artscapeレビュー

村田真のレビュー/プレビュー

BankART AIR PROGRAM OPEN STUDIO 2012

会期:2012/07/06~2012/07/16

BankARTスタジオNYK[神奈川県]

BankARTで行なわれたレジデンス・プログラムの2カ月間の成果を発表。個展のための作品制作の場として借りる者もいれば、多くの美術関係者との交流を目的に入居した人もいるし、ただ大きな作品をつくりたいから大きな空間を借りたという人もいる。注目したのは洗川寿華、幸田千依、清水総二の絵画。だが、このコンクリートに囲まれた空間、2カ月という期間をもっとも有効に作品化したのはPinpin Coのプロジェクトだ。彼女は公募で集めた40人を毎日ひとりずつこのスタジオに招き、その顔に刺青のようなパターンを描き、コンクリート壁を背景に写真を撮り、撮影した同じ壁にその写真を展示するというもの。その行為は人間の原初的な表現行為にまで思いをさかのぼらせるし(刺青は洞窟壁画よりも古い人類最初の絵といわれている)、またそれらの写真はその場所でしか意味をもたないサイトスペシフィックな写真となっている。この場所で、この期間で見事に完結したプロジェクト。ちなみにPinpin Co(なんて読むのか、ピンピンコ?)は中国出身で、早大と芸大で建築を学んだという異色の経歴。これからの活動に注目したい。

2012/07/06(金)(村田真)

大英博物館──古代エジプト展

会期:2012/07/07~2012/09/17

森アーツセンターギャラリー[東京都]

ロンドンオリンピック効果なのか、大英博物館が在庫一掃セール(?)の「古代エジプト展」。彩色彫刻、棺桶、装飾品などのほか、死後の世界のガイドブックともいうべき「死者の書」が初公開されている。全37メートルにおよぶこのパピルス文書にはヒエログリフや図形が描かれているのだが、もちろん内容はチンプンカンプン。内容がわからないから文字が絵に見えたり、絵が文字に見えたりしてくる。ていうか、まだ絵と文字が明確に分化していなかった時代なのかも。だいたいこうしたパピルス文書も、内外を絵文字で覆った棺桶も、実用物なのか芸術品なのかよくわからないし、当時の人たちもそんな区別はまだしてなかったに違いない。いやそもそも「死者の書」も棺桶も死んだ人のためにつくられたものだから、生と死の境界も未分化だったのかもしれない。古代エジプト美術(美術なのか?)にある種の不気味さを感じるのは、それらがなかば死の世界に属しているからだろう。

2012/07/06(金)(村田真)

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「具体」──ニッポンの前衛 18年の軌跡

会期:2012/07/04~2012/09/10

国立新美術館[東京都]

なんでいま「具体」なのか? こじつければ今年は解散40周年に当たるが、結成◯周年というのはあっても解散◯周年を記念する展覧会はあまり聞いたことがない。それに、具体美術協会は関西を拠点とする前衛芸術グループなのに、今回は東京だけの単独開催ときた。時も場所も唐突感は否めないが、だから意味がないのではなく、だから意義深いのだ。まず、ここ数年のあいだに戦後日本の現代美術が世界的に再評価されてきたという背景がある。いま「もの派展」がアメリカを巡回しているし、具体も来年グッゲンハイム美術館で回顧展が計画されているという。その前に、本格的な紹介がされていなかった東京で大規模な展覧会が開かれるのは、まさに時宜にかなったものといえるだろう。しかも具体の回顧展といえば、結成から解散までの18年の活動のなかでも最初期の(いまでいう)インスタレーションやパフォーマンスばかりが注目され、その後のフランスから刺激を受けたアンフォルメル絵画や、大阪万博に向けて盛り上がったテクノロジーアート系の作品は等閑視されてきた。今回はその全期間に焦点を当てた画期的なものなのだ。もっとも全期間に焦点を当てれば総花的になりやすく、結果的にどこにも焦点を当てないのと同じで、全体に平坦に見えてしまいがちだ。実際、会場を一巡して感じた「寒さ」は、かつて熱かったはずの作品が、まるで標本のように整理整頓されて並べられていることの違和感に由来するだろう。とりわけそれが時代を切り開いた最前衛であればあるほど、その落差も大きくなる。前衛芸術の回顧展はことほどさように難しい。

