artscapeレビュー
小口一郎 木版画展
2014年11月01日号
会期:2014/09/20~2014/11/16
小山市立車屋美術館[栃木県]
小口一郎は1914年栃木県下都賀郡絹村に生まれた版画家。油絵を描くことから始め、終戦後版画に転じ、足尾鉱毒事件を取材したシリーズ三部作《野に叫ぶ人々》《鉱毒に追われて》《盤圧に耐えて》を発表した。本展は、小口の版画作品を網羅的に振り返ったもの。小規模ながら、いずれも力強い作品で、見応えがあった。
小口といえば田中正造の直訴を主題とした《野に叫ぶ人々》のシリーズで知られているが、今回の展覧会で明らかにされたのは、小口の表現活動が民衆の地平に根づいていたという事実である。《野に叫ぶ人々》から初公開となった《川俣事件》まで、小口の木版画は終始一貫して民衆の視点から描写されている。官憲の手を振りほどきながら直訴状を手に前進する田中正造は言うまでもないが、小口が彫り出した石切り場や農場、砂利運搬などの労働者たちの姿には、彼らに対する共感のまなざしがはっきりと感じられる。本展では、小口が地元企業の職場や地域社会の美術サークルで指導していたことが当時の作品と資料とともに紹介されていたが、小口の視線は生活者や庶民のそれに同一化していたのだろう。
1960年、小口は《波紋》(1960)という作品を制作している。これは60年安保の最中、国会を取り巻くデモ隊の光景を描いた作品だが、注目したいのは小口がこの作品を俯瞰図でとらえていることだ。上空の視点から見た国会周辺には、旗を持った人の姿が波紋のように丸い陣形を描いている。この版画作品には静謐な美しさが感じられないでもないが、それ以上に感取されるのは小口の視線と対象との距離感である。この作品には労働者や農民に注がれていた視線の温かみも近さもほとんど感じられず、どこか遠い国の出来事を見下ろすようなよそよそしい雰囲気が濃厚なのだ。おそらく小口の視線は、ローカルな農民運動や労働運動に向けられていたのであり、安保というローカルを超越する問題に対しては、それほどの熱量を注入できなかったのではないだろうか。
むろんグローバリズムとローカリズムは互いに連動しながら歴史を更新していくから、双方をそれぞれ自立的に分け隔てることはあまり意味がないのかもしれない。だが、グローバリズムの問題点や矛盾が噴出し、それに対抗する準拠点としてのローカリズムの有効性が見直されているいま、小口の木版画のような、きわめてまっとうにローカルな土地に根づいた表現活動は、改めて評価されるべきである。
2014/10/12(日)(福住廉)