artscapeレビュー
色鉛筆の画家 吉村芳生 最期の個展
2014年12月01日号
会期:2014/10/15~2014/11/03
アスピラート防府[山口県]
昨年12月に急逝した吉村芳生の遺作展。吉村が生まれ育った山口県防府市での大規模な回顧展でもある。代表作とも言える新聞紙の自画像シリーズをはじめ、フランス滞在中に描かれた《パリの自画像》、野花を色鉛筆で精確に描写したシリーズなど、新旧の作品から吉村の画業を振り返る、充実した展観だった。
とりわけ印象深かったのが、会場の終盤に展示されていた《コスモス(絶筆)》である。大きな画面に色鮮やかなコスモスが描かれているが、右端からちょうど五分の一ほどが白いまま描き残されているのだ。ここには画面の左側から描き始めていた吉村の制作手順が図らずも露わになっていたのと同時に、制作途中に絵筆を置かねばならなかった吉村の無念が立ち込めていたように思われた。たとえ自画像を描いていなくとも、そこに吉村の自我意識を見出してしまう。それほど吉村の作品には、作者の強力な自我意識が直接的に反映しているのである。
例えば晩年のパリ時代に描かれた自画像には、明らかに閉鎖的な自意識が伺える。いずれも表情に乏しく、眼球の力だけがやけに鋭い。パリの空気がよほど体質に合わなかったのだろうか、苦しまぎれに自らをキャラクター化したような自画像もある。心の内側で悶絶しながらも毎日絵筆を握り続けた吉村の姿が眼に浮かぶのだ。
吉村芳生の真骨頂が対象を「転写」すると言ってもいいほど精確に描写する技術、すなわち超絶技巧にある点は、言うまでもない。けれども、その根底には「私」を徹底して即物的に観察する冷酷な視線と、結果として浮き彫りにされる「私」をよくも悪くもすべて曝け出す胆力があることは、改めて指摘しておきたい。この2つの特質は、同じように「私」に拘泥する昨今の若いアーティストたちの作品に決定的に欠けているからだ。
裏返して言えば、そのような特質があってはじめて、「私」の野放図な表出は、他者の「私」と共振するのではなかったか。吉村芳生が遺したのは、若者たちにとってはきわめて過酷な道のりだが、吉村に続き、吉村の先を歩んでゆく者が現われる日を待ちたい。
2014/11/02(土)(福住廉)