artscapeレビュー

五十嵐太郎のレビュー/プレビュー

「モバイルハウスのつくりかた」イベント トーク2「坂口恭平とは何者か?」ゲスト:五十嵐太郎、本田孝義

会期:2012/07/15

渋谷ユーロスペース[東京都]

渋谷のユーロスペースにて、本田孝義監督とトークを行なうために、彼の映画『モバイルハウスのつくりかた』を再び劇場で見る。坂口恭平のダンボールハウスをつくる防災ワークショップ、トークショー、多摩川のロビンソンクルーソーに指導を受けてつくるモバイルハウス、そして3.11以後のゼロセンターと独立国家論を撮影したドキュメントである。この映画がおもしろいのは、本や写真集ではわからない、坂口恭平という人間のふるまいやしゃべり方を映像でとらえているところ、また撮影中に3.11を迎え、彼の活動に「意味」が加わり、新しい始まりを記録したところだろう。トークで話題になったのは、3.11後、セルフビルドのバラックがほとんどなかったこと、もっとも半壊状態の家に住み続けたり、避難所内に自分の居場所を構築するさまはあったこと。そして昔、筆者が学生に「国家内国家を建設せよ」という無茶な設計課題を出したことも思い出した(参考文献は「吉里吉里人」など)。ともあれ、坂口恭平さんの出発点である反建築と、震災以降の新しい社会を「建築」する活動は、ともに完全なオリジナルではない。ただし、彼の人間力でほかよりも目立っていることが大きい。また1960年代によく語られていたことがいったん忘却された後、若い人には新鮮なものとして受容され、異なる文脈でよみがえっている。

2012/07/15(日)(五十嵐太郎)

[二期会創立60周年記念公演]東京二期会オペラ劇場

会期:2012/07/13~2012/07/16

東京文化会館大ホール[東京都]

あいちトリエンナーレ2013でオペラの演出をお願いしている田尾下哲が演出を行なう、二期会創立60周年記念公演「カヴァレリア・ルスティカーナ」と「パリアッチ」を東京文化会館にて観劇した。いずれも不倫→殺人の物騒な作品だが、現代の設定とし、新しい解釈を加えた舞台装置だった。「カヴァレリア・ルスティカーナ」は、椅子やテーブルの幾何学的な配置を変えることによって、場の配列が変わる空間的な演出である。また「パリアッチ」は、原作の旅劇団を60年代のテレビショーに仕立て、劇中劇に大胆な解釈を行なう。もとの楽曲にコーラスが多く、場面展開も多いので、ミュージカル風にも楽しめる。ちなみに、田尾下は東京大学で建築を学んでから演出家になった経歴をもつ。

2012/07/15(日)(五十嵐太郎)

スタジオ・ムンバイ展 PRAXIS

会期:2012/07/12~2012/09/22

TOTOギャラリー・間[東京都]

ギャラリー間のスタジオ・ムンバイ展を見る。会場は、一昨年のヴェネチアビエンナーレ国際建築展をきっかけに注目されて以来、あっとういう間に人気者になったことを示す、大入り満員だった。じっくり見ると、相当時間のかかる密度のある展示だ。が、ヴェネチア・ビエンナーレ、都現美と、おおむね同じ展示手法なので、個人的にはやや新鮮味に欠ける。ひとつのプロジェクトだけに絞るとか、ほかの見せ方はなかったのだろうか。

2012/07/14(土)(五十嵐太郎)

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この空の花──長岡花火物語

『この空の花』は忘れ難いヘンな映画である。大林宣彦の個性というべき不自然な演出とセンチメンタリズムが満載ながら、徹底したリサーチをもとに、3.11から日本近代の戦争史、そして新潟の地震、あるいは長岡、東北、天草、長崎、広島、中国、シベリア、ハワイを横断する奇蹟のような時空の旅だ。強烈な作家性と、史実を想像によってつなぐ物語の力がある。渋谷のアップリンクで見たのだが、大林宣彦監督も小さな会場で一緒に見ていて、上映後にトークが行われた。かつて軍国少年だった彼が、その後、平和なニッポンを享受し、長岡の花火と3.11と遭遇してつくられた作品だとわかる。

2012/07/14(土)(五十嵐太郎)

被災地調査(気仙沼市、石巻市雄勝町、石巻市牡鹿半島、牡鹿郡女川町)

[宮城県]

あいちトリエンナーレ2013に参加するイギリスのアーティスト、ブラストセオリーのリサーチで、気仙沼、南三陸町などの被災地をめぐる。雄勝と牡鹿半島では、浜の漁師にインタビューを行なう。これがどのように来年の作品につながるのかが、楽しみである。個人的には、3月はまだ残っていたのに、女川のマリンパルが消えていたことにショックを受けた。ここではほとんどの瓦礫が消え、もはや保存される倒壊ビルしか残っていない。
翌日もブラストセオリーのリサーチで、NHK仙台にてディレクターへのインタビューに立会う。震災直後の閖上取材のときの映像を見せてもらったが、筆者が3月下旬にまわったときとほぼ同じ風景だった。むろん、そのときにはかろうじてクルマが走ることができる道路ができ、被災者は別の場所に移動していなくなっていたが、遺体捜索を優先し、瓦礫を片付けていなかったからだろう。改めて重要な状態を見たのだと気づく。

写真:上から、雄勝、気仙沼、牡鹿・富貴浦

2012/07/12(木)・13(金)(五十嵐太郎)