artscapeレビュー

木村覚のレビュー/プレビュー

プレビュー:『HARAJUKU PERFORMANCE + (PLUS)2009』/庭劇団ペニノ『太陽と下着の見える町』/快快のGORILLA

年末恒例になってきた『HARAJUKU PERFORMANCE+』(12月19日~23日)。今年はやはりロマンチカと菊地成孔のコラボレーションが気になりますね。庭劇団ペニノ『太陽と下着の見える町』(12月5日~13日@にしすがも創造舎)も必見。タニノクロウの想像力は演劇という枠に縛られないところがあって、たとえば、演劇人よりも松本人志などと並べてみたらよいのかもしれない(「ガキの使い~」とか)。今回は、強烈な想像力がかなりはっきりと彼一流の「エロ」へと絞られているよう、その点でも見逃せません。もちろん快快のGORILLAイベント(特に12月11日)も見逃せません。チェルフィッチュと快快の「F/T」での出会いなんて、シュルレアルな事件になること間違いなしです。
ああもう今月でゼロ年代終了!来年は新しいディケイドのはじまりです(不況は一層ひとの心を萎ませるでしょうが、だからこそ作家の使命は一層高まりまた問われるに違いないですね。そう思うと楽しみな次の十年でもあります)!

2009/11/30(月)(木村覚)

黒沢美香『耳』(ミニマルダンス計画──起きたことはもとにもどせない)

会期:2009/11/25~2009/12/06

こまばアゴラ劇場[東京都]

久しぶりに「黒沢美香らしい黒沢美香に圧倒させられる」という喜びを味わった。共演のコントラバス奏者・齋藤徹は白髪の巨体、黒沢の身体を普段より一層小さく見せた。本作の魅力を引き出したのは、第一に、このコントラストだったろう。胸のあたりがややだらしなくVネックになった赤いレオタードの黒沢は、普段以上に彼女を少女に見せる。冒頭、黒沢と向き合い、体をくねらせ手を激しく回すと齋藤は衣擦れの音を奏でる。けれども、その身のこなしはミュージシャンをダンサーにする。黒沢も横で踊るが、その踊りからも音が漏れている。うまい。音楽家もダンサーも、どちらも演奏しダンスしている。そう示すことで2人は舞台上で対等の存在になっていた。音楽家とダンサーのセッションでいいものはきわめて少ない、とくにこうした対等の関係が成立していることなんて本当にない。以前本レビューで紹介したサンガツとホナガヨウコのセッションはきわめてレアな成功事例。その成功がお互いをよく見、よく聴くことにあったとすれば、黒沢と齋藤とのあいだで起きていたのも、まさにそうした聴くことと見ることの高密度なクロスオーヴァーだった。少女な黒沢と先に述べたけれど、黒沢の少女性は、つんとすまして我を張って、なのに他人に振り回されてしまうところにあって、そんな集中と気散じが黒沢の身体を通してリズムを生む。黒沢らしいダンスを堪能した一夜だった。

2009/11/28(土)(木村覚)

快快のGORILLA(フェスティバル/トーキョー関連イベント)

会期:2009/11/13~2009/12/18

F/Tステーション[東京都]

フェスティバル/トーキョーならば、もっと取り上げるべき作品があるのかもしれないけれど、快快が「ゴリラの着ぐるみを着た役者を催眠術にかけてゴリラにする」というアイデアを聞いて、ワクワクして詰めかけた。演劇における役者と演出家の関係は、被支配と支配の関係、コントロールされる/する関係。それが極端になった先にあるのが被験者と催眠術師の関係? ゲストに招いた催眠術師の川上たけしが登場すると、1分後には着ぐるみのゴリラはゴリラと化し、前に坐っていたお客たち(大学生くらいの女3人)は、次々と催眠状態にさせられた。川上が「クリームみたいな味に変わっています」なんて言うと、女の子は大口を開けて大量のチューブわさびを受け入れる。「全然辛くない」とぽつり。観客の一人としてハイバイの岩井秀人は「尾崎豊にしてください、でも抵抗します」と願い出て川上と対面するが、一向にかからなかった。これ演劇の企画? ただのパーティ? これを彼ららしい遊び心とみなして一笑するのも悪くないと思う。けれども「演劇」という概念の拡張を画策している気もするのだ(川上の「催眠術ショー」になってしまったのは残念で、ぜひ川上の催眠術を用いた演出で短くても作品を上演して欲しかった)。そもそも、着ぐるみを見ていると本物と錯覚してしまうなんてことは一種の催眠だし、舞台を見ていて役柄に感情移入してしまうのもある意味で催眠だ。12月11日には、ゴリラの着ぐるみを着たメンバーたちが、岡田利規演出のもと『三月の5日間』を上演するのだそう。岡田と催眠術師を横並びにしてイベントを進めてしまう彼らのスケールは、やっぱりちょっと尋常ではない。

