artscapeレビュー

飯沢耕太郎のレビュー/プレビュー

元田敬三「Sunday Harajuku」

会期:2013/07/12~2013/07/25

エプソンイメージングギャラリーエプサイト[東京都]

元田敬三は、2005年頃から毎日曜日に、パノラマサイズのワイドラックスカメラを手に、東京・原宿の代々木公園前の路上に出かけるようになった。そこには20~40歳代の、リーゼント・スタイルの「ローラー」たちが集まり、大音響のロックンロールに合わせて日がくれるまで踊り狂っていた。それから6年あまり、顔なじみも増えて、コンサートに連れて行ってもらったり、沖縄に一緒に旅行したりするようにもなった。撮影された写真を見ていると、被写体との長期にわたる細やかな交流が、この種のドキュメントには必須のものであることがよくわかる。
だが写真集(SUPER LABO刊)をまとめ、展覧会を開催するために写真を選び、プリントしているうちに、元田のなかには実際に撮影していた時期とはまた違った感情が湧いてきたようだ。「大きなプリントとして立ち現れた場面の中で、写された光景のすべてはモノクロームの粒子として等価になる」。そこに写り込んでいる「ローラー」たちとその家族や恋人とおぼしき女性たち、彼らを取り巻く観客やカメラを向ける外人観光客、そして路肩に駐車しているアメ車やオートバイなども、すべて画面の構成要素として「等価」に見えてくるということだ。このような醒めた認識を持ち得るかどうかが、ドキュメントとしての写真の成否を判断する基準となるのではないかと思う。
この写真展を見てあらためて感じたことがもうひとつ。デジタルプリンターによるモノクロームプリントのクオリティは、もはや手焼きの銀塩プリントをはるかに凌いでいるのではないか。大容量のスキャナー、顔料10色インクジェットプリンター、プロフェッショナル仕様のフォトペーパーの組み合わせの精度は、唖然としてしまうような高さに達しつつある。

2013/07/18(木)(飯沢耕太郎)

平間至「last movement─最終の身振りへ向けて」

会期:2013/07/06~2013/08/31

フォト・ギャラリー・インターナショナル[東京都]

平間至は2008年にも、同じフォト・ギャラリー・インターナショナルで舞踊家・田中泯の「場踊り」を撮影した写真展を開催している。それから5年を経て姿をあらわした「last movement─最終の身振りへ向けて」は、以前とはまるでレベルが違って見えた。単純なパフォーマンスの記録ということに留まらない、身体と場所とが溶け合い、一体化して渦巻くエネルギーが、モノクロームの写真群から強い力で放射している様が、はっきりと感じられたのだ。今回の展示作品には、シリーズの主体であるはずの田中泯の姿がまったく写り込んでいないものも含まれている。だが、それらの水や樹木や岩のある風景を捉えた写真もまた、そのあふれ出し、盛り上がり、流れ去っていくエネルギーの”場”であることに変わりはなく、むしろその風景の至る所に「見えない」舞踊家が遍在しているようにすら見えた。明らかに、存在の震えや揺らぎを鋭敏にキャッチする平間のセンサーが、研ぎ澄まされてきているのだ。
平間の意識の変容をもたらしたのが、2011年の東日本大震災であったことは間違いないだろう。彼の実家がある宮城県塩竈市とその周辺は、震災とその後の津波に寄って大きな被害を受けた。彼はむろん写真家としての活動を通じて、地域の復興に寄与しようとした。だがその後、被災の状況を直接的に記録するよりは、この「last movement」のシリーズを撮り進めることで、むしろ震災によって引き起こされたネガティブな感情の高まりを鎮めようとしているように見える。
実は一枚だけ、写真展に併せて刊行された同名の2冊組の写真集のなかに、震災直後の「宮城県七ヶ浜」の風景を写した写真がおさめられている。だが、この写真にもまた、田中泯の存在の気配が色濃く感じられる気がする。

2013/07/17(水)(飯沢耕太郎)

沢渡朔「夜」

会期:2013/07/08~2013/07/21

Place M[東京都]

