artscapeレビュー

木村覚のレビュー/プレビュー

カオス*ラウンジ(夏)

会期:2009/08/18~2009/08/30

ビリケンギャラリー[東京都]

出展者でもある藤城嘘がpixiv(イラストを投稿・閲覧できるウェブサービス)を中心にネットを通じて集めた40人前後の作家たちによる展示。今年3月に国分寺で行なった同展の第2弾。pixiv経由だけあって作品はイラストやマンガの類が多いのだけれど、キャンバスを用いた美術的なものも少なくない。技量も知識もある、そのうえで、あえて落書きの手つきで少女を描く作家たち。少女を犯すより少女と同化したいという80年代以降のおたく的精神の恐らく最良の部分といえるものが、小さな画面で生き生きと暴れている。亡き富沢雅彦という名の同人誌ライターは85年出版の『美少女症候群』のなかで、マイナーな同人誌作者たちは「ロリコン」と自己規定することでマスとなりえたと述べている。性を介する共同幻想が、それぞれで閉じこもっていたおたくたちが繋がることを可能にしたのだった。ところ狭しと飾られた本展の作品群のほとんどすべてに描かれている少女の像はまさにそんな力を発揮していて、作家たち同士、また彼らと観客を繋ぐ〈今日のヴィーナス〉といった存在感に満ちている。では、コミュニケーション・ツールとなった「少女」たちは、具体的に何を可能にしてゆくのだろう。少女の体を借りて叫んだ声は、いまのところ時にイライラしあるいはわくわくしている描き手の実存を表明しているのだが。

2009/08/21(金)(木村覚)

Stitch by Stitch

会期:2009/07/18~2009/09/27

東京都庭園美術館[東京都]

現代美術の分野で刺繍をモチーフに活動する日本の作家たちを集めた展覧会。本展カタログに論考「ステッチが現代美術へ変容するとき──ハンド・メイドとレディ・メイドの間で」を寄稿したのだけれど、本展の展示については一度も言及していないので、ここに雑感をまとめさせてもらいます。出色の出来だったのは、伊藤存の新作。キュビスムなどの近代美術を連想させる構成を模索しつつ、糸と針で布に描くその独自の「言語」を勝手に進化させている近年の彼は、例えば、糸を抜いた針穴をぽつぽつと残すなんてことをやってみせる。「痕跡」ってことは、また美術史的な進化を果たした?なんて読み込みもしたくなるけれど、そういうことよりも差し抜いた針の暴力が小さな穴に滲む、その些細な振る舞いが画中を豊かにしていることこそ注目すべき。今作ではほかにも、糸を縫い込まずにゆったりと張るアイディアも披露され、布と糸との関係が一層スリリングになっていて新鮮だった。愛着のあるものを梱包する竹村京、街の記憶を地図の透けた布に刺繍してゆく秋山さやか、暗い空間に糸のストロークが印象を残した清川あさみの作品が目立った。

2009/08/21(金)(木村覚)

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ライン京急『自主企画Vol. 1』

会期:2009/08/04

SuperDeluxe[東京都]

演奏家で文筆家の大谷能生チェルフィッチュの役者・山縣太一と組んだユニット、ライン京急。この名を冠に行なう自主企画が本イベント。演劇、音楽、ダンスとマルチジャンルのラインナップが興味深い。岩渕貞太は、顔を真っ赤に塗り、同じ場所でひたすら激しく踊った。グロテスクに感じるほどにエモーショナルな次元で踊る岩渕は、シンプルな振りに徹底する方法的アプローチによって、美しい運動を表わしえている。中野成樹の演劇は、飲食店でのアルバイターの物語。男2人と女1人、3人の距離感が軽妙に描かれる。「演劇とは?」など問うことなく単純に楽しんでしまえる軽妙さは、小演劇シーンのクオリティの高さを証している。女の生き方を男である岸野雄一は「ヒゲの未亡人」となって歌い踊る。主催のライン京急は、演劇、音楽、ダンスの今日的展開をすべて飲み込んだようなパフォーマンスを見せた。山縣が女の子をくどくという設定の演劇音楽は、発語が音楽にもなりダンスにもなることを、音楽が演劇にもダンスにもなりうることを見せつけた。最後は、大谷と山縣は、手塚夏子と神村恵が課す指令(「足の小指と薬指にものがはさまっている(のを感じよ)」など)を実演した。指令はシンプルなリズムとともに録音したソースとして流れ、2人は黙々とその指令に応えようと苦闘する。そのさまに爆笑する観客。手塚や神村の方法が、ポップな舞台へと変貌した瞬間だった。

2009/08/04(火)(木村覚)

飴屋法水『3人いる!』

会期:2009/07/31~2009/08/12

リトルモア地下[東京都]

東京デスロック多田淳之介の脚本、構成・演出は飴屋法水。自分以外に自分を名のる人間が部屋に現われる。さらにもうひとり自分を名のる存在が現われ、一層、謎が深まる。きわめてシンプルな基本設定。ただし、なぜ自分が2人(3人)いるのかの謎は、延々と解けない。演劇の本質を存分に遊んでいる脚本に思えた。役柄とは関数のように入れ替え可能である。誰がどの役かということは、見る者が了解できればそれで成立するわけで、舞台上のこのひとは誰かということは約束事でしかない。頻繁に出てくる「あなたは誰よ!」の言い合いや相手に対する指さしは、暗黙の内に演劇を成立させている構造そのものに映る。飴屋の演出は、そうしたメタ演劇、メタ役柄を語る演劇に、役者のアイデンティティを折り重ねていた。ぼくが見た初回には(24回公演で3人一組の12チームが次々と上演した)、韓国人のアンハンセムが出ており、彼女の韓国人としての生きる不安が、戯曲のなかに織り込まれていた。

2009/07/31(金)(木村覚)

飴屋法水『3人いる!』

会期:2009/07/31~2009/08/12

リトルモア地下[東京都]

飴屋法水『3人いる!』が今月のレコメンドNo.1です。3月の『転校生』以来、「今年は飴屋法水の年」といって過言ではないくらい、いま注目度が高まっています。東京デスロック主宰、1976年生まれの多田淳之介が書いた戯曲を1961年生まれの飴屋が演出します。12日間(7/31~8/12)で24回行なわれる公演、驚愕なのは「毎日、何かが違ってる。」(フライヤーより)らしいこと。ウェブサイトを見ると役者は36人ラインナップされている。そこにはカタカナ書きの名前も結構ある。1962年生まれもいれば1990年生まれもいる。チームが12組あるという、それって12組を一挙に演出して毎回違うキャストで上演するってこと? この事実だけでまずは問題作です。一回見てそれで済む話なのでしょうか。わかりません。わからないので、ぼくは初回の7/31にさっそく見てみることにします。

2009/07/31(金)(木村覚)