2009/11/27(金)(木村覚)

ダンス企画おやつテーブルvol.5『板間の間』

会期:2009/11/06~2009/11/08

ルーサイト・ギャラリー[東京都]

おやつテーブルは、ダンス・演劇ライターでもあるまえだまなみを主宰に、岡田智代、おださちこ、木村美那子が行なってきた、サイトスペシフィックな、つまり踊る場所を丁寧に設定することで、そこからでしか生まれないダンスを作品に仕立てようとする企画。世代の異なる女たちが集まれば、滲み出てくるのは女の日常、そこで普段感じている思い、そこで自然に差し出している振る舞い。今回は若い赤木はるかが参加して、一層、世代のバラエティが豊かになった。会場は、昭和を代表する芸者歌手が暮らした板間。戸を開け放つと、隅田川を挟んだ都会の見事な景色。二つのギャップを行き来する、懐かしくちょっと間の抜けた丈のスカートとベスト姿の女たち。言葉にしにくいちょっとした瞬間が魅力的。なかでも、おだが小さな箱から何十個ものリボンを一つひとつ取り出しては床に広げてゆく、その手や指の振る舞いや、転がるリボンテープが、なんとも美しかった。なにを美しいと感じ、なにになりたいと思い、なんだと思われて生きてきたか、そうしたこれまでの生の来歴がおだの佇まいから読みとれ、それがダンスになっている。さりげないけれどもありふれたものではない。おだのパフォーマンスを見る度にぼくは強い感動を覚えてしまう。また、前回公演では妊婦姿で踊った木村が今回は赤ちゃんと踊った。信頼して母を見つめる赤ちゃんのやわらかな眼差しが印象に残った。

2009/11/06(金)(木村覚)

『停電EXPO』(ヨコハマ国際映像祭2009 オープニングイベント)

会期:2009/10/31~2009/11/01

新港ピア[神奈川県]

梅田哲也、神村恵、contact Gonzo、捩子ぴじん、堀尾寛太らが参加したこれは、いわば2009年の『無題イベント』だった。『無題イベント』とは、1952年に音楽家ジョン・ケージがブラック・マウンテン・カレッジに集まった美術作家、ダンサーらと行なった中心なき同時多発的な上演のこと。会場に入ると、観客は黙々と準備に勤しんでいる演者たちを横目に自分の座る場所を探す。座席はない。座れるスペースが各自の座席。高い天井には梅田のオブジェがいくつも吊ってある。目をつむったダンサー(?)たちがゾンビのように徘徊を始める。床に散らばった目的のわからない資材を手探りで掴むと、目をつむったままどこかへ運んでゆく。観客が集まっていたスペースの裏で突如大きな音が発せられる。そちらへ引きずられるように移動する観客。空間全体が渦のように波のように、あるところで高まり、次第に沈んでゆくと、また別のところでなにかがはじまる。観客はその渦中に巻き込まれる。なによりも面白かったのは、見所が拡散してパフォーマーと観客の区別が希薄になってゆくと、観客である自分もまたパフォーマーであるかのような錯覚が生まれるところ。この混沌は、ぼくが見逃した1日目のほうが魅力的だったのだという。仕方ない。そうした、結果の違いが生まれてしまうのも『無題イベント』的なアプローチならではなのだ。

2009/11/01(日)(木村覚)