2012/07/03(火)(村田真)

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マウリッツハイス美術館展──オランダ・フランドル絵画の至宝

会期:2012/06/30~2012/09/17

東京都美術館[東京都]

オランダのハーグにあるマウリッツハイス美術館は、規模こそ小さいけれど、アムステルダムの国立美術館と並んで黄金時代と呼ばれる17世紀オランダ絵画の宝庫。今回は美術館の拡張工事で長期休館するため、コレクションの一部が貸し出されることになった。展示は6章に分かれ、第1章はマウリッツハイスゆかりの人たちや建物を描いた自己言及的な「美術館の歴史」。なかでもレンブラントの《ニコラース・テュルプ博士の解剖学講義》が飾られた展示室を描いたアントーン・フランソワ・ヘイリヘルスの作品は、画中画愛好家には垂涎もの。なんでこの絵の複製画や絵葉書が売ってないの? 第2章が「風景画」で、第3章はルーベンスやレンブラントらの「歴史画」。歴史画なのにどれも小さいのが残念だが、ルーベンスの場合小さい(つまり下絵)がゆえに本人の真筆であることが間違いないので、むしろ弟子に描かせた大味な大作より貴重だ。「歴史画」の最後はフェルメールの《ディアナとニンフたち》で、階上の第4章「肖像画と『トローニー』」につながっていく。エスカレータで上ると大きな展示室の奥にただ1点、フェルメールの《真珠の耳飾りの少女》が置かれている。さっそく単眼鏡を取り出してつぶさに観察してみると、お肌が妙にスベスベで現実味に欠けていて、これはやはり特定のモデルを描いたのではないトローニーに違いない。この章にはほかにもヴァン・ダイクによる裕福な夫妻を描いた対の肖像画、フランス・ハルスの闊達な筆さばきによる少年像、レンブラントの初期と晩年の自画像を含む肖像画もあって、密度が濃い。第5、6章はいかにもオランダ絵画らしい「静物画」と「風俗画」が続き、けっこう満腹になった。なのに《真珠の耳飾りの少女》ばかりが話題になって、もったいない。

2012/06/29(金)(村田真)

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安世鴻写真展「重重 中国に残された朝鮮人元日本軍『慰安婦』の女性たち」

会期:2012/06/26~2012/07/09

新宿ニコンサロン[東京都]

文字どおり重々しくて長ったらしく、過剰に反応する人たちもいるらしいタイトルとは裏腹に、写真そのものはきわめて淡々としている。写されているのは、中国のどこかの田舎町を背景にした老婆たち。室内も衣服も質素で飾り気がなく、表情はおしなべて暗い。なかには泣いている人もいる。それをツヤのない和紙のような紙に粒子の粗いモノクロームプリントで焼き付けている。画面がどれもわずかに斜めに傾いているのは、被写体の不安定さを表わすと同時に、三脚を使わない撮影者と被写体の近さも証しているのだろう。作品そのものからは特別に政治性を感じることはない。つーか、そもそもあらゆる作品は政治性を含んでいるわけだし。ある種の人たちが過剰に反応するのは写真ではなくタイトル、つまり言葉に対してだろう。でもこれは言葉の展覧会でなく、写真展だ。それともニコンは写真を見る目がないのだろうか。いずれにせよ、ニコンの起こしたドタバタ騒動が結果的にこの写真展の宣伝に大きく役立ったことは間違いない。じつはそれがニコンの作戦だったりして。

2012/06/28(木)(村田真)