沢渡朔は1939年生まれ。ということは森山大道、中平卓馬の一歳下で、学年的には篠山紀信、荒木経惟、須田一政、土田ヒロミと同じということになる。こうして名前をあげてみると、この世代の写真家たちが、まさに戦後写真の根幹の部分を担ってきたことがよくわかるだろう。彼らが20~30歳代だった1960~70年代こそ、高度経済成長の上げ潮にも乗って、写真という表現メディアの可能性が大きく拡張していった時代だったからだ。
それから40年以上を経て、彼らも70歳代という老年といっていい年齢に達した。だが、それぞれ功成り名遂げて悠々自適なのかと言えば、なかなかそうはいかないようだ。まだまだ現役の写真家として、精力的に活動し続けている。沢渡もまた、今回の「新作展」を見るかぎり、その創作エネルギーはまったく衰えていない。
とある邸宅(詩人の高橋睦郎宅だという)の夜の庭、暗がりに身を潜めた裸体の女が、周囲の植物たちと呼応するようになまめかしく息づいている。その姿態を凝視し、カメラにおさめていく沢渡の感情の昂りが、ロールペーパー・サイズに大きく引き伸ばされた18枚のプリントから、生々しく伝わってくる。もともと女性が発散するエロティシズムに対する感度のよさは、彼のトレードマークのようなものだったのだが、そのアンテナの精度にますます磨きがかかっているようにさえ見えるのだ。視覚的なレベルだけではなく、より根源的な嗅覚、触覚までもが、ねっとりとした夜の闇の中に押し開かれていくような危うさ。その濃密な気配に溺れてしまいそうになった。

2013/07/16(火)(飯沢耕太郎)

石川真生「沖縄芝居 仲田幸子一行物語/港町エレジー」

会期:2013/06/15~2013/08/11

nap gallery[東京都]

沖縄の”女傑”、石川真生の数ある作品のなかでも、「港町エレジー」は特に好きなシリーズのひとつだ。1983~86年、港に近い飲み屋に夜ごとたむろする中年男たちを撮影したシリーズだが、彼女の被写体との絶妙な距離のとり方が見事に発揮されている。最近新たな編集で刊行された『熱き日々inオキナワ』(フォイル)でもそうなのだが、石川は流動し、沸騰する時空のただなかに身を置きながらも、そこに完全に没入することなく、ある意味冷静に状況を見つめ、シャッターを切っていく。「港町エレジー」に登場する酔っぱらいの男たちの、どうしようもないふるまいを許容しつつも、写真の被写体としての可能性をしっかりと値踏みしているのだ。こういう写真シリーズは、石川真生以外にはまず撮れないだろう。
同時に展示されていた「沖縄芝居 仲田幸子一行物語」は、歌あり笑いあり涙ありの庶民のエンターテインメントの一座を率いる仲田幸子を、1977~91年にかけて、14年あまりも追いかけた労作。男性に対する、したたかで容赦のない眼差しが、女性を中心にしたこのシリーズでは少し和らいでいるように感じる。沖縄の人々への愛着と共感が、切ないほどに伝わってくることには変わりはないのだが。
なお、本展はnap galleryで不定期で開催されている「ヴィンテージ・プリント展」の3回目にあたる。今回は撮影と同時期にプリントされた印画が、40点あまりも並んでいた(100点以上のファイルから厳選)。たしかにその時代の空気感が、生々しく写り込んでいるように感じる。

2013/07/11(木)(飯沢耕太郎)

村上誠「水迎え 南島の“死”の光景」

会期:2013/07/03~2013/07/16

銀座ニコンサロン[東京都]

銀座と新宿のニコンサロンは、なかなか油断できない写真展の会場だ。その大部分は、やや型にはまったスナップ/ドキュメンタリー系の作品展示なのだが、時折思いがけない写真の仕事を見ることができる。今回銀座ニコンサロンで開催された村上誠の「水迎え 南島の“死”の光景」も、そんな驚きを与えてくれる写真展だった。
村上が撮影しているのは宮古諸島や多々良島など、南島の森や洞窟の奥に潜む死の気配が色濃く漂う場所の光景だ。この種の写真は、どこかおどろおどろしいスペクタクル性を強調したものになりがちだが、村上はあくまでも控えめで、慎ましやかな態度で被写体に接している。かといって記録的な描写に徹しているわけではなく、そこには彼が「見たい」と欲したものが、きちんと写り込んでいるように感じる。それこそが「水迎え」、すなわち「水の流れる足元、地面の下の方で紡ぎ出されていた……“死の影”」を捉えようとする営みにほかならない。ニコライ・ネフスキーの『月と不死』のなかにある「死水」の物語に触発されたその探求の成果は、会場に展示された16点の大判カラープリントにしっかりと写り込んでいるのではないだろうか。
村上は本来写真家ではなく、美術教育に携わりながら、1988〜2003年に「天地[あまつち]耕作」というアートプロジェクトを立ち上げ、大地との交感に根ざした作品を発表してきたアーティストだ。彼のような、異なる領域から越境してきた人の写真の仕事は逆に面白い。より挑発的で刺激的なものになっていく可能性を感じる。

2013/07/10(水)(飯沢耕太郎)