artscapeレビュー
猪谷千香『ギャラリーストーカー─美術業界を蝕む女性差別と性被害』
2023年04月15日号
発行所:中央公論新社
発行日:2023 /01/10
ギャラリーストーカーという言葉を、本書で初めて知った。曰く、画廊やギャラリーなどで若い女性作家につきまとう人たち(多くは中高年男性)のこと。確かに個展を開いた作家は、会期中に何日か在廊することがほとんどだ。来場者と会話をし、作品の前に立って解説をすることで、ファンづくりにつながり、作品購入にも結びつきやすいからだ。そんな良質のファンは作家にとって大歓迎である。しかしそこに付け込み、作家に個人情報を聞いたり、食事やデートに誘ったり、しまいには作品購入と引き換えに男女関係を求めたりする人たちがいるのだという。客やコレクターである彼らを作家は端から無下にはできない。そのため徐々にエスカレートしていく彼らのストーキング行為に、身の危険を覚え、心を病んでしまう作家が少なからずいるという事実が、本書で明かされる。
最近、映画業界などさまざまな業界で性暴力やハラスメント問題が取り沙汰されている。結局、美術業界も同じなのかという、最初はただ気持ち悪い性被害をいくつか追ったドキュメンタリーなのかと思いきや、読み進めるうちに美術業界特有の構造的な問題や根幹的な話へと展開する。その辺りが大変興味深いものだった。
そもそも美術作家を育成する美術系大学、いや、そこに入学するための予備校からハラスメントは横行していると本書は指摘する。なぜならそこで教える教員との人間関係が、ある種の徒弟関係となり、卒業後もずっと続いていく狭い業界であるためだ。そもそも美術家はフリーランスが基本で、組織に守られていないことも大きい。さらに美大(東京藝大と東京の五美術大学を調査)には女子学生が7割超と多いにもかかわらず、逆に教授陣は男性が8割超という実態がある。この歪なジェンダーバランスがハラスメントの温床になるという。私もある美大で非常勤講師をしていた経験があるが、クラスのほとんどが女子学生だった。しかし名声を得る美術家は、その男女比が反映されず、男性の方が圧倒的に多い。それは女性作家が成功しづらい環境が、日本の美術業界にはあることを示唆する。西洋美術が輸入された明治時代から続く、言わば男尊女卑的な観念がはびこる業界ゆえに、その根底には女性差別があり、ハラスメントが起きる要因になっているというのだ。確かに私の友人の女性作家も、「あいつはどこそこのキュレーターとデキているから成功できた」などのやっかみを若い頃によく言われたと聞いたことがある。一見、自由で華やかな美術業界で、実は深刻な問題を抱えていたことを思い知らされた一冊だった。
2023/03/26(日)(杉江あこ)