artscapeレビュー

木村覚のレビュー/プレビュー

プレビュー:泉太郎「クジラのはらわた袋に隠れろ、ネズミ」/平田オリザ(青年団)『カガクするココロ』『北限の猿』ほか

日常/場違い」(2009年12月16日~2010年1月23日、神奈川県民ホールギャラリー)で素晴らしい展示を見せている泉太郎。同時に、アサヒ・アートスクエアのスペースを存分に利用した「クジラのはらわた袋に隠れろ、ネズミ」(2010年1月16日~1月31日)という展示も行なわれます。これが一押し。あ、でもこれはインスタレーション(?)であり、ダンスでも演劇でもないです。そっちのお勧めなら、平田オリザ(青年団)の二本立て『カガクするココロ』と『北限の猿』(2009年12月26日~2010年1月26日、こまばアゴラ劇場)。お見逃しなく。来月の注目公演の筆頭が、チェルフィッチュ『わたしたちは無傷な別人であるのか?』(2月14日~2月26日、STスポット/3月1日(月)~3月10日、横浜美術館)であるのは間違いないとして、同じ横浜で2月には『We dance』(2月13日~14日、横浜市開港記念会館)というイベントが開かれます。捩子ぴじん、岸井大輔、手塚夏子、伊藤千枝、白井剛などの公演、ワークショップは要期待です。

2010/01/15(金)(木村覚)

遠藤一郎「愛と平和と未来のために」

会期:2009/10/31~2010/01/24

水戸芸術館現代美術センター[茨城県]

「Beuys in Japan:ボイスがいた8日間」(2009年10月31日~2010年1月24日、水戸芸術館)の関連企画で、遠藤一郎が会期中の46日間、館内の庭園などをひたすらほふく前進をしながら生きているという。何? 高速道路を二時間走らせ、水戸に着くと、黄色いテントが庭に立っていた。確かに遠藤は、すべての前進をほふく状態で行なっていた。こころなしか肌が黒く健康的に見えた。ほふく前進で筋肉がついたのと毎日近所のお弁当屋が差し入れをもってきてくれるそう。ワークショップのあるこの日、ぼくもほふく前進してみた。石畳では肘がすっごく痛くて、芝生では草の匂いにくらくらした。自分が亀にでもなったみたい。遅速はものの感じ方、生き方も変えそう。ほふく前進するだけで世界が違って見えてくる。そう、まさにこうしたところだ。こうしたところに遠藤とボイスの交点があるのだ。弁当屋の差し入れもなじみになったベビーカーを引く母親からの挨拶も、社会という彫刻(ボイス曰く「社会彫刻」)を少しずつ別の形へと変化させる、いわば槌の一撃だ。ほふく前進に参加したぼくも遠藤の彫刻の一部となった。しばらく続いた脇腹の筋肉痛も一撃の成果、この痛みは遠藤のつくろうとする「ザ・ビッグ・リング」へと繋がっている気がした。

2009/12/26(土)(木村覚)

『パフォーマンスライブ』(HARAJUKU PERFORMANCE+)

会期:2009/12/22~2009/12/23

ラフォーレミュージアム原宿[東京都]

8組出演。冒頭のOpen Reel Ensembleがともかく最高だった。ターンテーブルのように改造したオープンリールをスクラッチ(?)させると、聴いたことのない「ゥゥィィーン」みたいなノイズが心地よく炸裂した。背中を向け横並びの機材に向かうメンバーは、そんなノイズをじつに楽しげに実際ニコニコしながら、操る。こっちみて、「これ、スゲーっしょ!」みたいに機材を指さしたりする。音楽のセンスはもとより、そうした徹底的に明るいパフォーマンスに、なんだか今後の表現のあるべき姿を見たような気がした。そう、前向きに。ただただ、ポジティヴに。泣くほど感動した彼らの後、contact Gonzoは、華奢な女の子ドラマーが舞台中央で猛烈に激しく観客に(またもや)背中を向けて楽器をブッ叩きまくる周りで、希有な瞬間目指して肉体をブッ叩きぶつけ合う。彼らはいつもどこかに新趣向を入れている。柴幸男の作品もよかった。五人姉妹(?)+母親が朝食の二分くらいを過ごすその様を、ひとりの役者が1人ずつ演じてゆく。2人目3人目と演じる役を変えてゆく、そこに前回前々回の音声が重ねられ会場に流れる。すると次第に場面の全体像がわかってくる。次第に前回前々回の芝居がなにを意味していたのかわかってくる。消えてしまったひとり1人の心情を組み合わせるのは観客ひとり1人の心の中でだ。きわめてミニマルで形式的なアイディアを凝らすことで、演劇の可能性がぐんと広がった。明らかに演劇の未来を示唆する作品だった。と、ここまではよかったのだが、後半は見ながらどんどんテンションが下がってしまった。ぼくはどのダンサーたちにも魅力を感じられなかった。形式や機材、楽器に縛られることでじつは身体は自由になる。むしろそうしたものから自由な身体が不自由に見える。

2009/12/23(水)(木村覚)

横町慶子『かわうそ』(HARAJUKU PERFORMANCE+)

会期:2009/12/19~2009/12/20

ラフォーレミュージアム原宿[東京都]

ロマンチカの林巻子のソロ舞台。声だけの相手役として田口トモロヲ。音楽を菊地成孔が担当した。林のダンスや芝居はまるで「美貌」が踊りしゃべっているよう。独特のわざとらしさが芸術志向のダンスや演劇にはない中毒性を帯びていて、クセになる。男が車でひいてしまった(はずの)女が気づけば車内にいて、気づけば男を虜にしている。女とは男にとっての魅惑的な虚像(うそ)なのだといったメッセージを、演劇的な形式を借りつつ適度に自由に逸脱して語る(背景が映写される部屋や景色の映像によって次々と変わるところやいくつかのフレーズをレディ・メイド化して執拗に反復するところなど)。物語や「美貌」のあり方に既視感はあるとしても、そうした語り方に、新たなパフォーマンスのかたちをおぼろげながらも見た気がした。

2009/12/20(日)(木村覚)

壺中天『2001年壺中の旅』

会期:2009/12/19~2009/12/23

壺中天[東京都]

かつて向雲太郎が絶賛された作品の再演。壺中天らしさが存分に堪能できる上演だった。白塗りの裸体など古典的な舞踏の意匠を纏いながら、等身大の若者の暴力性やかわいさや惨めさをストレートに表わすなんてところがその「らしさ」の筆頭だろう。天井から大量の花吹雪を浴びつつ、男2人が感動的な抱擁と接吻を成し遂げる冒頭のシーン、地獄の番人(?)の前で、ソーセージの男根を自ら切断してゆくシーンなどの名場面は、狭い会場ならではの生々しさも相まって、むせかえるような暑苦しさに圧倒されつつも魅力的だった。海外での評価は非常に高い彼ら。もっと国内で評価され人気を得るべき存在なのになあとあらためて思わされた。

2009/12/19(土)(木村覚)