付はまた、もう1つの出品作《Take Takae to here》にも関連する。この作品では、機動隊員の青年のポートレイトが12枚、観客を無言で包囲するように壁にぐるりと展示されている。「見つめられている」という感覚は、写真における擬似的な視線の交差であると分かっていても、かなり居心地悪い。よく見ると、彼らの背後には白いフェンスや車両、路上のブルーテントが写っている。タイトルの「Takae」は、米軍のヘリコプター着陸帯(ヘリパッド)の移設工事をめぐって、反対運動が起きている沖縄県東村高江地区を指す。「20160711」は、参院選の翌日、建設資材の搬入が突如始まり、全国から機動隊が集められた日でもある。ヘリパッド移設の撮影取材ができなかった早瀬は、反対運動のデモ隊に混じり、自分を取り囲む機動隊にカメラを向けて撮影。ポートレイトとして展示することで、「本土へ引き取ることが難しい基地の代わりに、本土から沖縄に派遣された機動隊員をここに連れ戻そうと試みた」という。
《Take Takae to here》の異様な不気味さは、至近距離でカメラを向けられても動じず、直立不動の姿勢で立ち続ける機動隊員たちの「顔」にある。「個」を消す訓練を受けているであろう機動隊員たちは、制服という装置もあいまって、一見、均質で無個性で、集団の中に埋没しているように見える。しかし、至近距離でカメラを向けるという行為が、そこへ裂け目を穿つ。職務としての機動隊員というペルソナが引き剥がされ、「個」としての顔貌がさらけ出される。表情や目線の微妙なブレに表われた、一瞬の心理的な反応を、カメラは捕捉する。真っ直ぐ見つめ返す、訝しげににらむ、伏し目がちに目をそらす、虚空を見つめ続ける……。眼差しや表情の差異は、ほぼ等身大のプリントともあいまって、機動隊という集団的な枠組みから切り離し、「個人」として眺めることを可能にする。
彼らが見ているものは何か。彼らの眼差しの先にある、「不在」の対象は何か。カメラという装置の介在によってここに凝縮されているのは、国(及びその背後の米軍)と沖縄、本土から派遣された機動隊員と沖縄市民、という構図である。無関心、無視、困惑、苛立ち、不信感、動揺……。《Take Takae to here》は、(一方的で都合の良いイメージの収奪としての)「沖縄の」像ではなく、「沖縄への」私たち本土側の視線である。向けられたカメラは鏡面となり、写真を鏡像として送り返す。そして、写真の中の機動隊員たちが見つめている、あるいは目をそらそうとする「不在」の対象とは、「沖縄の基地問題」に他ならない。
ポートレイトにおける「個」と「集団」、「見る」/「見られる」関係性がはらむ権力構造に加え、「写真と眼差し」の問題を通して、沖縄をめぐる視線の場をポリティカルに浮かび上がらせた、優れた展示だった。
2016/09/16(金)(高嶋慈)
六甲ミーツ・アート 芸術散歩2016
会期:2016/09/14~2016/11/23
六甲山上に点在する植物園や展望台、池や芝生を備えたレジャー施設などの観光施設やケーブルカーの駅舎などに現代美術作品が展示されるアートイベント。7回目の開催となる本展には、関西を中心に39組の作家が参加。自然の中に設置された彫刻やインスタレーション作品が多く目につくが、本評では、観光ペナントと昭和40年代風アイドルというバナキュラーなモチーフを通して、「観光、消費、高度経済成長期における共同体的な記憶の再構築」という共通点において興味深かった、谷本研と菅沼朋香の作品を取り上げる。
