artscapeレビュー
飯沢耕太郎のレビュー/プレビュー
大辻清司フォトアーカイブ 写真家と同時代芸術の軌跡 1940-1980
会期:2012/05/14~2012/06/23
武蔵野美術大学美術館 展示室2[東京都]
写真家、教育者、執筆者と多元的な活動を展開した大辻清司の軌跡を、「同時代芸術」と関連づけて、これまた多元的なアプローチで浮かび上がらせようという意欲的な展示である。大辻の膨大なネガ、プリント等の作品資料は、2008年に武蔵野美術大学美術館および造形研究センターに寄贈された。それから4年あまりをかけて、同研究センター客員研究員の大日方欣一が調査を進めたその成果を、今回はじめて展覧会のかたちで披露することになったのだ。
展示は「写真家の誕生」「表現の現場から」「建築と環境」の3部構成で、それぞれ時代ごとに「写真家と同時代芸術の軌跡」を辿っていく。最初のパートに展示されている大辻の「少年期のアルバム」、山口勝弘、北代省三らが制作したオブジェを大辻が撮影して『アサヒグラフ』のコラム欄「APN」に掲載した写真群(1953)、『藝術新潮』の嘱託写真家として武智鉄二、勅使河原蒼風、向井良吉らの作品を撮影した「ストロンチュウム・90」のシリーズ(1957)など、これまであまり取りあげられなかった作品が紹介されているのが興味深い。大辻の単独の仕事ももちろん質が高いのだが、彼の写真がコラボレーションによってさらに大きく伸び広がっていく可能性を備えていることがよくわかった。
また今回は、残されたヴィンテージ・プリントだけではなく、未発表の写真もネガからあらためてプリントし、デジタル化した画像を駆使して展示している。大辻のなかに潜む写真家としての可能性を積極的に引き出していく試みといえるだろう。1980年代以降の大辻の軌跡を追う次回の展示も大いに期待できそうだ。
2012/05/26(土)(飯沢耕太郎)
荒木経惟「過去・未来 写狂老人日記1979年-2040年」
会期:2012/05/25~2012/06/23
Taka Ishii Gallery[東京都]
荒木経惟が元気だ。このところ、以前にも増して精力的に写真集を刊行し、写真展を開催している。IZU PHOTO MUSEUMでも、これまで刊行した写真集450冊(!)あまりを一堂に会する「荒木経惟写真集展 アラーキー」(2012年3月11日〜7月29日)を開催中だ。72歳の誕生日のお祝いを兼ねた「過去・未来 写狂老人日記1979年-2040年」のオープニングにも、元気な姿を見せていた。2008年に前立腺癌の手術を受けて以来、お酒や肉を控え、健康に気を使うようになっているようだ。まだまだ、やりたいことがたくさんあるということだろう。
今回の個展に展示されているのは、お馴染みの「写狂老人日記」のシリーズ。だが、単純に近作を並べているだけでなく、その構成には工夫が凝らされている。「過去」のパートでは、1970〜90年代の日付入りモノクローム・プリントが並ぶ。『荒木経惟の偽日記』(1980)、『写狂人日記』(1992)などに収録された名作のオンパレードだが、あらためて見直してみると荒木の前を通過していった人、事、物の膨大な集積が、実に味わい深い各時代の見取り図を描いていることが見えてくる。
「未来」のパートは、6,000枚近いというカラー・ポジフィルムを、自ら鋏でカットし、並べ直した三面マルチ作品。巨大なテーブルに蛍光灯を仕組み、内側からフィルムを透過光で照らし出すようになっている。これだけの量、しかも小さな35ミリポジフィルムの群れを見続けていると、頭がクラクラしてくる。女、空、食事、花、バルコニー、そしてふたたび空──飽きもせず同じ被写体を撮り続けるエネルギーには驚嘆するしかないが、ここにもいかにも荒木らしい仕掛けが凝らされている。最後のあたり、日付入りコンパクトカメラで撮影されたカットの、その日付の表示が「2040」になっているのだ。2040年といえば、荒木が100歳の誕生日を迎える年。ぬけぬけと「未来の写真」まで展示しているわけだが、それがあながち冗談とも思えなくなってくる。100歳の荒木が、なおも淡々と「写狂老人日記」を撮り続けていそうな気もしてくるのだ。
写真:荒木経惟「過去・未来 写狂老人日記」2040年、35mm カラーポジフィルム
Courtesy of Taka Ishii Gallery
2012/05/25(金)(飯沢耕太郎)
安村崇「1/1」
会期:2012/05/13~2012/06/10
MISAKO & ROSEN[東京都]
安村崇のデビュー作「日常らしさ」(1999)はとても興味深いシリーズだった。彼の身の回りの日常の場面で見慣れた事物を、大判のカラーフィルムで精密に撮影・プリントする。ところが、それら蜜柑、ケーキ、ホッチキス、ホースなどは、あまりにも本物らしいがゆえに、逆にどこか偽物めいた雰囲気(「日常らしさ」)を露にし始めるのだ。視覚的に正確に撮影すればするほど、心理的な真実からは隔たってしまう──そんな写真特有の二律背反が見事な手際で暴かれていたといってもよい。
