artscapeレビュー
村田真のレビュー/プレビュー
バック・トゥ・バック・シアター「ガネーシャ VS. 第三帝国」
会期:2013/12/06~2013/12/08
東京芸術劇場プレイハウス[東京都]
フェスティバル/トーキョーのプログラムで、オーストラリアの劇団バック・トゥ・バック・シアターの公演。これはおもしろかった。この劇団は知的障害者とともに舞台をつくりあげることで知られているそうだが、そこで演じられるのは、インド神話のガネーシャが第三帝国(ナチスドイツ)に奪われた「卍」を取り戻しに行くという冒険譚。ところが、その劇の制作プロセスそのものが本公演の筋書きをなしていて、つまり「ガネーシャ VS. 第三帝国」というドラマが劇中劇として語られるという入れ子構造になっているのだ。しかもそれを演じているのが知的障害者であってみれば、虚と実の境界が確定しがたく、さらに迷宮は深みを増していく。知的障害者による劇というのは、アウトサイダー・アート以上にややこしい可能性を秘めてるような気がする。
2013/12/06(金)(村田真)
生誕140年記念:下村観山 展
会期:2013/12/07~2014/02/11
横浜美術館[神奈川県]
横山大観が終わったと思ったら、次は下村観山だ。横浜美術館で院展系の日本画家の回顧展が続くのは、2013年が岡倉天心の生誕150年、没後100年に当たるから。大観、観山らとともに日本美術院を創設し、近代日本画を確立させた天心は横浜出身なのだ。それにしても横山大観も下村観山も似たような名前だが、毎年のように展覧会が開かれる大観に比べ、観山のほうは珍しいというか、まとめて見るのはこれが初めてのこと。30歳でヨーロッパに留学し、ラファエロらを模写したせいか、大観より西洋度が高いようだが、竹内栖鳳ほどのリアリティはない。たとえば《獅子図屏風》を見ると、体躯や姿勢はライオンらしいけど、栖鳳のライオンとは異なり顔やたてがみは想像上の獅子。遠近感や立体感など西洋画法は採り入れたものの、写生は重視しなかったようだ。だから和洋折衷でキッチュ感は否めない。むしろそこが観山の魅力なのかも。
2013/12/06(金)(村田真)
モネ、風景をみる眼──19世紀フランス風景画の革新
会期:2013/12/07~2014/03/09
国立西洋美術館[東京都]
箱根のポーラ美術館でも見たが、今回は某文化センターの「風景画講座」の受講生を連れて上野に見学。同展にはモネだけでなく、クールベからセザンヌ、ゴッホ、点描派、ナビ派、ロダンの彫刻、ガレの花器まで出ているので、逆にモネがなにをしようとしたかが明確に浮かび上がってくる。これと「印象派を超えて──点描派の画家たち」展(国立新美術館)を併せ見れば、印象派の革命性がよくわかるはず。でもそんな教科書的な見方より、ただモネの軽快なタッチを目で楽しめばいいんだけどね。これほど描く喜びを伝えてくれる画家も少ないのだから。
2013/12/06(金)(村田真)
KABEGIWA第12回展「掲示」
会期:2013/11/25~2013/12/07
日本大学藝術学部江古田校舎西棟地下1階美術学科彫刻アトリエ前廊下[東京都]
日芸の彫刻アトリエの前の廊下にあるいくつかの掲示板を使った展示。校舎内に入るにはチェックが必要だが、廊下は個々のアトリエより公的性格が強く、不特定多数が行き交う空間。そこにある6面の掲示板がギャラリーだ。これは日芸に勤務する冨井大裕が、「絵画にホワイトキューブは必須か?」との問いにみずから「否!」と答えたうえで、それを検証するために企画したもの。掲示板はキャンバスでいうと300号とか500号の大きさがあり、表面に布が張られ、周囲に枠がはめられている。つまり掲示板自体、絵画形式とよく似ているのだ。なので、参加作家は絵画から出発した6人のアーティスト。絵具てんこ盛りの油絵を出した水戸部七絵は、もっともオーソドックスな展示だが、掲示板に貼り出す物件としては反則並みに出っ張っていた。細長い紙片をハトメで止めていった豊嶋康子は、与えられた掲示板というフィールドそのものを主題としつつ、一部がフィールドをはみ出していた。もっとも感心したのは末永史尚の《掲示》。絵画はひとつのイメージとして把握されるのではなく、さまざまな距離、いろんな角度から見た経験の総体として表象されるものであることを、掲示板に貼ったポスターを距離を変えて撮った写真によって示している。掲示板という与えられた条件を素材と主題に反転させ、なおかつ絵画の本質的な問題にまで迫っている。
2013/11/29(金)(村田真)
Delta「可能性の手触り」
会期:2013/11/22~2013/11/26
BankARTスタジオNYK[神奈川県]
東京藝大先端芸術表現科の3年生29人の後期成果展。絵を描くやつもいれば、映画を撮るやつもいる。みんないろんなことやってるんだけど、決定的につまらない作品はなく、みんなそこそこのレベルを保っている。そんななかでもっともハラハラ時計だったのが、濱口京子の《デリバリー・サービス》。会場の入口近くに宅配の箱が積み上がっているのだが、近寄ると内部から音が聞こえてくる。発信装置を仕掛けた箱を毎日ここまで宅配業者に運んでもらってるそうだ。自分の作品を流通にのせるのではなく、流通にのせることを作品にしたもの。中から音が聞こえてくるのは不穏だ。
2013/11/24(日)(村田真)