谷本研は、観光ペナントの収集・研究を手がけ、『ペナント・ジャパン』を出版した美術作家。観光ペナントとは、細長い三角形の旗に、「富士山」「天の橋立」「日光」「姫路城」などの観光地名とイラストを印刷や刺繍で施したお土産物のこと。今では「時代遅れのダサいもの」の代名詞となり果てたが、昭和30年代~50年代にかけてはお土産物の定番として人気があり、大量に生産されていた。出品作の《Sights of Memories─日本観光記念門─》は、谷本が収集した観光ペナントのコレクションを、凱旋門のような構造物の外壁に貼りつけて展示したもの。北海道から沖縄まで全国各地をほぼ網羅した観光ペナントとともに、谷本自身が新たに制作した「六甲山」のペナントも展示された。そこには、登山者が山頂に旗を立てる雄姿が描かれている。観光ペナントの起源は、大学の山岳部が登頂記念として立てたペナントを、山小屋が山岳記念としてつくるようになり、山以外の観光地にも普及していったことにある。登頂旗に限らず、アポロ11号の宇宙飛行士が月面に立てた米国旗の例を思い起こせば、「旗を立てる」行為は、到達困難な土地の征服や領土の獲得を示す。「その土地を訪れたこと」の証明が、旅の記念に購入して自分の部屋の壁に飾るものへと変転し、さらに「収集」というかたちで征服・支配欲をまとっていくことを、谷本は凱旋門を思わせる巨大な構造物によって可視化している。
また、観光ペナントの流行は、高度経済成長期における国内観光ブームと密接に結びついていた。昭和45年(1970年)に始まった国鉄の「ディスカバー・ジャパン」キャンペーンが顕著なように、安定した経済収入、核家族化、新幹線や高速道路の整備、マイカーの普及は、余暇を行楽地で楽しむ「レジャー」の隆盛をもたらし、「レジャー」は新たな商品となった。それは、「風景」の(再)発見であるとともに、
ペナントの形の均質性が象徴するように、「風景」の均質化の開始でもあった。谷本の作品は、現在の六甲山上の観光施設に、かつて時代の空気として共有されていた集合的な記憶や憧れを再構築していると言える。
一方、菅沼朋香の《六甲山は泣いている》は、昭和40年代風アイドルに自ら扮し、楽曲制作、ミュージックビデオ、ブロマイドの展示・販売を行なう作品。また、「スタンドまぼろし」での喫茶営業や、キッチュな昭和臭の漂う置物を詰め込んだ屋台も展示した。昭和レトロなメイクや衣装で六甲山の魅力をアピールする姿は、ご当地PRの担い手としてゆるキャラや美少女萌えキャラが氾濫する現在、新鮮に映るが、そこに批評性を読み込むことも可能だ。ジェンダーを曖昧に回避したゆるキャラとは対照的に、男性の性的な視線を強調した美少女萌えキャラ。「ミス○○」として地名を冠されたご当地PR嬢。菅沼は、「昭和のアイドル」を自らの身体性をもって演じ直し、実体/イメージの狭間にあるアイドル像を観光PRの担い手と結びつけることで、「観光」というイメージの消費が、ジェンダーの偏差をはらんだ女性表象の消費でもあることを露呈させている。
このように谷本と菅沼の両者は、古き良き「昭和」へのノスタルジックな回顧や「キッチュに宿る美」の再発見を超えて、お土産物、レコードやブロマイドといった複数のメディアが担う商品を通して、かつて共有されていた集合的な記憶を再構築するとともに、そこに孕まれたさまざまな欲望や力学を、アートを経由して問い直そうとしている。
公式サイト:https://www.rokkosan.com/art2016/
2016/09/13(火)(高嶋慈)
明楽和記展
会期:2016/08/27~2016/09/10
CAS[大阪府]
明楽和記(あきらかずき)はこれまで、色鉛筆やカラー電球といった規格化された既成品を用いて、「空間に色を置く」ことで作品を制作してきた。本展では、ターナーアクリルガッシュの6色と12色セットの絵具の色と配列に基づき、「他のアーティストの美術作品」を選んで配置するという、プロブレマティックな試みが発表された。