それから10年あまりが過ぎ、安村は淡々と、だが着実に写真の「見え方」の探求を続けていった。その成果がひさびさの新作として発表されたのが、今回のMISAKO & ROSENでの個展「1/1」である。壁に並んでいる11点の作品は、いわば「色面の研究」の成果といえる。赤、緑、青、黒など壁面、階段、柱などの一部が、抽象的なパターンとして切り取られて画面の中に配置されている。タイトルの「1/1」というのは、「現実とそれを表わしたものとの関係」ということのようだ。つまり、被写体と写真の画像がほぼ同じ大きさであるというだけではなく、「カメラを通したもうひとつの『1』」として定着されているのだ。奥行きのある三次元空間を捉えた「日常らしさ」とはかなり違っているようで、この一見平面的、装飾的なシリーズでも、安村のアプローチは一貫している。ここに浮かび上がってくる「色面」も、その微妙な陰影やテクスチャーへのこだわりによって、やはり「色面らしきもの」に置き換えられているのだ。
ただ、今のところ、その探求の道のりはまだ半ばであるように感じた。「日常らしさ」のような鮮やかなどんでん返しに至るまでには、もう少し別な(細やかな)操作が必要になってくるのかもしれない。
2012/05/25(金)(飯沢耕太郎)
縄文人展
会期:2012/04/24~2012/07/01
国立科学博物館 日本館1階企画展示室[東京都]
国立科学博物館で開催された「縄文人展」は、なかなか興味深い「写真展」だ。近年、1万5千年前から一万年以上も続いた縄文時代を、日本文化の最古層を形成する時期として捉えるという見方が強まってきている。縄文期の暮らしや文化への関心の高まりを受け、若海貝塚人(茨城県出土の男性)と有珠モシリ人(北海道出土の女性)の、二体の発掘人骨の展示を中心に構成されたのが本展である。
展示全体のインスタレーションを担当したのは、グラフィック・デザイナーの佐藤卓、そして写真撮影は上田義彦である。この二人の関与によって、30数点の写真パネルによる、すっきりとした会場構成が実現した。上田はこのところ、東京大学総合研究博物館のコレクションを撮影したシリーズを、展覧会や写真集のかたちでさかんに発表しており、今回の作品もその延長線上にある。黒バック、あるいは白バックの画面のほぼ中央に被写体を置き、注意深いライティング、ボケの効果を活かしたフォーカシングで撮影するスタイルは、すでに完成の域に達している。「縄文人」の骨の撮影においても、広告の仕事で鍛えた完璧なテクニックを駆使することで、被写体の細部がクリアーに、写真特有の映像的な魅力をともなって定着されているといえる。
ただ、その会場構成にしても、写真の見え方にしても、あまりにもすっきりと整い過ぎているのではないかという思いも残った。被写体となった骨のなかには、頭骨に損傷が見られたり、おそらく通過儀礼によるものと思われる抜歯の痕が残っていたりするものもある。骨から浮かび上がってくる、「縄文人」の生活の厳しさ、生々しさを、もう少し強めに打ち出していってもよかったのではないだろうか。
2012/05/23(水)(飯沢耕太郎)
笹岡啓子「久万山真景」
会期:2012/05/08~2012/05/20
photographers' gallery/ KULA PHOTO GALLERY[東京都]
久万高原町は愛媛県中南部に位置し、平均標高800メートルという山間の町だ。笹岡啓子は町立久万美術館で2009年に開催された萱原里砂、高橋あいとの3人展「歸去來兮(かへりなんいざ)」のため、2008年にこの町の風景を撮影した。そのときの作品を再構成して展示したのが、今回photographers’ galleryとKULA PHOTO GALLERYで開催された個展「久万山真景」である。
笹岡の6×6判のフォーマットの写真は、例によって痒い所に手が届くように、細やかに山や河や岩の多い久万の眺めを写しとっている。自然だけではなく、農地や山を切り崩す工事現場などにもカメラを向ける。タイトルの「真景」というのは、江戸時代末期に旅の絵師、遠藤広実が描いた全3巻の絵巻物「久万山真景絵巻」を踏まえているようだ。やはり久万美術館に収蔵されているこの絵もまた、久万の風景を丁寧に、その細部にまで目を凝らして描き出したものだ。笹岡はこの絵巻物の描法を意識しつつ、写真特有の公平で滑らかな視線を活かし切って作品化した。ただ、展示作品はすべて2008年、つまり4年前に撮影されたものだけなので、この仕事が完成したものなのか、それとも続きがあるのかがよくわからない。もう少し長いスパンで撮影していくことで、さらに厚みのあるシリーズに成長していくのではないかと思う。
2012/05/19(土)(飯沢耕太郎)