artscapeレビュー

村田真のレビュー/プレビュー

ぬぐ絵画──日本のヌード 1880-1945

会期:2011/11/15~2012/01/15

東京国立近代美術館[東京都]

裸体画ばかりを集めた展示。しかもその大半が女性ヌードというからソソられるが、そこに明治から第2次大戦前までの「日本・近代」という限定がつくことで、また別の興味がわく(興味をそがれる人もいるだろう)。どんな興味かというと、西欧との裸体観の違いについてであり、ワイセツ論争をはじめとする社会との軋轢に関してであり、また、時代による裸体描写の変化についてである。同展は黒田清輝、萬鉄五郎、熊谷守一らの裸体画を軸に、こうした興味に応えてくれる。とくに黒田に関しては《裸体婦人像》《智・感・情》《野辺》といった「日本のヌード」を語るうえで欠かせない作品が出ていて、満足度は高い。しかし萬の《裸体美人》以降は再現性より表現性に傾いていき、最後に熊谷の暗くて曖昧なヌードでフェイドアウトしてしまうのは、まあ時代がそうだったから仕方がないが、なにかハシゴをはずされた感じがしないでもない。この3人以外でも、おそらく日本人女性では初のラグーサ玉による裸体画や、五姓田義松のシュールな銭湯画、甲斐庄楠音の豊満すぎる日本画ヌードなど見どころは少なくない。企画したのは蔵屋美香氏。男視線のヌード観ではなく、かといって女性研究者にありがちなフェミニズムに走ることもなく、また学術的ドツボに陥る危険も回避し、質的にも量的にもきわめてバランスのとれた展示になっていた。あえていえば、バランスがよすぎて「ぬぐ」というタイトルから予感される逸脱感がなかったことがものたりないというか。

2011/11/14(月)(村田真)

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池内晶子×鵜飼美紀

会期:2011/11/03~2011/11/27

ギャラリー21yo-j[東京都]

ギャラリーの目の高さに数千本の青い糸が張られ、一部は床すれすれに垂れている。その床には茶色いラテックスが固まっている。池内と鵜飼のコラボレーションだが、作品は糸とラテックス、青と茶色、空と地、線と面、動と静、軽と重……と非常に対照的な両者。しかも糸に目を凝らせばラテックスが邪魔をし、ラテックスを見ようとすれば糸が目障りになる。絶妙な組み合わせというほかない。見る側としては仲よしのコラボレーションより、このように静かに火花を散らすバトルが見たい。もちろん作品同士の話であって、作者同士がケンカしちゃダメよ。

2011/11/13(日)(村田真)

テリーさんまたね展

会期:2011/11/12

Chap2[神奈川県]

びわこビエンナーレの準備のため1年ほど横浜を離れることになった包帯アーティスト(っていうのか?)、テリーこと寺田忍の壮行会を兼ねた1日だけの展示会とパフォーマンス。寺田自身の作品(木彫りの熊の片足に包帯を巻いた作品がよかった)のほか、藤原京子、椎橋良太、片桐美佳、まつながえみら、BankARTスタジオで知り合ったアーティストを中心とする展示。夜は寺田による「ヨコトリ2011感想パフォーマンス」が開かれた。3脚の椅子の上にほうき、時計、電話機が置かれている。白い包帯ドレスをまとった寺田が登場し、まずほうきを手にゆっくり歩きながら床を掃き、「ていうか、レレレのおじさんじゃねえんだよ!」とか叫んでほうきの柄を折る……。ヨコトリを見た者ならだれでもわかる、ポスターにもなったミルチャ・カントルのパフォーマンス映像をパロッたもの。時計はもちろんクリスチャン・マークレーの24時間映像のモチーフ、電話はオノ・ヨーコのインスタレーションに使われた作品アイテムで、それぞれ最後に「おもしろいけど長すぎるんだよ!」とか「ぜんぜんかかってこないじゃん!」とか悪態ついて破壊するという罵倒パフォーマンスだ。一部で大ウケしていたので、みんな似たような感想というか不満を抱いていたんだろう。王様は裸だと。

2011/11/12(土)(村田真)

日常/ワケあり

会期:2011/10/18~2011/11/19

神奈川県民ホールギャラリー[神奈川県]

江口悟、田口一枝、播磨みどりの3人のインスタレーション展。いずれもニューヨークで活動する30代のアーティストだが、ぼくはひとりも知らなかった。江口は机や椅子、棚、柱、バッグといった日常品を並べたインスタレーション、と思ったら、これがすべて着彩したハリボテ。たしかフィッシュリ&ヴァイスにも似たような作品があったなあと思って隣の部屋に行くと、前の部屋と瓜二つの机や椅子が配置を変えて並んでいるのでメマイがしそう。田口はプラスチックフィルムをさまざまなかたちに曲げ、そこに照明を当て光を乱舞させる作品、播磨は紙で馬や犬や鳥をつくり表面にその写真を貼りつけたり、大きな家のモデルに光を当てて幻想的な情景を生み出している。3人それぞれやりたいことは異なるが、作品の印象はどこか共通したものがある。それはハリボテ感が強く、実体感が希薄なこと。だから見ていてなにかずっしりとした手ごたえのようなものが感じられないのだ。これは9.11以降のニューヨークの傾向なのか、それとも30代の日本人アーティストの特徴なのか。

2011/11/12(土)(村田真)

菅木志雄 展

会期:2011/11/05~2011/11/12

来往舎ギャラリー[神奈川県]

昨年、東京画廊の資料展を開いた慶応大学日吉キャンパスの来往舎で、今度は実物の作品を体験しようと菅木志雄を招き、学生とともに制作したという。その作品は東京画廊で展示したインスタレーションの再制作で、長さ2メートルほどの角材を組んだ立方体を三つ並べ、そのなかに矩形に組んだ角材をランダムに入れたもの。まず驚いたのは、東京画廊で展示したときの材料がそのまま(解体されて)倉庫に保存されていたこと。貸し画廊じゃあるまいし、売りものなんだから残しておくのは当たり前といえば当たり前だが、材料自体は単なる角材だから、倉庫代を考えれば必要に応じて材料を買ったほうがずっと安上がりのはず。でもそうしないのが美術品の(というより東京画廊の)エライとこだ。で、再制作なのだが、正確に再現するわけではなく、「こんな感じかなー」とかなりラフに組み立てていったらしい。なるほど、厳密な再現でない分、せめて材料くらいはオリジナルでないと別物になっちゃうからね。完成したインスタレーションは立体なのに量感がなく、なぜか絵画的なイメージが強い。なぜだろうと考えたら、角材の組み合わせが空間に描いたドローイングのように見えたからかもしれないし、矩形の枠が額縁を連想させたからかもしれない。

2011/11/10(木)(村田真)