明楽の試みは、「絵画とは、既製品の絵具を選択してキャンバスに配置することである」というデュシャン的な思考を、白いキャンバス平面からホワイトキューブの空間へと拡張し、そこに置かれる美術作品を「色」と見なすことで成立している。出品作の《12 colors》は、アート作品のレンタル会社に、絵具セットの12色と一致する作品のセレクトを依頼し、借用して展示したもの。パーマネントレッド、パーマネントスカーレット、パーマネントイエローディープ、パーマネント レモン、パーマネントグリーンライト、パーマネントグリーンミドル、スカイブルー、コバルトブルーヒュー、バイオレット 、バーントシェナー、ジェットブラック、ホワイトの順に、計12枚の絵画作品が壁に横一列に並べられている。「色」という多律的な基準を採用し、メーカーの絵具セットの色数という規格に準じ、作品の選択すらもレンタル会社という他者に委ねることで、システムの明快さと他律性を徹底させた《12 colors》に対して、《6 colors》はより複雑な問題を抱え込んでいる。
《6 colors》では、「赤」としてアンディ・ウォーホル《Mao-Portfolio (Sunday B. Morning)》、「黄」として越野潤《work 16-11》、「緑」として冨井大裕《stacked container (no base)》、「青」として福田真知《jewel_hikari》、「黒」として椎原保《風景の建築》、「白」として今井祝雄《記憶の陰影058─スクリーン》が一部屋に展示されている。毛沢東のポートレイトを共産党カラーの「赤」とともにシルクスクリーンで複製したウォーホル、透明アクリルの直方体の表面をシルクスクリーンで黄色く均質に塗装した越野、緑色のプラスチック製ボックスをジャッドよろしく積み上げてミニマル・アートを軽やかに解体する冨井、濃度1%にした画像を数百枚重ね合わせ、知覚の臨界を漂うような揺らぎを映像として提示する福田、黒く細い針金を用いてドローイングの線の運動を半立体的に立ち上げる椎原、キャンバス状の矩形を白い布で覆って凸凹を浮かび上がらせた今井。これらはいずれも、明楽が各作家から借用し、あるいは自身のコレクションから選んでいるという。
ここで、《6 colors》を《12 colors》から分かつ分岐点は、4点挙げられる。明楽自身の選択によること(主観的な好みや判断の入る余地があること)、メディアの多様性(絵画、版画、立体、映像)、キャンバス=壁の一面だけでなく展示室の空間全体への配置、そして作家名と作品名がキャプションに記されていること。ここで浮上するのは、「作品」と「キュレーション」の境界についての問いである。
では、明楽の作品は、キュレーションのパロディなのだろうか。あるいは、キュレーターが作家化することへの辛辣な皮肉なのだろうか。《6 colors》は、若手から巨匠まで、多様なメディアの作品を選択し、バランス良く配置することで、グループ展の「キュレーション」を擬態するかのように見える。だがここで起こっているのは、「作品」という複雑な総体が、その構成要素の一部にすぎない「色」という視覚情報に従属する、という転倒である。ただし、選択の基準が「色」である必然性はどこにもない。マーティン・クリードよろしく「キャンバスや紙の規格サイズ順に並べる」、あるいは「作家名のアルファベット順に並べる」「作品名でしりとりをして並べる」など、無数の基準がありえ、恣意的なルールの設定に基づくゲーム性へと逸脱していくからだ。こうして明楽の試みは、「色」という基準が恣意的で交換可能なことを示すことで、キュレーションを「選択と配置」へと還元し、相対化してしまう。
だが一方で、「色」という基準への一元化は、そこに還元されない余剰部分をむしろはみ出させ、前景化させる。例えば、冨井の作品であれば既成の日用品を用いたミニマル・アートの軽やかな脱構築、椎原の作品であれば幾何学的な線描が重なり合う繊細な表情の中に、「線と空間」「2次元と3次元」「形態と認識」という問題が見出されるだろう。こうして「色」という基準が破綻するとき、作品どうしの関係はバラバラに分解し、関連づけたり対照化して見ることができなくなってしまう。明楽の試みは、捨象されたものの豊かさや幅を想起させることで、歴史的・社会的・概念的文脈や関係性の提示というキュレーションの本質的条件を逆説的に照射させていた。
2016/09/10(土)(高嶋慈)